ソノカ

お花のことを仕事にするのが夢(折れそうな)。人生折り返し地点に差し掛かかり、過去の振り返り&これからのことを徒然なるままに。

ソノカ

お花のことを仕事にするのが夢(折れそうな)。人生折り返し地点に差し掛かかり、過去の振り返り&これからのことを徒然なるままに。

最近の記事

やっぱりなかなか続けられない自分。 でもたまにすごく伝えたいことが溢れる時がある。 取り留めがなくてもいい。 ゆっくりだけど辞めずにいよう。

    • 健康的な食生活って?

      健康ブームの影で 突然ですが、私は管理栄養士として働いていた時期があります。 今はいろいろありその仕事はしてないけど 勤務していた間、何となくずっとあったモヤモヤ。 今世の中を騒がせているサプリメントの件で またその感覚が甦ってきた。 健康ブームもブームといえないほどマインドが定着して、それはある意味良いことだけど、 総じて思うのは 「みんな結果をすぐに求め過ぎ!」 メディアやメーカーの煽り方も酷すぎる。 サムネイルなんて見るに耐えない。 あれ見ただけで胡散臭いと思って

      • 私を救ってくれるもの

        それは紛れもなく音楽。 小学生低学年くらいから、祖父のステレオセットの大きなスピーカーの前に座って、低音の波動を身体で感じるのが好きだった。 結婚後家を建てた時に、実家にあるであろうそのステレオセットを迎えようとしたら、 片付け好きの祖母が祖父の亡きあと 廃棄していたと知り、 しばらく立ち直れなかった。 子供の頃はテレビ黄金時代だったから、 娯楽といえばテレビ。 男の子ならゲームといったところ。 映画を見に行くとか、テーマパークに行くとか、 そんな都会的な遊び方は物理的

        • 多様性は捉え方次第

          子供でも知ってるダイバーシティ 高校生の娘も知っているフレーズ。 聞くと「多様性」と訳することはできてもその意味は「いろいろあるってことでしょ」という程度。 そういう私も、障害を持つ方やジェンダー方も同じ社会で仲良く生きていこう、のようなざっくりしたイメージでしか捉えていなかった。 web上の広辞苑では 「いろいろ異なるさま。 異なるものの多いさま」 となっている。 何か期待してたんと違う気がする。。 ではダイバーシティーの和訳はというと 「人種・年齢・性別・能力・価

          もしものための備え。あの時に実際に助かったもの。

          能登半島地震の時に手元にあって助かったものや、やっておいた方がよいことを書いておこうと思います。 ラッキーだったこと 携帯の充電器とペットボトルの飲み物がたまたまカバンの中に入っていた。 前日温泉に宿泊し、その時に宿においてあったサービスのおつまみナッツ(缶入り)を2つ持ち帰っていた。 金沢から能登に帰省するにあたり、ガソリンをフルに給油していたので、ガス欠を心配せずに済んだ。 車中避難を選択した場合でも、一旦避難所に行ったことで、毛布と水、1食分の食事(レトルトの

          もしものための備え。あの時に実際に助かったもの。

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その5

          故郷を離れて 金沢へのアタックは、予想以上の悪路と渋滞で10時間かかったものの何とか成功に終わった。 粉々になって崩落したした道。 亀裂に車のタイヤが刺さるようにはまって、車体が宙に浮いていたのを何台も横目にしながら、不謹慎だけど運転技術を試されるゲームでもクリアしていくような感覚に近くなっていった。 その間にも県外からたくさんの救急車両がサイレンを鳴らしながら反対車線を向かってきていたけど、まだ交通整理などはされておらず混沌としている状態だった。 能登をお願いします、と

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その5

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。その4

          避難所で カーナビのテレビで大津波警報を知り、どこまで被害が大きくなるのか不安になる一方で全くと言っていいほど現実味がなかった。 これは一時的な避難ではなく、実家には当分帰ることができないこと、ライフラインが断たれていること、先が全く見えないこと。。 自分の置かれている状況がどうしても受けれられず、どこか他人事のような感じもしていた。 私たち家族は、暗黙の了解で避難所には入らず、敷地内の駐車場の車中で時間を過ごしていた。 頻繁に起こる余震で、体育館のライトや器具が揺れガ

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。その4

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その3

          その後 何とか揺れが落ちついた瞬間、津波のことがすぐに頭をよぎった。 誰に、というわけでもなく「津波は?津波くるんじゃない?」と少し大きい声で問いかけると、 義兄が手元のスマホで調べたのか少し間を置いて、離れたところから「来る!」と答えた。 実家は海から5〜600m程しか離れていないため、被害に遭う可能性は高い。 後で知ることになるが、海底の構造が遠浅かそうでないか、また半島の先端という地形であることなどから、地域で被害の大小が違ったようだった。 その時は、とにかく逃げな

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その3

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その2

          そのとき ※注)これから先地震の時の様子を書いています。 不安な方は読まないで下さい。 年末から続いている喉の違和感を強く感じ、実家に到着してしてから母の部屋でしばらく眠ることにした。 他の家族は居間にあるコタツを囲んで思い思いに過ごしている。 眠ってからどれくらい経っただろうか。。 グラグラっと感じてみんながいる居間の方に行った。 結構揺れたが、母は「こんな正月から何なん〜(何なのよ!)」と、びっくりさせないでよ!という気持ちと同時に揺れが収まった安堵感からか違和感のあ

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その2

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その1

          24時間前 令和5年12月31日16時頃。 近年は1年に1〜2回、能登に住む私の実家の親族と私の家族が合同で温泉に出かけることになっていた。 そしてこの日も新年をみんなでのんびり迎えようとある温泉でリラックスした時間を過ごしていた。 上げ膳据え膳だけでも有難いことこの上ないのに、豪華な料理と温泉を満喫。 紅白をちらっと横目でみながら、それぞれ気ままに過ごす時間を共有していた。 敢えて言うならちょっと喉の調子が悪くそれが気になった程度だった。 5時間前 年が明けて金沢市内

          新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その1