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おたがいさま、という気持ちで、たすけあっていくことが、できる世界

こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!


わたしは、お肌がよわくて、赤くなったり、かゆくなったり、してしまうことがあります。

それが、子どものころからの、なやみでした。

お肌がきれいな方を、おみかけすると、いいな、うらやましいな、といつも思います。

お肌がきれいだったり、つよかったりしていたら、どんなにいいだろうな、と。


そう思うのですが、いまは、自分のお肌もいいな、と感じることが、できるようになりました。

きっと、お肌が、わたしに、いろいろなことを、教えてくれているのです。

かゆかったり、痛かったりするときは、そんなふうに、思うことはできなくて、とてもつらいのですが、治まってきたときには、自分のお肌もいいな、と、思ってみるようにしています。


どんなものにも、長所と、短所とがある。

だから、全体で、おぎない合うことが、できている。

そんなふうに、感じています。


お肌がきれいな方も、きっとなにか、べつのお悩みがあって。

悩みの種類が、ちがっているだけ、なのだと思うのです。


パートナーがいる方には、パートナーがいる方の悩みが。

パートナーがいない方には、パートナーがいない方の悩みが。

悩みの種類が、ちがっているだけで、悩みがある、ということは、同じなのですね。

悩みは、なくならなくても、だれかが補ってくれているから、いいのかな、と感じています。



わたしはときどき、とてもしんどくて、いつものような状態で、いられないことがあります。

先日も、そんなことがあって、投稿をお読みくださっている方々に、コメントなどではげましていただいて、とてもうれしくて、ありがたかったのです。

なにかしらの、切りかわりや、入れかわりなどのときに、そういったことが、起きることがあるようです。


それは、わたしにとっては、自然なゆらぎで、感性のひとつのように感じています。

いろいろなことを、感じることができるかわりに、そうして、しんどいこともでてくる。

いいところも、わるいところも、あるのですね。

いつもいい状態で、いられたらいいのだろうけど、これも、わたしの感性なので、受けいれるようになりました。



1~2月に、2週間ほど、彼に会うため、アメリカへ行きました。そのときにも、そのような状態になりました。

シャスタの自然の中から、ポートランドという大きな街に行き、つかれてしまっていたのかもしれません。(ポートランドに2泊して、西海岸で2泊する、という小旅行をしました)

帰りに、彼が運転する車にのっているときに、自分でも、どうしようもないゆらぎが、やってきました。

いつもの状態で、いられなくなって、しまっていました。

それから、シャスタにもどってきて、自然の中にいて、彼が、やさしくしてくれているうちに、だんだんと、落ちつくことができました。


そのときは、それでよかったのですが、そういったことが、ときどきありますので、彼に、そのことを伝えておこう、と思いました。

わたしは、いろいろなことを、感じるという感性があるかわりに、どうしようもないゆらぎを、感じてしまうことがある、と。

彼は、おたがいに、知らないことが、いろいろあるから、知っていこうね、というふうに、言ってくれました。


そのときに、「おたがいさまなのだな」と思いました。

彼にもきっと、なにかがあって。

わたしにも、あって。

彼が、完璧なひとだ、と思ってしまっていたから、わたしのこうしたところのことを、申し訳ない、と思ってしまっていたのです。

彼も、わたしも、不完全で。

一緒にいさせてもらって、協力をさせてもらっていく楽しみが、あるのかもしれない、と。

これで、いいのだな、と、思うことができました。



自分のいたらない点について、まわりに対して、申し訳ない、という気持ちに、なってしまうことが、あったりしますね。

そんなときにも、まわりの方は、迷惑だとは感じていなかったり、まわりの方にとっても、わたしを助けたり、協力をしてくれることによって、なにかを感じたりして、成長をする機会に、なっているのかもしれません。

どんな理由なのかは、わからないけれど、なにかがあって、出会わせていただいている。

きっと、おたがいさま、なのですね。


だれか困っているひとがいて、わたしが、わたしにできる範囲で、助けることができたとしたら。

その方に対して、わたしは、どういたしまして、という気持ちになって、迷惑だとは思わない、と思うのです。

助ける側の気持ちになってみると、そんなふうに、なっているのかもしれない、と感じました。

そうして、わたしも、困ったときには、だれかに、助けていただいているのですね。


ほんとうに、とっても迷惑な方が、まわりにいらっしゃったとしても、「そういうひとのことが、きらい」ということを、知ることができる、としたら、その方に、助けていただいている、ということに、なっていたり。

そういうひとが、ほんとうにきらい、というふうに、気づいて、認めるために、その方が、あらわれてらっしゃる、のかもしれないのです。

そのときには、そんなふうに、思うことはできないけれど、あとから振りかえってみると、そんなふうに、思うことが、できたりします。



あたらしい時代では、不完全であることが、認めやすくなって、これができないのです、助けてください、というふうに、おたがいに、伝えることができるように、なっていくような気がしています。

そうして、よわくてもいいんだ、できないことがあってもいいんだ、ということに、気づいていくことができて。

よわさを認めることで、おたがいに協力をしていくことになって、たくさんの幸せなひとが、あつまっていって、増えていく。

完全というのがあるとしたら、それは、おたがいに協力をしてはじめて、つくっていくことができるもの、なのかもしれない、と感じています。


助けてもらえて、ありがたいな。

いたらない点はあるけれど、できることもあるし、それでもいいな。

自分に対して、そんなふうに、思ってあげるようにしていて、いいのかもしれないのですね。


すこしでも、響くことがありますと、とてもうれしいです。


年の瀬が、せまってきましたね。

2020年に感謝をしながら、2021年をむかえていきたいです。

あたたかくして、おすごしくださいね。


今日もありがとうございます!

Sonii

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Sonii
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