#45 誰か一人の笑顔のために全力を尽くせる人であれ。
今、仕事にしている”子どもキャリアコーチング”のプランを画用紙を使って書いていた時、ふと思い出した。
『昔もこうやって画用紙に大きく言葉を書いてみんなの前で話していたな〜。』
高校からソフトボール部だった私は、大学に入ってもソフトボールを続けようと思っていた。そしてグラウンドに行くと、なんか隣で騒がしい部活がいた。それが、ラクロス部だった。これが、私とラクロスとの出会いだった。
ラクロスなんて、名前を少し聞いたことがあるくらいで、小さい頃にみた事があったプリキュアで少し出てきたかな〜、猫の恩返しでラケット持ってた女の子が出てきたっけな〜ってくらいしか知らなかった。
ラクロスのイメージは、ミニスカートで、なんかラケットみたいな網みたいなものを持って、女の子たちが「きゃっきゃ」しているイメージ。
私の入学した大学では、ラクロス部がノリに乗っているらしい。入学する1年前の実績は、「学生日本一」日本一になるための決勝戦まで進んでいて、なかなかの実績を残していたチームだった。
高校から運動部に入った私は、『日本一』という言葉にとてつもなく惹かれた。
『大学から始めても、”日本一”を目指す事ができる!』
気づいたら、私はもうラクロス部に入部していた。入部してからは、驚くことの連続だった。体育会系らしく、1年生は準備やら片付けやらで大忙し。先輩達は、いつでも泥んこになりながら練習していた。ミニスカートはいて「きゃっきゃ」なんて、大間違いだった。
とにかく先輩たちはかっこよかった。1年生から見た4年生なんて神様みたいで、先輩たちの試合をみるのが好きだった。
グランドを準備したり、コートの外でボール拾いをしたり、ボトルフォロー(練習中に休憩になった時に、先輩に水を持っていくこと。スーパー大切な仕事。もう死ぬ気でやってた。)そんな1年生の仕事をしながらも、先輩の近くに行けることでテンションが上がったし、たまに肩をポンっと叩いてくれたり、”ありがとう”と声をかけてくれる先輩たちが大好きだった。
『私もいつか、あの先輩みたいに試合に出て、活躍したい!』
私の1年生の頃はワクワク、キラキラしていた。(部活が忙しすぎて、大学の授業は寝てばっかりだったけど。単位を毎回落としていたのも、ここだけの話・・・)
1年生の頃の思い出で、忘れられない事がある。
週に1〜2回、練習後にラントレ(走り込みトレーニング)があった。私が一番辛かったトレーニング『600m × 3本』をした時のことだった。同じ学年で足の速い子がいた。その子とは、一緒にBチームに入って先輩たちと練習をしていた。レギュラーのAチームの先輩達は外から見ていた。
1年生で、はやくレギュラーに入って練習したかった私は、いつもラントレを必死で全力でやっていた。
2本走り終わって、体力も限界に近い。あと1本。その1本にドラマがあった。ラスト100m・・・1位でゴールできそうだと思った瞬間、横からメキメキと上がってくる子がいた。あの子だった。2人とも体力はもう限界だったと思う。だけど、お互いの全速力でとにかく走った。
外から、『いけ〜!』『ぬかせ〜!』と2人の名前を先輩達が叫んで、なおさら負けるわけにはいかない。
結果は、ほぼ同着くらいだったと思う。もしかしたら、私が少し遅かったかもしれない。2人とも木に手を当てて吐きそうになっていた。
この時、私の中で全力を尽くすことの楽しさと、仲間がいることの嬉しさを実感した。勝った、負けたよりも、この勝負が楽しくて、自分の内側で何かが燃え輝いていた。
そして、それから2年になりレギュラーになってからは、自分との長い戦いが続いた。チームに貢献することがなかなかできない。試合には出させてもらうけど、思うように動けず、モヤモヤした時が続いた。
3年では、主力メンバーになっていた。でも、自分の力はあの頃見ていた先輩には全然及ばなかった。
そして、3年の時にある大きな出来事がやってくる。
『2部降格』
数年前に日本一まであと一歩だったチームが、2部に降格した。
私が目指していた『日本一』は、叶える事ができない。
サボれる授業はサボった。家の中でひたすら泣いている時もあった。何をするにも力がわかなかった。
グラウンドを眺めて、食堂の前を通る時、立ち止まってから、一歩も動けない時があった。泣きたいけど、涙も出なくなっていた。泣いても何も解決しない。
どうしていいか、わからなかった。
ただ、3年から戦術も考えていたし、チームを引っ張っていく立場だったから、自分の力不足ということは、はっきりわかっていた。
”描いていた夢はもう叶うことができないんだ。”
最後の年に”日本一”とは、口に出すことさえ許されなかった。頭の中は真っ白で、何も考える事ができなかった。
そんな時、オフシーズンに入る前にコーチが言った。
『次のシーズンの1年間は、”誰か一人を笑顔にするため”にプレーしよう。』
