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人間を正気に保つものは「正統」という人類の知恵である——チェスタトン『正統とは何か』を読む

人間を狂気に駆り立てるものは今まで見てきたとおりであるとして、それでは人間を正気に保つものはいったい何か。この疑問にたいする最後的な回答は⋯⋯今ここで、まったく実際的な観点から、ごく一般的な回答を出しておくこともできなくはない。現実の人間の歴史を通じて、人間を正気に保ってきたものは何であるのか。神秘主義なのである。心に神秘を持っているかぎり、人間は健康であることができる。神秘を破壊する時、すなわち狂気が創られる。⋯⋯大事なのは真実であって、論理の首尾一貫性は二の次だったのである。⋯⋯このように、一見矛盾するものを互いに釣り合わしてきたからこそ、健康な人間は晴れ晴れと世を送ることができたのである。神秘主義の偉力の秘密は結局こういうことである。つまり、人間は、理解しえないものの力を借りることで、はじめてあらゆるものを理解することができるのだ。

G.K.チェスタトン『正統とは何か(新版)』安西徹雄訳, 春秋社. 2019. p.38-40.

ギルバート・キース・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton、1874 - 1936)は、イギリスの作家、批評家、詩人、随筆家。ディテクションクラブ初代会長。ロンドン・ケンジントンに生まれ。セント・ポール校、スレード美術学校に学ぶ。推理作家としても有名で、カトリック教会に属するブラウン神父が遭遇した事件を解明するシリーズが探偵小説の古典として知られている。著書に『異端者の群れ』『正統とは何か』『人間と永遠』『木曜日の男』など多数。

本書『正統とは何か(Orthodoxy)』は、1908年に出版された著作であり、チェスタトン自身の思想的な旅路を描いた一種の知的自伝である。本書は、彼がいかにしてキリスト教(特にカトリック的世界観)を受け入れるに至ったかを論じながら、現代の合理主義や懐疑主義に対する批判を展開している。また、伝統に内包されている人類の知恵を洞察しつつ、保守主義の思想に連なる考えを披瀝し、「正統」という思想から相対主義を批判したものと捉えることができる。

チェスタトンは、冒頭に引用した「脳病院からの出発」という章において、「正気は理性から生まれるものではない」ということを主張する。「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆるものを失った人である」と言うのである。というのも、特に統合失調症患者と話をしたことがある人なら分かるだろうが、彼らの考えは非常に「合理的」なのである。「病人はのんびり無意味なことなどやっている余裕はない」とチェスタトンは言う。彼らの論理の中で、彼らの辻褄は合っている。つまり、彼らの精神は「完全な、しかし偏狭な円を描いているのだ」と。

現代で言えば、例えば「陰謀論者」と話すときに私たちは同じような思いを抱くかもしれない。彼らの中で辻褄は合っており、それに論理的に反駁することは容易ではないのである。「狂気の最大にして見まごうかたなき兆候は、完璧の論理性と精神の偏狭とがかく結合していることにある」とチェスタトンは喝破する。彼らと話すときに論理的な穴を突くことは得策ではない。むしろ「空気抜きの穴を開けてやること」のほうが大事である。例えば「自分はイギリス王だ」と言う男に対しては、論理的にそれに反対するのではなく、一旦それが(彼にとっては)事実であることを認め、「君はたしかにイギリスの王様にちがいあるまい。しかし、だから一体どうだというのだ。それならもう一つ乾坤一擲の大事業をやってのけて、ただの人間になったらどうだ」と言うのである。

そしてチェスタトンは、現代的思想、つまり唯物論や懐疑論など、ある種「合理的」とされる思想も、「狂気」と同じようなものだと批判する。なぜなら、彼らの論理はその中では完全な円を描くように合理的であるのだが、それは偏狭な円を描いているに過ぎないからである。チェスタトンにとっては、現代のほとんどの思想家が「無限の理性と偏狭な常識との結合」という特徴を持っているように見える

チェスタトンは、そうした現代思想が正しいかどうかを問題にしているのではないという。むしろ「健康かどうか」を論じているのだ。「自分はキリストだ」と思い込んでいる男に対して、彼の妄想が虚妄であると立証しようとはしない。ただ「どちらも完全だがどちらも不完全であるということ、そして、どちらも同じ性格の完全であり不完全である」ということを主張する。唯物論者にとっては、宇宙は完璧に磨き上げられた機械のようなものである。しかし、そこに欠けているものはもっと曖昧で不確実で非理性的なものである。つまり、正気な人間ならみな知っている、自分の中の動物的な一面や悪魔的な一面、聖者の一面、そして市民の一面というような具体的なものである。

理性だけを拠り所にした思想は、いずれ狂気にたどり着く、とチェスタトンはいう。それならば、人間を正気に保つものは何か。現実の人間の歴史を通じて、人間を正気に保たせてきたのは何であるのか。それは「神秘主義」だという。この「神秘」を破壊するとき、すなわち狂気が創られる。大事なのは「真実」であって、論理の首尾一貫性の大事さは二の次である。人間の歴史において、かりに真実が二つ存在し、お互いに矛盾するように思えた場合でも、矛盾もひっくるめて二つの真実をそのまま受け入れてきたのである。

一見矛盾するようなものを互いに釣り合わしてきたからこそ、健康な人間は人生を晴れ晴れと過ごすことができたのである。人間は、理解しえないものの力を借りることで、はじめてあらゆるものを理解することができる。それをチェスタトンは「正統」と呼ぶ。人間が長く持続してきた感情、いいかえれば伝統と化した感情だけが理性に確かな前提を与えてくれる。「正統」とは、伝統に内包されている人類の知恵のことである。正統とは、「荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡」のことであり、いわばそうした平衡感覚を与えてくれるものなのである。

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