【吉澤代表インタビュー(前編)】野球一家のはみ出し者がテクノDJを経てIT企業を創業するまで
こんにちは、デザイングループの折口です。
会社のことを知ってもらうには、まず社長のことを知ってもらわなければ!ということで、今回はソニックスの創業者、代表取締役CEOの吉澤にインタビューを行いました。
今回はインタビュー「前編」として、吉澤代表のルーツやパーソナリティに迫ります!
ルーツは吉澤家の”商売人の血”
最初は父親がやっていた小さい会社に入っていたんですが、自分でIT企業をやろうと思い、そこを辞めて独学でいろいろと勉強したあと、修行のためにとあるベンチャーに2年ほどお世話になりました。さまざまな経験をさせてもらって自分でやっていく自信をつけて、2002年に25歳で創ったのが「ソニックス・テクノロジー」という今のソニックスとは違うIT会社です。
その会社は2006年に別の会社と合併し、僕は副社長に就いたのですが思うところがあり1年くらいで離れることにしました。その後に音楽事業と並行して何社かの経営コンサルをやって、その縁でキヤノングループの子会社の社長を2年勤めたあと、僕はやはり起業家でサラリーマン社長は無理だなと辞めて、2010年に今のソニックスを創業しました。
noteのインタビューで登場した立花・若田はソニックス創業時のメンバーです。立花は最初の「ソニックス・テクノロジー」に新卒で入社してきたメンバーですし、若田とはキヤノンの子会社で出会いました。
▼立花さんのインタビュー記事はこちら
▼若田さんのインタビュー記事はこちら
そうですね…。うちは男三人兄弟だったんですけど、父親の会社を継ぐ約束っていうのがあったんですよ。それで小さい頃から将来会社を経営していくんだなっていう意識がなんとなくあって。
あと父方の祖父は電気メーカーをやっていて、一代で今のソニックスよりも大きい会社を作っていたし、一方で母方は銀座で小料理屋をしていて自然と周りに商売人が多かったんです。そういう環境で育ったので、「企業に就職してサラリーマンになる」という発想がもともとなかったんです。
社会に出る=自分でやるしかない、みたいな。誰に言われた訳でもないんですが、吉澤家の血といいますか…(笑)
はい。一度は父親の会社に入ったんですけど、少し合わないところがあって。野球一家のはみ出し者という感じで。
うちは父親も兄も甲子園に出ているんです。投げてはいないんですけど、甲子園準優勝するほどの強豪校で。そんな野球一家だったので僕も小学校6年生まではピッチャーをやってましたが、中学からはサッカーをやるようになったんです。そうしたら父親や兄貴とぶつかってしまって。兄は「お前はただ坊主にしたくなかっただけだろう」なんて言うし、父親もまったく応援してくれない。そんな感じで20歳くらいまでは父親や兄と犬猿の仲になってしまって(笑)
まあ、普通に仲は良いんですが、やっぱり一緒にやっていくのに難しいところがあってちょっと違うなと思って、そこから起業の勉強をし始めました。それがちょうど2000年頃で、IT界隈はこれからっていう時代。大前研一さんの「アタッカーズビジネススクール」とかそういう本を読み漁って勉強しました。
僕自身ITの知識が豊富だったわけじゃないんですけど、子供の頃にちょっとしたプログラムを書いたりしたこともあって、全く抵抗がなかったんです。やっていく自信があったかというと全然なかったんですが、まだ新しい市場だしみんな分からないだろうから、まずは挑戦してみようって感じでした。
音楽活動のエネルギーが起業の原動力に
音楽は中高時代からずっと好きで、特に19〜23歳くらいの頃はかなり力を入れてやっていましたね。最初はバンド活動からですが、19歳からテクノDJの方にいって、オーガナイザーとかやっていました。これは内緒にしていたんですが、ソニックスという会社名も、もとは僕の好きだったソニックユースというバンド名からです。
内緒ですけど(笑)
ソニックスという会社名自体は、音速のソニックという意味もあるし、未知をあらわすXをつけて、とかそういった意味合いでも良いなと思ったんですが、まあこれはまた別の機会に…。
