マクタガートの「時間は実在しない」という主張は正しいか?——大澤真幸・永井均『今という驚きを考えたことがありますか』を読む
ジョン・マクタガート(John McTaggart, 1866 - 1925)は英国の観念論的形而上学者である。マクタガートは生涯のほとんどをトリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)の研究員・教員として送った。彼はヘーゲル哲学の解釈を行った、代表的なイギリス観念論者である。
「時間の非実在性」はマクタガートのもっともよく知られた哲学的論文である。最初1908年に雑誌「Mind」に掲載された。この論文でマクタガートは、私たちの言う時間が、間接的に矛盾しているかあるいは説明するのに不足しているので、「時間は存在しない」と主張した。
本書『今という驚きを考えたことがありますか:マクタガートを超えて』は、社会学者の大澤真幸氏と哲学者の永井均氏が、この「時間の非実在性」をめぐって対談したものであり、さらに大澤氏が「時間の実在性」として、レヴィナスの他者論と時間論を結びつけて、マクタガートの時間論を超える形で論じた一冊である。
マクダカートの主張を要約すると、彼は時間に関する二種類の言明、彼が言う所の「A系列」と「B系列」を区別した。A系列は過去、現在、未来といった時間軸上の位置を示すような表現のことで、B系列はある時点より前、より後といったことを示す表現のことである。この上で、マクタガートはA系列はB系列よりも基礎的であると論じる。時間が存在するためには、変化が可能でなくてはならない。そしてマクタガートによれば、A系列においてのみ変化が可能である。B系列によっては、いかなる変化を導くこともできない。A系列では変化が可能で、B系列では不可能だということの意味は、要するに、ある出来事が未来である状態から、現在である状態を経て、過去である状態になることだ。そして、マクタガートは驚くべきことを証明してみせる。それが「時間は実在しない」という結論である。A系列には矛盾が内在しているから、というのがその理由である。矛盾しているものは存在しない。例えば「丸い三角形」は実在しない。
このあと、マクタガートの主張にはさまざまな反論がなされた。数々の論文が書かれてきたが、誰も、決定的にマクタガートを論破することに成功していないのである。マクタガートの「時間の非実在性」は、時間の哲学の専門家の間では、知らない人がいないと言ってよいほどのインパクトがあった。この論文は1908年に書かれたものである。しかし、長らく邦訳されてこなかった。ついに、2017年にようやく、永井均氏による邦訳版が、講談社学術文庫として刊行された。
哲学者の永井均氏は、知る人ぞ知る、「他ならぬこの〈私〉」について思索に思索を重ねてきた哲学者である。なぜ永井氏がマクタガートの論文を翻訳することになったのか。それは、永井氏の〈私〉の謎と、このマクタガートが示した時間、とりわけ〈今〉をめぐる謎とか連動しているということに彼が気づいたからであるという。両者は共振している。極論すれば、二つの問題は同じ問題である、と大澤氏は述べる。
これはすごい発見である。マクタガートが見出した時間をめぐる逆説と、永井氏が執着してきた〈私〉の驚異との間に強いつながりがある、ということの発見が、私たちにそれまで見えてこなかった新しい世界を見せてくれるのではないか。この本を読むと、そんな驚くべき、そしてとても不思議で面白い世界を垣間見ることができるだろう。