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男性と女性による「まなざし同士の争い」とヘーゲルの主人と奴隷の弁証法——ボーヴォワールが『第二の性』で描き出したもの

ボーヴォワールが指摘するように、女性は実際のところ男性にとって〝他者〟である。しかし、男性は女性にとって必ずしも〝他者〟ではないし、少なくとも同じ意味の〝他者〟ではない。男はものごとを決定する立場にあり、あらゆる場面の中心にいる。男も女もそう考えがちだ。言語もこれに加担し、英語では〝man(男)〟や〝he(彼)〟が人間一般を指す場合にも使われ、フランス語でもそれは同じだ。女性はつねに男性のまなざしを受けとめる存在として自分を思い描こうとする。こちらに向かって開けている外の世界に目を向ける(鍵穴から覗く人のように)のではなく、「物」として見られる側の視点にとどまってしまう(同じ人物が、廊下の足音に気づいたあとのように)。だからこそ、女性は鏡の前で長い時間を過ごし、男性も女性も暗黙のうちに、女をより官能的でエロティックでセクシーな性として捉える。(中略)
言い換えれば、女性は人生の多くを、サルトルが〝自己欺瞞〟と呼んだ状態で、「物」のふりをして過ごす。ウェイターはテーブルのまわりを縫って歩くことでウェイターの役割を演じている。それと同じことを女性もしているのだ。女性はそれ自身で自由な〝超越的〟意識ではなく、〝内在的(超越的の対概念。状況から与えられ規定された固定的自己の内にとどまること)〟イメージを自分に当てはめる。ウェイターの場合、役割を演じるのは勤務時間だけだが、女性は一日じゅうで、そのうえ演じる範囲も広い。これはとても疲れる。なぜなら、ひとりひとりの女性の主観性は、世界の中心でいようとするのが自然なありかただからだ。その結果、あらゆる女性の内面に苦悩が生じる。だからこそ、ボーヴォワールは女性であることの問題を、典型的な実存主義の問題として見ていたのである。

サラ・ベイクウェル. 実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを (pp. 341-342). (Function). Kindle Edition.

シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir、1908 - 1986) は、フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト理論家・活動家である。20世紀西欧の女性解放思想の草分けとされる『第二の性』(1949)、ゴンクール賞を受賞した自伝小説『レ・マンダラン』(1954) など多くの著書を残した。主要著書はほとんど邦訳されている。

ボーヴォワールが『第二の性』を執筆した背景には、戦後の社会変革と知的探求の潮流があったサルトルの実存主義「存在が本質に先立つ」という考え方―は、ボーヴォワールの思想形成に大きな影響を及ぼした。彼女は、女性が生まれながらに固定された本質を持つのではなく、社会的規範や歴史的抑圧の中で作られていく存在であると主張する。すなわち、「女性は作られるもの」という有名な言葉に象徴されるように、性差は自然の必然ではなく、文化や慣習によって構築されたものであるという。

また、ヘーゲルの『主人と奴隷の弁証法』は、自己認識と他者との関係性における支配と従属の構図を示しており、ボーヴォワールはこれを女性の状況に重ね合わせた。ヘーゲルにおいて、奴隷は自らの労働を通じて主体性を獲得し、支配構造に疑問を呈する。これに照らし、ボーヴォワールは、女性が男性中心の支配体制により「他者」として扱われ、その主体性を否定され続けてきた現実を批判した。彼女は、女性がこの従属的な立場から解放され、真の自由と自己決定を実現する必要性を訴えた。

人間関係を、まなざしや視点の奪い合いの延長と捉えるヘーゲルの考えかたを、ボーヴォワールは実に創造的だと感じ、サルトルとの議論でそれを発展させていった。サルトルのほうも、「主人と奴隷の弁証法」に1930年代から興味を持ち、『存在と無』ではそれを大きなテーマのひとつにしている。「疎外されたまなざし同士の争い」というテーマは、ボーヴォワールの男性と女性による「まなざし同士の争い」へと発展した形で『第二の性」に結実したのだと言える。

このように、『第二の性』はサルトルの実存主義とヘーゲルの弁証法の思想を背景に、女性の自己形成と解放の可能性を探求する試みであり、現代フェミニズムの礎となる重要な著作である。

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