マルクスのエコロジーと「物質代謝の亀裂」——斎藤幸平氏『大洪水の前に』を読む
著者の斎藤幸平(さいとう こうへい、1987 - )氏は、日本の哲学者、経済思想家、マルクス主義研究者。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。フンボルト大学哲学博士。本書『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』は彼の博士論文(ドイツ語)の英語訳『Karl Marx's Ecosocialism(カール・マルクスのエコ社会主義)』を元にしたものであり、これにより権威あるドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少で受賞している。本書は世界9カ国語で翻訳刊行されている。日本国内では、晩期マルクスをめぐる先駆的な研究によって日本学術振興会賞受賞。『人新世の「資本論」』(集英社)で新書大賞2021を受賞し、ベストセラーを記録した。
マルクスの「資本論」といういわば「古典」の若き哲学研究者が、現在ここまで脚光を浴びているというのは驚くべき事態かもしれない。それも新自由主義・資本主義による際限のない環境破壊や気候変動の問題が背景にあると思われる。実際に、斎藤氏が提言しているのは、マルクスの「エコロジー」の考え方を現在の資本主義社会の限界を超えるため、あるいは気候変動と環境破壊の対策を考えるために応用するということなのである。
本書の趣旨は明快である。それは「マルクスの資本主義経済学批判は、エコロジーの観点をもってしてはじめて、その体系性を十全に展開できる」ということである。実際、英語圏を中心に「マルクスとエコロジー」というテーマは大きな進展を見せているという。その意義で、「エコ社会主義(ecosocialism)」という用語も使われ始めている。マルクス主義におけるエコロジーの観点は、傍流にあるものではなく、むしろその中心に位置するものであり、エコロジーの視点がなければマルクスの経済学批判の正しい理解はできないという。
例えば、マルクスの「物象化論」というものがある。「物象化(Versachlichung)」とは「人と人との関係が物と物との関係として現れること」である。商品経済においては、労働の社会的性格が商品の交換価値として現れ、労働と労働の関係が商品と商品の関係として現れる。このことをマルクスは、元々はソフトなものである人間の関係性が、ハードである「物」に転換されているという意味で「物象化」と呼んだ。正確には「物(Ding)」と「物象(Sache)」は異なり、商品経済の中で社会的性格である「価値」を付与されたものが「物象」である。このことは近代社会において重要な意味をもつ。人と人の関係が、物と物との関係に「転倒」していくとき、私たちはこの「物象」の運動によって支配されていくのである。この「物象化」とう現象はいつしか軋轢を生み出す。斎藤氏によれば、この物象化の矛盾も、エコロジーの観点において顕在化するという。マルクスの「資本論」においては、資本の論理による「素材的世界」の変容と、それが引き起こす矛盾がその中心的なテーマであるというのだ。それを「物質代謝の亀裂(metabolic rift)」という重要な概念で斎藤氏は示している。
「物質代謝」とはあまり聞き慣れない用語であるかもしれない。しかし、エルンスト・ヘッケルが1866年に、植物、動物そして人間が織りなす総体的連関を「エコロジー(Ökologie)」と呼ぶ以前には、同様の事態はしばしば「物質代謝」という生理的概念を用いて考察されていた。マルクスも、この生理的概念を用いて、哲学・経済学の用語として使用し、経済学批判における重要概念として用いるようになった。人間は「労働」を通して、意識的かつ合目的的に世界へ関わる。このため人間は自由な形で自然との物質代謝を取り結ぶ。その結果、恒常的な人間と自然の物質代謝は、労働の社会的あり方に照応する形で大きく変容されていく。つまり、資本主義が極めて深刻な環境危機を引き起こすのは、人間と自然の「物質代謝」を媒介する「労働」が質的に変容していることが重要なのである。この結果、自然において「撹乱」がおき、「物質代謝の亀裂」が生じる。このことが資本主義が生み出す矛盾であると、マルクスは主張していたのである。
となると、私たちが現在の気候変動と環境問題にかかわるときに、マルクスの「物質代謝の亀裂」の概念、そして「労働」を通していかに「素材的世界」に関わるかは大きな観点を示してくれるだろう。資本主義による資本蓄積そのものが素材的世界に撹乱をもたらすとすれば、資本蓄積や労働の「物象化」を超えるようなあらたな世界との関わり方が問題となるだろう。それはおそらく「労働」という概念を一変するような、世界との関わり方になるのではないだろうか。