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香港映画

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2020年9月の記事一覧

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(42)『追捕/Man Hunt』- 女優デビューしてしまった -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(42)『追捕/Man Hunt』- 女優デビューしてしまった -

次なる場所は岡山県牧場と研究室という二大ロケーションへと我々は移動した。その移動にあたって私にとっての大事件が発生する。

牧場シーンのロケ地となったのは蒜山高原のとある私有地。本来は阿蘇山の麓の牧場を使用することになっていて、草も焼いて準備を整えつつあったのだが、熊本大地震が発生してしまい変更を余儀なくされたのだった。そこで制作部が探し出して来たのが蒜山高原のとある場所。私有地なので詳細な場所は

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(41)『追捕/Man Hunt』- 白いハトと言えば -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(41)『追捕/Man Hunt』- 白いハトと言えば -

「John Woo吳宇森」と言えば「白いハト 白鴿」
もう少し奈良を引っ張ってみよう。「John Woo吳宇森」と言えば「白いハト白鴿」だからね。とはいえ奈良のどこだったのか、私はいまだにわかっていない。土地勘無さすぎてわからないのよ、ごめんなさい。でも奈良だった。

白ハトは途中で急遽追加実は監督、当初は本作では白いハトを飛ばすつもりをしていなかった。最初の決定稿にも白いハトは出て来なかったのよ

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(40)『追捕/Man Hunt』- 奈良と兵庫のロケ地 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(40)『追捕/Man Hunt』- 奈良と兵庫のロケ地 -

奈良と兵庫での撮影大阪以外の場所での撮影についても少し触れておこう。奈良数か所と室津港。大阪の他地区も含めて撮影の順番をもう覚えていないのでランダムに書いてみよう。

室津港こんな素敵な港町を探してきたのは制作部の功績。本気出せば出来るじゃん、制作部。

監督の目指した「昔の日本映画の雰囲気」が出せる海があった。この室津港は行政としては観光客を誘致しているようなのだけれども、なにせ公的アピールが無

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(39)『追捕/Man Hunt』- 撮影現場は体力勝負 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(39)『追捕/Man Hunt』- 撮影現場は体力勝負 -

大阪城外のだんじり撮影と、上本町での撮影がエキストラが最大数の撮影だったと思う。

だんじり

だんじり撮影には本物のだんじりを出して頂いて、本物の曳き手や屋根乗り(大工方)やお囃子の方々に来て頂いた。これは大阪FCのCちゃんの功績。ちょっとおっかない感じの男性が多かったけれど、炎天下の中の撮影にも協力してくださった。

当日の晴れっぷりは半端ない炎天下。すまんね、私、超晴れ女、いやそれどころかピ

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(38)- 『追捕/Man Hunt』- 現場に出る度新しい学びが -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(38)- 『追捕/Man Hunt』- 現場に出る度新しい学びが -

通訳と翻訳のここまでのマルチタスクはそうそうあるものではないらしいのだが、初めて参加した映画の撮影だったのでこれが普通なのかどうかもわからず、とにかくやれることやるべきことを全力でこなした。

大阪府下での撮影さて、撮影はざっくり分けて京阪神と奈良と岡山で行われた。大阪と奈良は近鉄グループホールディングスのロケ地マップがとても良い感じに作られているし、岡山のロケ地は岡山観光WEBが分かりやすい。そ

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(37)『追捕/Man Hunt』現場での仕事の負荷 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(37)『追捕/Man Hunt』現場での仕事の負荷 -

監督付き通訳者翻訳者としての負荷私はザザーッと蟻地獄に落ち、想像以上に中枢に絡めとられていった。

撮影開始すると、脚本翻訳の負荷が更に上がった。監督と二人のプロデューサーが三者三様で脚本を変更しまくるのだ。

監督は撮影が始まってもアイデアがいくらでも湧いてくる。現場の俳優の芝居や表情を見て、流れやセリフを変えたくなってくる。そこで書き換えた原稿を私に渡す。私は当然それを忠実に訳して日本人脚本家

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(36)『追捕/Man Hunt』導演組通訳/脚本翻訳 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(36)『追捕/Man Hunt』導演組通訳/脚本翻訳 -

導演組通訳にそうこうするうちに私はどんどん中枢に入っていき、常に導演と副導演の傍らにいるポジションになった。いつのまにか導演組(演出部)に入っていた。

「ソフィはアクション・コーディネイターと監督の間の通訳やってね」ーー私が李小龍迷だから丁度いいと思ってくれたのか、単にこれからアクション・シーンが増えてくるから専属通訳が必要になると思ってのことなのか、いや、両方か。うってつけじゃん?望むところだ

