うつ病マンの苦しい現状を教えよう
うつ病の診断を受けて、2年が経ちました。
20代半ばにもなって、働きもせず、大学も休学したままで、親のお金で暮らしています。
大学って難しい
治療を始めて半年した頃にはずいぶん回復して、昨年度の頭から一旦は復学したのです。しかし、学校での集団生活が大変苦痛で、再燃の引き金となってしまいました。
まず、授業という環境が苦手になっていました。大人数がひとつの部屋に集まり、雑然とした状態になります。眩しいスライドショーが正面に投影され、教員はマイクで雑音を奏でます。休憩時間はさらに酷く、喧噪で頭を揺さぶられます。私は耳を塞ぎ、泣きながら椅子に留まり続け、やっとのことで単位ギリギリの出席数を勝ち取りました。
勉強なんて難しくありません。課題は家でパソコンを叩けば終わります。試験は重要事項を覚えてさえいれば受かります。出席することが最も難しいのです。学校関係者はこのことを全然理解していません。出席さえしてくれたら課題は出さなくていい、と抜かす人すらいます。逆です。
また、大学にはびこる出来損ないの大学生連中に嫌気が差してしまいました。廊下を横いっぱいに広がって歩き、黙食の指示がある学生食堂はいつも騒がしく、プレゼンの授業では八百長の質疑応答をする。ルールもマナーも学習意欲もなっていない、こんな連中を目にするだけで、体調を崩すようになりました。
ようやく自覚したところですが、私は真面目で正義感が強くて頑張り屋のようです。うつ病になりやすい典型的なパターンの人間です。それから、他人に敏感で自分に鈍感です。人の行動をよく観察して、考えや感情を無意識かつ過剰に読み取ります。一方で、自分の感情や欲求を認識することが下手で、疲れや不満を溜め込みがちです。
こういった特性がうつ病を機に顕著になり、一般的な大学生に紛れて暮らすことが困難になったのです。
わかり合えない親
ここしばらくは「死にたい」という気持ちがなくなっていたのですが、昨日ふいに「生きるのがつらい」という感情が湧いてきました。YouTubeで“親の言う通り生きた結果”という動画のコメント欄を見たことがきっかけでした。
私の両親は、いわゆる毒親というほどの悪い親だったわけではないはずです。兄弟は両親と仲良くやっているようですし、私もしばしば連絡を取ったり食事に行ったりします。しかし、子供時代に母親から怒られたことなどを、近年は頻繁に思い出すようになりました。
些細な事です。小学生のころ、兄弟に嫌なことを言われては毎日のように泣かされていました。親に助けを求めても、泣くからいじめられるのだ、いい加減に泣くな、とまともに取り合ってくれなくなりました。
また、ピアノの練習をさせられて、言われた通りに弾かないと手を上げられました。こちらは言われた通りにしているつもりでも、親にそう聞こえなければ関係ありません。別の日に違うことを言われ、以前と違うと指摘すると、それはそれで叱られました。
うつ病になってからは親への不信感を自覚しています。親に相談しても、正論っぽいことを口にするだけで、全然私のことを心配していないことがわかってしまったからです。例えば、学校の課題が手につかないと嘆くと、サボるな、徹夜してでもやれ、と。死にたいと感じると訴えると、自殺なんておこがましい、迷惑だからやめろ、と。わけもわからず何時間も泣いていると、うるさいからいい加減泣くな、と。
精神科に通院していることを告げ、一緒に受診した後ですら、どうして精神科なんかに行ったのか、親への当てつけか、死なれたら困るから実家に帰ってこい、などなど。
苦しんでいることをわかってもらおうとしただけなのに、かかわると逆に傷つけられてしまうばかり。親ならわかってくれるだろうと期待していた自分が馬鹿馬鹿しくなり、帰郷を全力で拒否しました。
精神科なんて信用できるのか、寝てばかりじゃよくないのでは、薬なんて飲まない方がいいのでは、ひとりで引きこもっているから気が滅入るのでは、とひと通り言われましたがすべて無視して自宅で療養を続けました。すると今度は、大丈夫か、疲れてないか、しんどかったら休んでいいよ、と気遣いモードに。文句よりマシだったため、この状態で様子を見ることに。しばらくすると、うつ病患者の家族の気持ちがわかった、と豪語するようになり、苦笑するしかありませんでした。
通院を始めて2年が経ち、親は徐々に痺れを切らしているようです。なかなか良くならないね、一緒に旅行へ行きたい、など。彼らが要求するのは元気な私であり、元気じゃない私を受け入れることはやはりできないようです。
そろそろ元気ほしい
さて、現在はただ寝て食べる生活を送っています。うつ病は休んで治す病気ですから、毎日12時間ほど眠り、食べやすいものを食べ、ほとんど外出せずに過ごしています。
再燃だからでしょうか、再度休学してから半年以上になりますが、あまりよくなる気配がありません。1週間のうち1日くらい、家事をいくつかこなすことができる程度です。それ以外の日は倦怠感が強く、やる気が出ません。ゲームや動画視聴で時間を潰し、今日も何もしなかったなと感じながら床に就きます。そして、いつまでこんな生活が続くのだろうかという焦燥感に駆られます。
以前は、病気を言い訳にサボっているのだという自責の念が強くありました。ところが先日、友人が言うには、私は元気な時はあれこれ手を付けて、サボることなどないのだそうです。友人からすれば当たり前のことだったそうですが、私にとっては目から鱗でした。私自身が「サボっている」と感じるとき、それはサボっているのではなく、実行が不可能な状態らしいのです。それを知ってから、やる気が出なくて何もできないのは仕方がない、今日はそういう日なのだと諦めがつくようになりました。
とはいえ、毎日のように体が重いとつらいです。私は人並みの生活をしたいだけなのです。数時間外出して人と会っただけで、翌日寝込んでしまうとか、人の多い店や音楽のうるさい店に入ると、力尽きて歩けなくなってしまうとか、そういうことでは困るのです。
このままでは、週2,3日のアルバイトに応募することもできません。サークルの後輩と知り合いになることもできません。いつになったら、私は外の世界に居場所を作ることを許されるのでしょう。せめて、いつまで我慢すれば元気になれるのかがわかればいいのになぁ。
未来の居場所
これだけ時間をかけて休んでも元気にならないのなら、他の理由があるのかもしれません。そう考えてみて思い当たるのは、キャリアの不安です。
大学を卒業しさえすれば容易に医療職に従事することができるでしょう。しかし、大学生活をうまく送れない私にとって、あと2年ほど残っているカリキュラムを終えるのはとても難しいことに思えます。
大学中退を前提に、企業へ面接を受けに行ったことがあります。働いて人の役に立ちたい、という願望が働いていない自分の首を絞めており、就職を急いでしまったのです。学歴は重視されないものの、経験と技術が必要になる業種でした。馴染みのない業種への転身はハードルが高く、何件かの不採用通知を受け取ることになりました。
その結果、私はみんなに必要とされていないのだと落ち込んでしまいました。いったい私は、病気が治った時にどこへ行けばいいのでしょうか。外に私を待っていてくれる居場所はあるのでしょうか。
明るい将来のことを考えたくても、不安が邪魔して涙がこぼれ、そのたびに未来が嫌いになります。明日の夕食も来年の生活も悩まなくていい、そんな人生にならないかな。