晩年のフッサールの思想「生活世界」——我々は他者とどのように出会うのか?
晩年のフッサールの思想「生活世界(レーベンスヴェルト)」は良く知られた概念である。簡単にいうとそれは、社会的であれ歴史的であれ身体的であれ、私たちが日常ほとんど意識せず、当たり前のこととして行動を起こす文脈のことである。私たちはふだんとくに意識的注意を身体にほとんど向けていないが、ほぼどんな経験においても「身体化している」感覚が重要な部分をなす。フッサールによれば、私たちは他者と出会ったとき、相手もまた「自身の身体にふさわしい生活世界」を持つ存在だということを暗黙のうちに知る。身体、生活世界、自己受容感覚、社会的状況のすべてが結びついて、自分は世界のなかの存在だという意識ができあがる。
しかし、これは前期フッサールの考え方からすれば、とても大きな変化である。以前のフッサールの考え方によれば、他者とは自己と同様のものが類推的に存在することを確信するだけの存在であった(したがってそこでの他者は「他我」と名付けられる)。人間は知覚直観によって物体としての認識を構成し妥当していくことができるが、「他者」の妥当にかぎっては、特殊な構成方法を採らざるをえない。フッサールはこれを空間的位置関係に喩えて、「自己の身体」がここにあり「他者の身体」がそこにあると仮定した場合、「もし私がそこに身を置いたならば、他者の身体は、同様の現れ方をするであろうものである」という。すなわち「自己」と「自己の身体」の密接な根源的関係から「類比」して、「自己」ではないが「自己」と同様のものがそこに存在するはずだという確信が得られるというのである。そうして「他我」は構成的に存在することになる。
このように非常に内省的であり観念的な「他者」の概念は、後期フッサールにおいては大きく変化し、世界の文脈の中に同時に織り込まれているような相互的な存在として自己とともに他者はあらわれてくる。ここには、もしかしたら弟子のハイデガーの思想の影響があるかもしれない。ハイデガーにとってあらゆる「世界内存在」は「共同存在(ミットザイン)」でもある。私たちは他者との「共同世界(ミットヴェルト)」に暮らしている。ハイデガーによれば、他者とは「人が自分自身とおおまかに区別せず、自分もそのなかに含まれる人々のことである」ということになる。あるいは、フッサールの考え方の変化には、「環世界(ウムヴェルト)」の概念を提唱した生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルの影響も見てとれる。ユクスキュルは、動物が種によって異なる「環世界」を経験をしていると考えた。例えば、犬は匂いが豊かで色の乏しい世界に生きている。いずれにしても、後期フッサールにおいては「身体性」の考え方が際立っている。そしてこれは、フッサールの別の後継者であるメルロ=ポンティにとって、画期的な考え方だった。
身体性の感覚にもとづいた「生活世界」の考え方を、フッサールの未発表原稿のなかで発見し、再生させたのはモーリス・メルロ=ポンティである。1930年代ヒトラー政権が成立後、フッサールはユダヤ人であったため職を追われ、ドイツに留まったまま1938年に逝去する。後に残された大量の原稿をどのように安全に移送し保管するかが大問題であった。45000ページに及ぶフッサールの遺稿はベルギーの神父ファン・ブレダの手によってナチスの検問を奇跡的に逃れ、「フッサール文庫」としてルーヴェン大学に保管された。
ルーヴェン大学を訪れて、最初のフッサール文庫を閲覧した人物のひとりが、メルロ=ポンティであった。1939年4月、彼はとくに関心のある知覚についての現象学を研究するため、ルーヴェン大学に1週間とどまり、フッサールが『イデーン』と『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』に書き加えようとしていた未編集や未刊行の原稿を読みふけった。メルロ=ポンティは、晩年のフッサールの考え方が以前の内省的・観念論的なものとは大きく変化していることに気づく。晩年の思想では、人間が他者に寄りそうとともに、感覚経験に身を浸して存在する点を重視していたのだ。そして、この考え方は「知覚の現象学」を研究し、「身体性」を軸に新たな現象学を構築していくメルロ=ポンティへと受け継がれていったと言えるだろう。