ともかく僕が20歳前後だった‘95〜’00年くらいの時代、ソニックユースをはじめとしていろんなジャンルのいろんなアーティストを聴いていました。家にはターンテーブル、サンプラー、ハードディスクレコーダー、そのほか楽器もいろいろとあって、レコーディングできる機材は一通り揃っていました。地元の幼馴染たちもみんな音楽大好きで、家が溜まり場のようになっていましたね。
当時、僕はクラブのスタッフを週6でやっていて、そこはピチカート・ファイヴの小西さんだったりMondo Grossoの大沢伸一さん、スカパラの皆さんが演っているようなJazzで有名な箱でした。いろんなアーティストとイベントをやらせてもらって、僕は前座もやったり。その頃は本当に真剣に音楽に時間を割いていましたね。
う〜ん、そうですね。やっぱり音楽業界にいた少し上の先輩とか見ていて、なかなか食べていけるイメージがつかないところがあって。一握りの音楽が好きな人しか上がれない難しい業界ですから。あと、本当に自分達がやりたい音楽と、いわゆるビジネスとしての音楽との距離感といいますか、そこが交わった心地いい場があまり見えなかったというのもあります。クリエイティブな世界ではそういうジレンマはどこでもあるんじゃないかとは思いますが。
それは、多分にありますね。意識して出すことはない部分ですけど。
僕は音楽をやっていたときは、若いなりにも社会の中で感じていることがあって、世間に対する反発心のようなエネルギーを音楽活動にぶつけていました。
今自分が経営者としていろいろなことをやっていく中で、音楽に向けていたそういったエネルギーが自分の中にふつふつと溜まっていって、それが仕事の仕方とか会社の方向性といったところに出てきているんじゃないかなと思っています。
例えば、あるひとつの物事も、あえて違った角度から見てみる。みんなと同じ方向から同じように見るのってすごくつまらないと思っていて、横から見たらどう見えるんだろうとか、そういうことに興味があるんです。みんなが右向いているときに一人だけ左向きたい。そういう気持ちは確かに起業のエネルギーになっていると思います。
何に対してもひねくれている訳ではないですが、やっぱり何か違和感を感じた時は、それって一体何なんだろうって突き詰めて考えていく。そういう部分が経営者としての根本になっていますし、それは音楽以外も含めてですが、若い時の経験とかメンタリティが強く影響しているんじゃないかな。
まあ、吉澤家も根はみんな真面目なので、世の中に迷惑かけるようなことはしないですけど。カート・コバーンみたいにギター壊したり、スピーカー壊すとか、そういうことはやんないです(笑)
社会というリングの中での挑戦
そうですね。僕が尊敬する経営者の方々はたくさんいますが、そういう方々に僕がなれるわけではなくて。やはり自分は自分という個のルーツを持った一人の人間で、その中で発揮できる最大限のパフォーマンスってどこなんだろう、とずっと模索してきました。
社会では年齢も関係なく同じルールの中で競争していくことになるので、僕の中では社会に出ることはリングに上がることだと捉えています。一度上がってしまえばそこから先は一切言い訳できず、自分の力でやるしかない。これも吉澤家のDNAというか、ずっとそういう価値観を持ってきたので、そのリングの中で自分という人間がどこまでやれるかチャレンジしていきたいと思っています。世の中にたくさんいる経営者の方たちと競争して勝ちたいというよりも、自分なりにやり切った納得感や満足感を追求していきたいです。
ただ、僕の祖父が築いた会社の規模を超えたいとか、そういう自分の血に対する勝手な競争意識みたいなものは持っています。そこを超えるのは自分の中での経営者としての1つの目標ですね。自己満足の世界ですが。
さて、吉澤さんのパーソナリティに触れた「前編」は以上です。
次回「後編」インタビューでは、ソニックスについての吉澤代表の思いや今後のことを語っていただきます!お楽しみに!
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