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機会の平等より条件の平等を——サンデルによるメリトクラシー社会への処方箋

こんにちの社会には、条件の平等があまりない。階級、人種、民族、信仰を超えて人びとが集う公共の場はきわめてまれだ。40年に及ぶ市場主導のグローバリゼーションが所得と富のきわめて顕著な不平等を生んだため、われわれは別々の暮らし方をするようになってしまった。裕福な人と、資力の乏しい人は、日々の生活で交わることがほとんどない。それぞれが別々の場所で暮らし、働き、買い物をし、遊ぶ。子供たちは別々の学校へ行く。そして、能力主義の選別装置が作動したあと、最上層にいる人は、自分は自らの成功に値し、最下層の人たちにもその階層に値するという考えにあらがえなくなる。その考えが政治に悪意を吹き込み、党派色をいっそう強めたため、いまでは多くの人が、派閥の境界を超えた結びつきは異教徒との結婚よりもやっかいだと見なしている。われわれが大きな公共の問題についてともに考える力を失い、互いの言い分を聞く力さえ失ってしまったのも、無理はない。(中略)
だが、共通善に到達する唯一の手段が、われわれの政治共同体にふさわしい目的と目標をめぐる仲間の市民との熟議だとすれば、民主主義は共同生活の性格と無縁であるはずがない。完璧な平等が必要というわけではない。それでも、多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要だ。なぜなら、それが互いについて折り合いをつけ、差異を受容することを学ぶ方法だからだ。また、共通善を尊重することを知る方法でもある。

マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』早川書房, 2021. p.321-323.

マイケル・サンデル(Michael J. Sandel, 1983 - )は、ハーバード大学教授。専門は政治哲学。オックスフォード大学にて博士号取得。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者として知られる。著書『これからの「正義」の話をしよう』は世界各国でベストセラーとなり、日本でも累計100万部を突破した。

本書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』はサンデルの2020年の著作 "The Tyranny of Merit"(メリットの専制)の邦訳である。サンデルの思想の特徴は、民主的なコミュニティを通じた「共通善」の追求を掲げ、功利主義や市場主義を厳しく批判することにあるとされる。その立場から本書では、「メリトクラシー(能力主義、功績主義)」をサンデルはさまざまな角度から批判する。

メリトクラシーとは、イギリスの社会学者・社会活動家マイケル・ヤングが、1958年に著した "The Rise of the Meritocracy"(邦訳『メリトクラシーの法則』)で提起した言葉である。それは、IQと努力により獲得される「メリット(merit)」に基づいて、人びとの職業や収入などの社会経済的地位が決まるしくみをもつ社会のことを意味する。なお「メリット」には、能力、功績、美点などさまざまな翻訳語がある。メリトクラシーを「能力主義」とイコールと考えるとやや誤解を生む。そのため、本書ではメリットが文脈によって「能力」「功績」などと訳し分けられている

サンデルは、このメリトクラシーが、なぜ、いかにして支配的になり、それがいかなる弊害をもつに至っているかを、豊富な事例やデータを示しつつ縦横に論じている。メリトクラシーの弊害を、サンデルは以下のように述べる。第一に、メリトクラシーが人びとの連帯を蝕み、グローバリゼーションに取り残された人びとの自信を失わせること。第二に、それが学歴偏重の偏見を生み出すこと。第三に、それがテクノクラートのうぬぼれを助長し、民主主義を腐敗させることである。

サンデルは「メリトクラシー」のもっとも典型的・中核的な事象とみなしちえるのは、大学——特に威信の高い有名大学——の「学歴」である。しかし、サンデルの射程は、学歴の問題にとどまらない。本書の第1章で、2016年の大統領選挙におけるトランプの勝利の背後に、労働者と中流階級がメリトクラシーの「勝者」であるエリートに対して抱くようになった憤懣があったことを論じている。第3章では、メリトクラシーが「責任」「努力」「意欲」などのレトリックと結びつくことにより、実際にはきわめて不平等である社会体制と、困窮者への侮蔑と放置を正当化する機能を果たしてきたことが述べられる。その他、第7章では労働に焦点を当て、メリトクラシーの中で失われてきた労働の尊厳を回復するための方向性が検討される。終章では結論として、消費者的共通善ではなく市民的共通善、機会の平等ではなく条件の平等が、「メリット」の専制を超えてゆくためには必要であると結んでいる。

このような検討をふまえてサンデルは次のことを対処策として提唱する。まず大学入試については、社会階層別アファーマティブ・アクション(積極的差別是正装置)と適格者のくじ引きによる合否決定、技術・職業訓練プログラムの拡充、そして名門大学における道徳・市民教育の拡大である。また、労働や福祉については、賃金補助と消費・富・金融取引への課税を重くすることによる再分配である。

しかし、サンデルは、メリトクラシーに対して批判的ではあるが、その全廃を主張しているわけではない。職業訓練プログラムや大学入試の適格者主義、「社会的に評価される仕事の能力を身につけて発揮」することについては、否定どころかむしろ強く主張しており、知識やスキルの形成とそれに適した立場に就くこと自体は擁護している。サンデルの主張は、従来の著作の延長にあるものであり、「共通善」や「道徳」を強調する。共通善(特に市民的共通善)を実現するためには、機会の平等よりも、条件の平等が必要である。そのことを以下の文章のように強調している。「多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要だ。なぜなら、それが互いについて折り合いをつけ、差異を受容することを学ぶ方法だからだ。また、共通善を尊重することを知る方法でもある。」


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