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私の好きな作家「やなせたかし」詩と絵本とイラストと

「やなせたかし」さんと言えば、アンパンマンのアニメが有名ですね。

でも、私にとっては。

やなせたかしさん、と言えば、心にグッとくる素敵な詩や、絵本や、イラストなどを描かれるとても素敵な作家さんなのです。


やなせたかしさんは、1919年2月6日に東京で生まれたのだそうです。

やなせさん、と言うと直ぐに高知をイメージしますが、東京生まれだったのですね。

しかし、新聞社の特派員として派遣されていたお父様が、中国でお亡くなりになられたために、やなせさんご家族は、お父様の縁故のある高知市に移住されたのでした。

その時、弟さんは、開業医を後免町(現・南国市)で営んでいた伯父に引き取られる事に成りますが。その後、お母様が再婚されたため、やなせさんも、同じく伯父に引き取られて育てられる事になったのです。


やなせさんは、官立旧制東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学工学部デザイン学科)卒業後、徴兵され中国戦線に送られましたが。

暗号を担当する下士官であったために戦闘に参加する事はなかったようです。

しかし、弟さんは、乗船していた駆逐艦が撃沈されてしまい戦死されています。


終戦後、やなせさんは、戦友たちとクズ拾いの会社で働いたそうですが、絵への興味が捨てがたく1946年に高知新聞社に入社しました。

その後、上京し漫画家を志しますが。
貧乏が嫌だったので、三越の宣伝部と漫画家を兼業し、三越の給料よりも漫画での収入が上回ったので漫画家として独立しました。





しかし、ストーリー漫画が全盛の時代に成り、漫画家としての仕事が激減してしまったのです。

そこで、やなせさんは、舞台美術制作や放送作家や、作詞(手のひらを太陽に・教科書掲載)や、テレビ出演などの仕事をしていたそうです。



1960年代半ばになると、やなせサンは、山梨シルクセンター(現サンリオ)との交流が切っ掛けで、詩(サボテンの花・教科書掲載)や絵本やイラストなどを描くようになります。




1970年代になると、雑誌『詩とメルヘン』を立ち上げます。

この頃、大人向けに描かれた、初代アンパンマンを、子供向け絵本に描き直し発表しますが、評価は散々なものだったようです。(私は、初代アンパンマンも大好きですが)



しかし、絵本アンパンマンの読者(子供たち)からは、徐々に人気を得るようになります。

そして1988年に、ついにテレビアニメ、「それいけ!アンパンマン」が日本テレビで放送開始されます。

しかし、最初はスポンサーやネットする放送局も少なく危ぶまれましたが。

まもなく、それいけ!アンパンマンは、大人気番組となったのでした。





やなせさんの絵本は、詩的でイラストも可愛くて優しい物語が素敵です。








参考 

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アートとメルヘンと創作の森

2023.5.23 11.22加筆

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