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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(33)- 『追捕/Man Hunt』ロケハン -

『追捕 / Man Hunt』

そして私の通訳人生で最も重要な仕事が入ってくる。いよいよ香港電影の中の人になる。

大阪観光局には、内部だけど独立な組織として大阪フィルム・カウンシルが入っている。私自身が映画好きなこともあるし、性格的に馬が合ったこともあって、FC(フィルム・カウンシル)のCちゃんと仲良くなった。

NHKBSの「アナザー・ストーリーズ」が終わって暫くした2015年のある日、Cちゃんから連絡がきた。「香港映画の撮影が来るらしい。大阪で撮ることになりそうだから、決まったら絶対に呼ぶからね!」「やる!やるやる!絶対やるから絶対呼んで!!!」「監督はジョン・ウーらしい」「ぎゃー!!やるやるやる!絶対やりたい!何でもやるから絶対呼んで!何が何でもやりたい!」

そして『追捕 / Man Hunt』がやって来ることが決まった。日本側の制作会社は東京の会社になったけれど、撮影は大阪でやるとのことで約束通りクルーに入れてもらった。

なんてこった。こんなことってある?初めて製作に関わらせてもらう映画が香港映画だよ。しかも監督は天下の John Woo 吳宇森だよ。ラッキー過ぎて怖いぐらいだよ。

つまりこの幸運はCちゃんがいてくれたから。スルンと参加できたのも日本側制作を請け負った会社のプロデューサーとCちゃんが元々仲良しで、何かあったらソフィを使ってやってねと紹介しておいてくれたおかげ。お知り合いになったと思ったら『Man Hunt』が決まったというタイミングの良さ。しかし、根っこにいたのはやはりCちゃんと制作会社プロデューサー。本当に感謝してもしきれないぐらい感謝している。

まずは日本側制作部の通訳として入れてもらった。業務が始まったのは2015年10月頃だったように記憶している。右も左もわからない。言われたこと、任されたことを黙々とこなす。その業務がどういう意味を持つのか、どこに繋がっていくのか、わからないままにこなしたが、何もかもが新鮮で楽しかった。

最初のロケハン

そして11月に最初のロケハンが来た。あの吳宇森導演が目の前にいる。我々の年代の龍迷香港迷で吳宇森を知らない者はいない、はず。大物過ぎてどう近付いて良いのかさえわからない。監督と会話できるチャンスが来るのだろうか。DVDにサインもらっちゃったりできるのだろうか。もう、単なるミーハー(死語?)の域を出ない私。

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大阪の人ならどこかわかるでしょう。ただ、これらはロケハンだけで結局ここでは撮影しなかったのであしからず。

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桜の季節に撮影出来たらこの桜並木をバックに・・・なんて言いながら。

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監督は食いしん坊、いや、グルメなので美味しいものがあったら足が止まるんですわ。

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大阪での第1回ロケハンの時には、香港側クルーの通訳をやった。街を歩いたり車で回ったりしながら、その場その場のちょっとした蘊蓄や情報を監督やプロデューサーや副導演(AD)に入れてあげる。日本人には当たり前でも外国人は知らないようなちょっとした情報や、どういったトリビアが香港人に受けるのか、大阪観光局でインバウンド担当だった時の経験がこんなところで役に立った。

大阪のおばちゃんは必ず飴ちゃんを持っている

大阪のおばちゃんはカバンに必ず飴ちゃんを常備していて、見知らぬ人でも外国人でもとにかく誰彼となく飴ちゃんをあげまくる、それはある意味おせっかいかもしれないけれど、よく言えば誰に対してもオープンであり親身になってあげることを厭わない大阪の文化なのだという話をしたところ、監督がその大阪人気質をえらく気に入って、百田刑事(桜庭ななみ飾)の小道具として使った。監督は「バイオレンスの詩人」と呼ばれるが実は心優しき人で、他人を思いやること、理解すること、人種も国籍も越えて人間としてお互いに助け合うことが重要だと考えているので、こういった大阪のおばちゃんのてらいのない他人へのケアの心が気に入ったらしかった。

東京での制作ミーティング

東京での制作ミーティングにも呼んでいただいた。広東語通訳がいるので広東語でやりましょうか、みたいなことになって突如ガッツリ通訳やることになった時には頭の中が真っ白。だって制作ミーティングなんて初めてだし、それまでの経緯もよくわからない。大丈夫か、私?話の内容は深いものではなかったのでなんとかやりきった。

各部門に分かれての小規模ミーティングになった際には、香港と日本のVFX担当者間の通訳をやったのだけれど、これはもう本当にお手上げだった。映画製作どころかVFX自体の入門知識さえ無いのに、プロの担当者たちの通訳は本当に無理だった。しかし流石はプロ、門外漢にはまったく解せないことは承知で「わかんなくて当然だよ、大丈夫、自分達のカタコト英語でなんとかするよ」と優しくフォローしてくれた。

第2回目のロケハン

年を越えて2016年になってから新しいクルーたちと2回目のロケハンも行った。脚本がいろいろ変わったせいで使いたい場所のイメージが変わったこともあるし、1回目のロケハンで観た場所が様々な規制でこちらの思うような撮影が出来ないことがわかったりしたことで、脚本に沿った新しい場所を探したり、新しいアイデアを出してまたそれに合うような場所を探したり。

天下の John Woo が撮影場所として選んだのだ。『Black Rain』の汚名を挽回すべくFCのCちゃんも近鉄ロケーションのボスも奔走してくれた。監督は撮影の可能性を広げるべく雨ガッパとイソジンに表敬訪問までした。そして雨ガッパとイソジンは「世界の John Woo 監督が大阪で新作を撮影してくださるのですから、どんな要求でも実現させますよ!御堂筋だって止めてみせますよ!NOという返事はあり得ません!任せてください!」と大見得切ったんだよ。そしてそれは正式なプレスコンファレンスとして発表されたのよ。

それなのに実際に申請など始めたらことごとくNOだった。マラソンやカーニバルで実際に御堂筋を止めているのだから物理的に可能なはずなのに、けんもほろろの「NO」しか返ってこない。あれほど大見得切った雨ガッパもイソジンも協力どころか音沙汰さえ無し。御堂筋がダメならせめて四ツ橋筋で、というのもダメ。おかげで市街地での大規模カーチェイス案は潰れた。

こういった情報は当然ながら一晩で香港映画界に行き渡る。「ある程度の予算があり、大規模なシーンを日本で撮りたい映画は全て大阪を避けろ」という言葉が一時期流れたことがある。今だから暴露できるけど。この合言葉は香港映画界においては今はもう影も形も無いけれど、首長がいまだに雨ガッパとイソジン(当時とはリバースしているとはいえ)なのは痛いよね。

『Man Hunt』の話は延々続くよ。(続)

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