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新年に起きた大変なこと。 そしてそれに纏わる色々なこと。 その3

その後

何とか揺れが落ちついた瞬間、津波のことがすぐに頭をよぎった。
誰に、というわけでもなく「津波は?津波くるんじゃない?」と少し大きい声で問いかけると、
義兄が手元のスマホで調べたのか少し間を置いて、離れたところから「来る!」と答えた。

実家は海から5〜600m程しか離れていないため、被害に遭う可能性は高い。
後で知ることになるが、海底の構造が遠浅かそうでないか、また半島の先端という地形であることなどから、地域で被害の大小が違ったようだった。
その時は、とにかく逃げないとという思いから、財布の入ったカバンだけ持ち、防寒具も身につけないまま、娘2人と主人を促して車に乗り込む。
東日本大震災で東北の方が言っていた
「津波てんでんこ」という言葉がはっきり頭に浮かんだ。
周囲を見渡すと1階がほとんど潰れていたり、前方に傾いていたり、原形のままの家は少ない。
実家は大きな被害は見られないが、ゆっくり検証している余裕もなかった。
助けるべき人がいるのかもしれないと頭を掠めるが、東北の方が残してくれたメッセージを頼りに気持ちを強くした。
一方で母、姉、義兄、甥がもう一台の車で移動するはずなのだが、乗り込んでいる様子が見られない。
母が持病の薬や必要なものを探しているようだった。
「早く!」と声をかけ、玄関から出てきたのを確認して、すぐに車を出した。
道は隆起し、亀裂が入っていたが、避難所である高台の中学校までは何とか辿り着けそうだった。
到着してみると、まだ集まっている車は多くない。
みんな大丈夫だろうかと気になったが、その後少しずつ避難する人が増えてきた。
みんな上着をしっかり着込んでいる。
自分にはその余裕がなかった。

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