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(35)『追捕/Man Hunt』現場通訳へ -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(35)『追捕/Man Hunt』現場通訳へ -

撮影開始 だがそうこうするうちに待ちに待った撮影が始まった。が、制作部はバックオフィス業務がメインなので撮影現場には基本的に行かない。えー、現場見てみたいよー、行きたいよー、とお願いして現場見学に連れて行ってもらった。

人生初、映画の撮影現場。ガッツリ組まれた警察署内のセットに大がかりなカメラ機材にモニタールーム。これが映画かぁ。ワクワクした。

ヘリコプターで空撮次の現場はオープニングロールに

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(34)『追捕/Man Hunt』文化の差異で衝突 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(34)『追捕/Man Hunt』文化の差異で衝突 -

クルー到着からプリプロ2016年2月にクルーがやって来た。大阪に制作拠点を置き、プリプロが本格的に開始。

私は当初、制作部配属だったので香港側クルーが入ってきてからは、香港側制作部と日本側制作部の通訳をやったり書類の処理手伝いをしたり。ロケハンなどに同行するよりはバックオフィスの事務仕事だった。決してエキサイティングな仕事ではないけれど、一つのプロジェクトを動かすということはこういった事務作業も

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(33)- 『追捕/Man Hunt』ロケハン -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(33)- 『追捕/Man Hunt』ロケハン -

『追捕 / Man Hunt』そして私の通訳人生で最も重要な仕事が入ってくる。いよいよ香港電影の中の人になる。

大阪観光局には、内部だけど独立な組織として大阪フィルム・カウンシルが入っている。私自身が映画好きなこともあるし、性格的に馬が合ったこともあって、FC(フィルム・カウンシル)のCちゃんと仲良くなった。

NHKBSの「アナザー・ストーリーズ」が終わって暫くした2015年のある日、Cちゃん

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(28)- Hong Kong Filmart -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(28)- Hong Kong Filmart -

大阪アジアン映画祭では、本当に多くの物を得た。過去も今も。広東語通訳としての仕事の安定した機会。そして香港映画人と親しくなれる機会。ここでどれほど多くの良き友人を得たことか。感謝してもしきれない。

Hong Kong Filmart大阪アジアン映画祭は長らく香港フィルマートとほぼ同時期に開催されていた。ある年、開催時期が重なったことで大阪アジアン映画祭への招聘ゲストのスケジュール調整が非常に困難

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(27)- 『智取威虎山』@京都ヒストリカ映画祭 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(27)- 『智取威虎山』@京都ヒストリカ映画祭 -

京都ヒストリカ映画祭の時の話をもう1本この京都ヒストリカ映画祭って面白い趣向の映画祭なので宣伝しておく。1925年以前を舞台に設定した映画のみを招聘するというニッチなこだわり映画祭。国や地域にはこだわらないとはいえ、そんなに昔の話を舞台にした映画が毎年わんさか出てくるわけではないだろうから、作品自体を探してくるのも大変だろうと思うのだけれど、毎年素晴らしいセレクトっぷり。ゲストの数もまだそれほど多

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(26)- 『惡戦』@京都ヒストリカ映画祭 -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(26)- 『惡戦』@京都ヒストリカ映画祭 -

OLやりつつもフリーランスでの文書翻訳も広東語通訳も続けていた。収入的なことよりも「やっていて楽しい」というのが大きな理由だった。

Special Focus on Hong Kong大阪アジアン映画祭は初参加以来毎年呼んでいただいている。2012年に香港経済貿易代表部と香港政府観光局による「香港映画祭」(後に「Special Focus on Hong Kong」)という特集部門が始まった。私

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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(25)- 大阪観光局での業務がコネクションを広げた -

私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(25)- 大阪観光局での業務がコネクションを広げた -

いよいよ広東語通訳へのシフト開始とはいえやはり需要はまだまだ少なく、毎年3月の大阪アジアン映画祭が一番楽しくて仕事量のある状態が続いた。

通訳派遣会社のコーディネイターは広東語と普通話の違いを分かっていたので、私に打診がくる案件は基本的に広東語案件のみ、需要は本当に少なかった。年間通して商談会やセミナー等の細々とした単体案件が数件といったところだった。

広東語通訳のみで生計を立てられる収入には

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