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明治維新時の神仏分離の前に思いを馳せよ——島薗進氏『教養としての神道』より
稲荷信仰の例からわかるように、現在、神道の施設と思われているもののかなりの部分は、明治維新以前は神仏習合の体制の中で存続してきた。神祇信仰は神仏習合の中でこそ根強く生きのびてきた側面が大きい。そこで、神道の歴史をみるときには、明治維新後の神仏分離について把握しておくことが不可欠である。
日本全国の賑やかな参詣地の過去を考えるときは、明治維新以前の姿を思い浮かべる必要がある。京都の八坂神社の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)とされているが、神仏分離以前は牛頭天王(ごずてんのう)が前面に出ており、祭祀施設の名前は祇園感神院である。「祇園精舎の鐘の声」といわれるように、インドで釈迦が説教をしていた精舎(寺院)の一つ祇園精舎の名前をとった神の名だが、感神院(かんじんいん)と称した。牛頭天王はインドから来た神なので仏教風ということになる。牛の頭が上に載る牛頭天王はインド由来の仏教守護神で、祇園大明神ともよばれた。このように明治以前の祇園信仰の実態は仏教色の濃いもので、疫病を防ぐために行われた祇園祭りもこうした霊威神をお祭りする行事として行われていた。
島薗進(しまぞの すすむ、1948 - )氏は、日本の宗教学者。大正大学地域構想研究所客員教授。グリーフケア研究所客員所員。東京大学名誉教授。上智大学神学部特任教授。グリーフケア研究所元所長。
本書『教養としての神道―生きのびる神々』では、神道の起源、神道とは何か、古代の神々の祭祀はどのように現代まで生きのびてきたのかといったことを中心に一般向けに解説された書籍である。しかしその内容は非常に専門的な解説も含み、大変読み応えのあるものとなっている。
全体は三つの部に分かれ、「神道はいつからあるのか」という起源問題の考察、古代から中世までの神道の歴史、近世から現代までの神道の歴史を述べるという内容となっている。特に最初の神道の起源問題については、日本の学界においても異なる答えがあって定見がないという。これと大いに関係があるのが、神仏習合の時代の神祇信仰をどうみるのかという問題である。仏教に従属しているようにみえても、根強く神祇信仰は存在してきた。
このことを確認するには、まず明治維新後の神仏分離によって何が起こったのかをみていく必要があるという。島薗氏は、日本全国の賑やかな参詣地の過去を考えるときは、明治維新以前の姿を思い浮かべる必要があると述べる。例えば、京都の八坂神社の祭神はスサノオノミコトとされているが、実は神仏分離以前(つまり江戸時代以前)は牛頭天王が全面に出ており、名前も八坂神社ではなく祇園感神院という名前だった。つまり仏教色の濃い神仏習合の寺社だったのであり、祇園祭りもこうした牛頭天王というインド由来の仏教守護神をお祭りする行事だったのである。
明治維新による神仏分離の傷跡は全国各地で見られるという。たとえば日光では、今でも神道と仏教、東照宮と輪王寺が争っているという。天台宗輪王寺は奈良時代に創建された由緒ある寺院で、徳川家との関係が深く、徳川家康の死後、その輪王寺に神格となった東照宮という神道施設が建設された。東照宮は輪王寺の配下にあったが、明治の神仏分離によって日光東照宮は独立して神道の神社となった。それによって、利権をめぐって難しい問題が起きた。東照宮を建立した三代将軍、徳川家光の廟所、大猷院(だいゆういん)は今も輪王寺にある。廟は中国で先祖を祀る施設にあたる。日本の神社は一部が廟風で、東照宮も廟的な意味をかなりもっているはずだが、今は神道の施設となっている。
同様に金毘羅信仰も神仏分離の影響を受けている。金毘羅は修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)(伝634 - 701)が象頭山(ぞうずさん)で感得してインドから飛翔した神という由来伝承があるが、金毘羅大権現の信仰として流行したのは江戸時代である。金毘羅はクンビーラというガンジス川のワニの神で、女神ガンガーの乗り物ということから、海上交通の神、つまり船を守る神として信仰された。天狗信仰も関わっている。現在の金毘羅山は、江戸時代は象頭山松尾寺金光院という仏教寺院だったが、明治維新後は金刀比羅宮という神社になり、松尾寺は小さな施設となってかろうじて存続している。金毘羅信仰は明治維新後に仏教色を排除して、大物主(おおものぬし)を主祭神とする神道施設として出直したものである。
明治維新の神仏分離によって、かつては大きな神仏習合施設として盛んな信仰であったものが、むりやり神仏分離で分けられたという実態がある。霊威ある神として人々を引き寄せた日本の神々については、神仏分離以前と以後の違いをよく考える必要があると島薗氏は述べる。