見出し画像

喪失の経験 最初の2-3か月

喪失、グリーフ
医療や福祉に関わっていると学んでくる言葉ですが、
自分事となった時
いったいだれに何を助けてもらったらいいのか、
助けてもらったところで
何のために生きていくのか
何が何だか分からなくなります。

キューブラ・ロスが有名ですが、
このリンクにある12段階がより細かく書いていて、しっくりきます。
悲嘆プロセスをケアに活用する|一般社団法人日本終末期ケア協会

今受容していこうとしている私には、
リンク先でも言っている
"受容とは、「悲しみをともに抱え自分の人生の歩みを進めていくこと」であり、「悲しみを乗り越えること」ではありません。”
という事が本当にそうだと思います。

娘が亡くなった当初何をしていたか。
本当に嵐の様な感情と思考の連続です。
あまりきちんと覚えていません。

どんな些細な刺激や行動でも悲しみになって、声をあげて泣いていました。

家の外に出るのが怖くて、ごみを捨てに行くにも、すごく覚悟をして、呼吸を整えて家を出ていました。

スーパーに行けば、娘に関連する思い出が迫ってきて、
涙は出ていないのに景色にもやがかかって、音もよく聞こえなくなりました。

気持ちを書き込める場所もいくつか渡り歩いて、
メールをしたり、電話をしたり。
数週間後には、心療内科も予約しました。
掲示板でお返事なしで書き込めるものや
書きっぱなしでいいものも利用しました。

それまで、いろんなケアに携わってきた側にいたのですが、
自死遺族の方や支援がこんな風に存在することも、初めて知りました。

娘が生きていた時に、自死を試みるかもしれないという気持ちがあったのに、その時にはたどり着かなかった情報です。

中には、家族や娘が読んでいたら別の方法を考える事ができたかもしれないという情報もありました。

でも、その時には「生きる」方向で情報を集めていたので、たどり着かないのも仕方がないのです。

せめて学校の先生に知ってほしいと、記事を印刷して渡したのも2か月目あたりだったでしょうか。

自死遺族の方のブログと
支援してくれる人が書いている事、
グリーフやグリーフケアについての動画、
自死遺族に向けた動画、
をとにかくすがる様に読んで、聞いて、
どんなプロセスをたどるのか、
同じ自死遺族でもいろんな生き方をしている人がいる、
どの様な事をして持ちこたえたのか、
どんな心理状況に陥りやすいのかを
少しずつ自分の中にストックしていきました。

娘にしてあげたかった事を自分にしてあげてください、
と言ってくれた人が居たので、それも心がけました。

気持ちを無視するのはやめよう。
無理はしないけど、繋がってくれる人とつながっておこう。
今こういう状況にいる事はおかしなことではない。
むしろ当然だ。
とりあえず夜寝て、ごはんを必要な量食べて、水分を取ろう。

そんな風に過ごしていました。

親戚や友人が来てくれるのもこの時期です。
心療内科の人もとにかく生きていてねという事を
口に出したり出さなかったりするものの、伝えに来てくれていたのだと思います。

やれることをやればいいというので、
ずっとお香を焚いていました。
お花のお世話をするのも救いでした。
49日までは、ご飯も毎日備えていました。
お葬式の事を調べていた時に、お供えしたものをこちらが食べる事で
その人の供養になると聞いていたので。

そんな風に過ごしていました。


いいなと思ったら応援しよう!