この言葉を聞いて、少し前を向く事ができた。
そうか。この1年は、自分を応援してくれた人のために過ごそう。その時、頭に浮かんだのは、家族だった。いつも応援してくれる家族のために、自分のできる全力の試合をしよう。そう思う事ができた。
そんなことを考えてオフシーズンに入った。毎年、チームで学年ごとに年賀状を送る習慣があり、この年も後輩から年賀状が届いた。
その中に、こんな言葉が添えられていた。
『コーチに、”今シーズンは誰かのためにプレーしよう”と言われて、私はえぼしさんのこと思いました。』
(「えぼし」は、私のチームネームです。)
この言葉を見た瞬間に、涙が止まらなかった。
”私はまだ、後輩たちのために「やるべきこと」がある。この子達のために、この1年、全力でやり切るんだ。絶対、絶対。”
この瞬間、私の目の前は光でいっぱいになった。そう、私がやるべきことは、後輩達が、まだまだ続いていくこのチームの未来を少しでも明るくしていく事なんだ。
”後輩のため”なんて綺麗ごとのようだけれど、本当に心から”誰かのために全力を尽くしたい”と思ったのはこの瞬間が初めてだった。
それから、私たちは目標に向かって全力で突き進んだ。
目標は『一部昇格』
チームスローガン:攻波圧勝(こうはあっしょう)
攻める、波をつくる、そして全ての試合に圧勝する。それが、私たちのチームらしく、最強で最高の目標になった。
そこからのシーズンは、チームを再構築するために、厳しい選択をしなければならない時もあった。意見が割れて、たくさん話し合った。
学年ごとに意見が食い違った時、後輩は私たちに歩み寄ってくれた。納得するまで諦めずに向き合ってくれた。
個性が豊かすぎてバラバラだった4年生も、だんだん、気持ちを一つにしていった。みんな隠していたけど、熱い気持ちを持ってくれていたと思う。
全部の試合に圧勝したわけではないが、1つの引き分けと、後の試合は勝利を納める事ができた。
そして、ついにやってきた入れ替え戦。
試合の日は台風がくる予報だった。
”お願いだから、試合を開催させてください。”
神様にお祈りした。
緊張とプレッシャーで、胃がキリキリしていたから、延期なんてやめてくれ・・・と心の底から思っていた。
なんとか台風が遅れて、(それたか?)試合が予定通りできることになった。
他の大学のチームも私たちのことを応援してくれた。試合を見にきてくれたり、みんなが励ましの言葉をくれた。
チームは勝利。
”やりきった。”
結果、自分の成績は散々だった。シュート4本打って、ゴールに入ったのは”0本”。プレッシャーに弱い私らしい。
だた、チーム全員が一つになって、試合ができたことが楽しかった。みんなで全力になれた、この1年が最高だったし、何よりもこのチームで過ごせたことが幸せだった。
そんなわけで、私の学生時代は最高に幸せな状態で幕を閉じた。
だけど、私は自分の引退試合が終わっても、”引退した気持ち”になれなかった。
一つ下の後輩たちのチームの最終戦を応援に行って、みんなが”やりきった顔”をしている姿を見て、やっと”引退”した気持ちになれた。
それは、”私のために1年過ごす”と言ってくれた、かわいい後輩がいて、みんなが、自分たちのチームのために全力を出している姿を見れて、自己満足かもしれないけど、本当に幸せだったんだよね。
〈アナザーストーリー〉
この一年の目標は、もう一つあった。
”主将を支えること。”
1年生の頃から、よく一緒に練習してきた最高の友達が主将だった。
彼女は、いつも他の人や、チームのために責任を背負って、自分を追い込んで生きている人だった。
ギリギリまで溜め込んでしまう。主将になった時も、私が見ていただけで大変そうだった。もっと影でたくさんの努力をしてきてくれたんだと思う。
そんな主将を支えることができただろうか・・・。少しは力になれたと勝手に思ってるよ。
主将とは、今も連絡を取り合っているし、大切な決断をするときは相談して、いつも背中を押してくれる。今でも最高の仲間。
そんな主将の背番号が『45』だったから。
絶対にエピソード#45でこれを書きたかった。
”誰か一人笑顔のために過ごす”ことは、ものすごいパワーを生み出す。
きっと、大きな成功を成し遂げた人たちも、
”大切な誰か一人のため”
を想って創り上げたものが、社会や、たくさんの人に貢献するものになったのではないかと思う。
そんな素晴らしいことを、私は学生時代、ラクロス部で学んだ。
これからも、この言葉を大切に、創造した未来を全力で楽しんで、全力で”誰かの笑顔のため”に生きていこうと思います!!
長い、長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。
卒業してから時間が経ちますが、部活での思い出を書かせていただきました。
私のラクロス生活を支えてくれた全ての人に、感謝をこめて。