サリンジャーの「小さきもの」たちへのまなざし——『ライ麦畑でつかまえて』を読む
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919 - 2010)は、アメリカ合衆国の小説家。1951年刊の『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』が代表作である。
サリンジャーは、1949年頃、コネチカット州ウェストポートに家を借り執筆生活に専念、『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始した。1950年秋『ライ麦畑でつかまえて』が完成する。当初ハーコード・プレスから作品は出版される予定だったが、「狂人を主人公にした作品は出版しない」と出版を拒否される。結局リトル・ブラウン社から刊行された。文壇からは賛否両論があり、また保守層やピューリタン的な道徳的思想を持った人からは激しい非難を受けた。しかし主人公ホールデンは同世代の若者からは圧倒的な人気を誇り、2007年までに全世界で6000万部以上の売り上げを記録。2010年代以降でも毎年約50万部が売れているとされる。
主人公は高校を放校となった17歳の少年ホールデン・コールフィールドで、クリスマス前のニューヨークの街をめぐる話である。一人称で語られる本作は、彼のまわりのさまざまな出来事がホールデンの目線からひたすら真正直に語られていく。どんなに「立派」な大人たちも、彼の目線からはとことんこきおろされてしまう。スペンサー先生に対しては「でも先生みたいな人のことを考えすぎるとね、いったいこの人は何のために生きているんだろうって、君はつい思い悩んじまうわけだ」となるし、同級生の母親に対しては「相手はやっぱりなんといっても母親なわけだからね。そして母親ってのはさ、みんなちょっとずつ正気を失ってるものなんだよ」となる。
この作品はよく「永遠の青春小説」と紹介されたり、青年たちのバイブル的な扱いをされたりしている。しかし、実際に読んでみると、主人公ホールデンの心には、とてつもない深い傷があるように思えるのだ。彼の心の屈折は、思春期の通常のそれとは程度や質が異なるもののように思える。彼は世の中のほとんどのものに対してシニカルな態度で、こきおろしていく。「インチキ(phony)」なやつらがいかに多いか。学校で花形のスター扱いされているフットボール選手の中身の無さ。教師たちの無能ぶり。宗教的な劇を演じている役者たちはすぐ裏で煙草をぷかぷかふかしている。善人ぶっているやつほど人を落ち込ませる。彼にとっては世の中の華美なものはすべて、インチキにみえてしまう。「でもさ、なにも悪いやつだけが人を落ち込ませるってものでもないんだな。いいやつにだって、そういうことができるわけだよ」。
ホールデンの心の底には「虚無」があるように見える。それは絶望というものでもない。絶望には、その前提として何かに期待するという心理がある。ホールデンは、そもそもこの世界に対しての希望や期待をもっていないようだ。彼はこの世界にはそもそも意味がないという深い虚無感に囚われているようにもみえるのだ。
しかし、そんなニヒリスティックなホールデンの心をとらえるものがいくつかある。それが「小さきもの」たちだ。オーケストラの中では派手な奏者ではなく、一番目立たないようなティンパニー奏者がホールデンの心をとらえる。「イエスがほんとうに気に入るのは、きっとそこのオーケストラでティンパニーを叩いているひとなんだよ」。セントラルパークにある池のアヒルたちが、池が氷りつく冬にはどこに行ってしまうのかがホールデンは気になってしょうがない。そしてタクシー運転手に「あのアヒルたちは冬にはどこに行くのか、知らないかい?」と聞いて「バカにしてるのか?」とキレられてしまう。
ホールデンが通りを歩いていると、車道の脇を歩いている小さな男の子が目に止まる。彼は歩道ではなく、車道の脇をまっすぐ歩こうと必死にがんばっている。そしてある唄をハミングしている。「ライ麦畑をやってくる誰かさんを、誰かさんが捕まえたら」という唄だった。彼は意味もなくそれを歌っているのだろう。車がそのわきをスピードを出して通り過ぎていく。両親はその子に注意を払っていない。しかし、ホールデンはその子の歌を聞いているうちに、気持ちが晴れてくるのである。
ホールデンの虚無感は、おそらく戦争機械のように進んでいく社会からきている。一箇所だけ戦争の話が出てくる。兄のDBが戦争に行ったという話である。4年間従軍した兄は、Dデイにも参加した英雄だ。しかし、家に帰ってきた「兄はほとんどまる一日ベッドで横になっていた」。そして「もし誰かに向けて銃を撃たなくちゃならないとしたら、どっちに銃口を向けりゃいいのか考えちまう」とホールデンに語る。兄は戦争神経症(今でいうPTSD)にかかっていたことは間違いない。そして、これはサリンジャー自身にあてはまることなのである。サリンジャーは入隊後、1944年6月にノルマンディー上陸作戦(Dデイ)に一兵士として参加し、激戦地の一つユタ・ビーチに上陸。同年12月にはバルジの戦い、その後にはヒュルトゲンの森の戦いに従軍した。これらの連戦により、サリンジャーが配属された第12歩兵連隊は、3080人のうち、 すでに2517人が戦死していたといわれる。1945年4月、ダッハウ強制収容所の外部収容所を解放する任務に参加し、ホロコーストを目の当たりにしている。そこにはドイツ敗北前に「処理」された数百体の焼死体が残されていた。これらの経験からサリンジャーは精神的に追い込まれていき、ドイツ降伏後は戦闘神経症と診断され、ニュルンベルクの陸軍総合病院に入院している。つまり、兄のDBというキャラクターは、戦争神経症となったサリンジャー自身からきている。
そして、主人公のホールデンの虚無感は、戦争機械として化し、一人ひとりの人間をけしつぶのように扱って顧みることもしない現代社会や大人たちの社会に対する虚無感である。生きていることには何の価値も意味もないのだ。そんなホールデンにも心の支えのようなものがあるとしたら、それが「小さきもの」たちではなかっただろうか。セントラルパークのアヒルたち、車道の脇をハミングしながら必死に歩く少年、そして妹のフィービーである。妹のフィービーが、ホールデンがあげた赤いハンティング帽をかぶって歩いている。それを見るとホールデンは幸せになる。このハンティング帽は「小さきもの」の象徴なのではないだろうか。