五味太郎・小野明『絵本をよんでみる』
「ぼくを絵本好きにしたのは、間違いなくぼく自身の絵本である。」と語る絵本作家、五味太郎さんが「ぼくを絵本好きにしたであろう自作以外の絵本」を13冊選び、編集者の小野明さんを相手に縦横無尽に語った本です。
絵本が題材なのですが、一読してその読みの深さに感嘆しました。ここに示されているのは、「絵本だから子ども向け」や「絵本を読んで心を癒そう」といったありがちな視点(もちろんそれらも絵本のもつ重要な側面ですが)から離れて、絵本を絵とテキストが緊密に一体となった、挿絵付きの小説や漫画などとは異なる、独自の表現形態であるという主張なのです。13冊の読解の後におかれた「雑記」の会話で五味さんは「絵本読むって、娯楽だよ。レジャーだよ。力んだり、汗かいたり、眉間にしわ寄せたりするようなもんじゃないぜ」と語っています。確かに語り口調で書かれているので、本書は一見ソフトに感じるのですが、それを受けた小野さんが「肩に力が入ったパンチは、ハードパンチにならない、と言った人がいる。」と続けているように、くだけて、リラックスして絵本に向き合っているからこそ繰り出すことができた、13発のハードパンチがページを開いた読者に向かってくるのです。
例えば冒頭に置かれた、ディック・ブルーナ作『うさこちゃんとうみ』。ブルーナの絵本を読んだことのある方ならご存じでしょうが、あの極度に単純化されたシンプルな絵と物語について語れ、ともし自分が言われたとしたらどれほどのことが語れるでしょうか。しかし「シンプルであるがゆえに、とんでもない複雑さを獲得している、層が浅そうに見えるからかえって深くなる、というような体験をした最初の絵本なの」と語る五味さんは、
最初に書かれた、
あるひ とうさんの ふわふわさんが
「きょうは さきゅうや かいのある
おおきな うみに いくんだよ。
いきたいひと だあれ?」といいました。
という出だしに対して「もう、この文章だけで感銘を受けた。」と語ります。とりあえず自分は海に行くけど、おまえ、いっしょにどう?という誘い方に「しゃれてるねえ」という感じを読み取っているのです。そして、うさこちゃんの「あたし あたしが いくわ!」という返事に『これ、すごいね。「いきたいな」じゃなくて、「いくのは わたしだ」、「あたしが いくわ」って。ここの文章だけみていても、二時間はボーッとして楽しめる。」と続けます。この単純なやりとりに大きなドラマ性を見出しているのです。
こうした、さらっと眺めているだけではなんの変哲もない文章や絵の表現に潜んでいる「ひねりのある、ふくらみのある表現空間」を五味さんは見逃さず「この絵が、わざと文章のひろがりを否定するような、謎かけみたいな感じで単純化されている。この不思議な表現空間は、絵本をしてはじめて可能になった。」と述べます。そこから、この絵本に母親が不在であることに注目して、独自の見解を展開していくのです。
他の絵本に対しても、こうした読みは随所に見られるのですが(個人的には長新太『キャベツくん』、ウンゲラー『キスなんてだいきらい』、ローベル『ふくろうくん』、スズキコージ『エンソくん きしゃにのる』の章をとりわけ興味深く読みました)、それが肩肘はらない調子で書かれているのが本書の最大の魅力なのです、リラックスしながらも、読み飛ばすことはせず、丹念に絵と言葉に向き合い、そこから登場人物の関係性や、絵とテキストの結びつきに、全体の空気感などについて思索をめぐらす。相手を務めた小野さんも、絶妙なタイミングで五味さんの解説を補足したり、合いの手を入れていきます。
絵本について、に限らず極上の批評、読書論としても楽しめました。続編の『絵本をよみつづけてみる』も機会があれば手に取ってみたいですね。