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民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

聖道門(しょうどうもん)に於ては、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」とか、「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」とか教え、是等の言葉に究竟の理法を托した。その前後に置く対辞は何なりとも、中に差挟まれた「即」の一字に凡ての密意がかかる。「即」に成仏があるのである。「即」を離れて往生はないのである。「即」が往生するのである。浄土門でいう六字の名号も、偏えに「即」を凡夫に握らせたいためである。名号が衆生(しゅじょう)と仏とを不二ならしめ、娑婆(しゃば)を寂光に即しめるのである。だが「即」と「同」とをゆめゆめ同じだと受取ってはならない。どうして人と仏とが同じであり得よう。だが同じであり得ない不幸のままに、人が仏に結ばれる幸を説くのが「即」の教えである。名号は人の善悪などを選びはしない。悪人は悪人のままに名号に結ばれるのである。この場合、悪人でよいと云っているのではない。名号のみがよいと云っているのである。悪人などどうしてよい筈があろう。だがその悪から離れ得ない人間も、離れ得ないままに名号を称え名号を聞き、かくて名号に即すると、往生は決定し不退転の座を占める。だから人に往生があるのではなく、名号に往生があるのである。それ故名号あっての人間である。
かく考えると美も亦「即」の法界にあることが分る。それは個人の如何に左右されない。才なき者も愚な者も、悉くその法界のさ中に活きているのである。それ故この法性に在らば何人も美に居る人以外ではない。拙な者も拙なままで美に結縁されているのである。洩れなく誰にもそう仕組まれているのである。これが「無有好醜」の悲願である。
かかる美の法界を説き、この法界への往生を説くことが美の法門である。

柳宗悦『美の法門』(『柳宗悦コレクション3 こころ』筑摩書房, 2011. p.121-122.)

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889 - 1961)は、日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。民藝運動の主唱者である。名前は「やなぎ そうえつ」とも読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。宗教哲学、近代美術に関心を寄せ白樺派にも参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著名な著書に『手仕事の日本』、『民藝四十年』などがある。

引用したのは『美の法門』の最後の文章。1948年、柳宗悦は繙いていた「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」第四願から啓示を受け、「美の法門」をしたためた。柳はこの願文によって、名も無き工人が生む器がなぜ無上の美と結ばれているのか、という命題を氷解させた。そこには「即」あるいは「如」と呼ばれる仏教思想の深奥が隠されていると柳はいう

「大無量寿経」には「好醜(こうしゅ)有らば正覚(しょうがく)を取らじ」という言葉がある。これによって「美の一宗が建てられてよい」と柳は説く。一切のものはその仏性においては、美醜の二を超えた無垢のものであるという。禅の思想ともつなげ、柳は美醜が現れる前の境地を追求しようとする。「自然法爾(じねんほうに)」の教え、あるいは「如」という思想である。「如」は「一」である。また「一」は「不二(ふに)」ともいう。柳は「畢竟真に美しいもの、無上に美しいものは、美とか醜とかいう二元から解放されたものである」と説く。醜さを恐れ、美しさが称えられているようなものは、真に美しくはあり得ない。なぜなら自由が欠けるからである。もっと言えば、自由たることが美しさなのである、という。

この世は二元の世界である。人は現世にいる限り誤謬だらけである。しかし元来は人は無謬である。仏の道では、不完全なままに謬り得ない世界に受取られている。本来はすべて美しくなるように出来ていると柳はいう。醜さとは、すなわち本然の様(本来の様子)から離れた姿を指す。これは私たちが二元の世界に住むからである。それでも私たちは、美醜の世界から離れることはできる。そのためには、それが二に分かれる已前(いぜん)に自らを戻すことだという。与えられたありのままの「本分」に帰ることである。それには第一は「小さな自我を棄てること」、そして第二に「分別に滞らないこと」が肝要だとする。

民藝の美しさのもとにはこうした仏教の教えである「如」や「不二」、「自然法爾」の考え方が元になる。それは現世的な人の美醜の分別を超えたものである。人が本来もっている美しさ、美醜の判断を超えたところにある自然の美しさに基づく。さらには「即」の一字が大事であると柳は説く。「即」とは、人と仏とは同じではないが、同じであり得ないままに、人が仏に結ばれるという教えである。民藝の美は、「即」の法界にある。それは個人の分別には左右されない。この「即」の世界においては、何人も美に居る人以外ではない。つたない者もつたないままで美に結縁されている。これが「無有好醜」、つまりは、美醜の二を超えた「不二」「即」「如」の世界なのである。

柳のこの文章は、「要するに民藝美論の基礎を仏の大悲に求めようと志す」ものである。柳があえて東洋的な仏語を数多く用いたのには三つの理由があるという。第一は自身が東洋人であること、第二は東洋の思想が仏教において最も熟していること、第三は他力的な見方は仏教の念仏門で最もよく代表されているからである、と柳は書いている。元々は宗教哲学者であった柳が民芸運動に身を投じたとき、仲間からはなぜ形而上的なものを扱う宗教家が、形而下の問題にかかわるのかと問われたことがあったという。しかし、柳からすれば「実は同じ仕事をしているのである」という。一つの頂きを異なる側面から見ているに過ぎない、民藝の美と宗教の真理は同じことだと柳は言う。「民藝文化がどこまでも精神文化たり得る所以は、それが宗教に根ざす限りに於てであある。この根底なくしてどこに正しい民藝論が成り立つであろう」と柳は高らかに宣言するのである。

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