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先生の教え方への思い込み
ふと読んだことのある小説の一節を思い出した。確か、こんな内容だった。
中学生になると生徒が質問しなくなるのは、先生よりも賢いから
本当にそうだろうか?と考えながら、昔の記憶を引っ張りだすと、友達にバカにされたくないから、という理由が一番しっくり来る。
私の認識では、学校では先生 vs 生徒の構図が当たり前だと思っている。そのため、どこか先生に質問をするのに抵抗がある。自分の陣営で解決せずに、敵に与してまで分かろうとするのか、と。
優先順位として、聞く順番は友達 > 先生。先生に聞くのは最終手段、もしくは友達がいないやつ、みたい印象がある。
友達とも駆け引きがある。「私は分からないけど、みんなは分かってそう。これを聞いたらバカにされる」みたいな。今後の人間関係を考えて、分からないことを聞きに行けない。これで一人で抱え込んでしまう。私も含め、実はこういう人が多くて、成績が伸びなかったりするんじゃないだろうか。
先生にしても、そこまで難しくないテストを作ったはずなのに、採点をしたら点数が想像以上に低すぎて困った、みたいな経験あるんじゃないだろうか。
それを受けて、授業終わりに「分からないことがあったら聞きに来てください」と声をかける。けれども、誰も来ない。答えが分からぬまま悩み続ける…
私目線の話に戻ると、「自分1人で理解できないのは、先生の教え方が悪いからだ」、とつい最近まで思っていた。「教え方の上手い先生は授業を受けたあとに復習しなくても、その授業内できっちり完結する」、そう思っていた。
さらに学校教育の横並びの影響なのか、「同じことを同じ時間学んでいるのだから、他人と差が出るのはおかしい」「理解度には平等性があり、そこに差が出来るのは納得いかない」
今、考えればだいぶおかしなことを言ってる。
たとえば、同じ学年と言っても、最大で1年、生きた人生の長さが違う。子どもの1年は大きい。脳も体も成長するし、経験することの量も違う。
それで理解度が同じ、と平等性を求めるのはおかしい。
けれども、決められたカリキュラムでは、時間内に出来なければダメ、という意識は根深く染みついている。
特に結論があるわけではないが、そういう思い込みは抜けにくい。というよりも、知らないうちにそう教えられているのかもしれない。横並びでスタートさせたら大体同じ時間で同じようなところにつくよね?と。