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『イーノ入門──音楽を変革した非音楽家の頭脳 』

6月3日から京都中央信用金庫 旧厚生センターで、『AMBIENT KYOTO』と題された、ブライアン・イーノのインスタレーション展が開かれています。これに合わせて、彼のこれまでの活動を音楽を中心にまとめたディスク・ガイドが発売されました。

初期のロキシー・ミュージックのメンバーとして商業デビューを果たし、以降ソロ・アーティストとして活動。〈環境音楽〉を提唱し、今やすっかり〈アンビエント〉という概念は一般的に使われるようになりました。また、デヴィッド・ボウイとドイツへ赴き〈ベルリン3部作〉として高い評価を受けたい作品を制作。かと思うとニューヨークではノイジーでフリーキーな『ノー・ニューヨーク』やディーヴォのプロデュースを手がけ、ニュー・ウェイブシーンに大きな足跡を残します。

なんといっても重要なのはトーキング・ヘッズと残したアルバムで、アフリカン ・ビートを導入した『リメイン・イン・ライト』は80年代のみならず、ロック史にその名を刻む傑作となりました。
さらにU2やコールドプレイのようなメインストリームの王道を行くビッグなバンドのプロデュースを手がけており、間違いなく20世紀の音楽を語るときに欠かせない存在といえるでしょう。にもかかわらず、「イーノとは何者か?」と問われると本書の副題にある〈非音楽家〉がもっともふさわしいと思われます。〈非音楽家〉だからこそ音楽に革命をもたらすことができた。この逆説に彼の魅力と謎が端的に示されているのです。

本書にはイーノが残したおよそ60枚のアルバムが紹介されています。どの時期も重要なのですが、あえて絞るならやはり一連のアンビエント作品群ということになるでしょうか。ロックがクラシックや前衛音楽の要素を取り入れること自体はイーノ以前にも試みられていました。それによってロックはよりドラマ性が強くなったり、ノイジーなエネルギーが増したりする方向へ発展いったのです。他ならぬイーノ自身、ロキシー・ミュージック時代はVC3というシンセサイザーを駆使して、レトロ・フューチャーな楽曲に強烈な電子ノイズを挿入し異化効果を際立たせていました。

ところがソロになったイーノが導入したのは、サティ「家具の音楽」やジョン・ケージなどからの、スペクタクル性とは真逆の要素でした。どこから聴いても、どこでやめても構わない音楽。聴き流しても、耳をそばだてても構わない音楽。音楽それ自身が自ずと生成してくるシステム。いずれも「俺の話を聞け〜」(byクレイジー・ケン・バンド)的な自己表現から遠く離れたものです。

イーノのアンビエント・ミュージックを聴いて驚かされるのは、ニュー・エイジやスピリチュアル的な要素が皆無であることです。聴く側が癒されたりすることはあっても音楽の方からそうしたものを押しつけてくることは一切ありません。私は常々イーノのアンビエントは〈非人情〉の音楽だと考えています。夏目漱石『草枕』から引用した言葉ですが、もし漱石が蘇って、例えば『空港のための音楽』を聴いたとしたら、まさにここに「則天去私」の境地があると歓喜したかもしれません。

イーノの活動は音楽だけにとどまるものではなく、インスタレーションやアプリ開発など多岐にわたり、最近では政治的な発言も多くなっています。本書はこうした活動についてもきちんと頁を割いています。実に多彩な活動歴ですが、彼が多用する川のイメージに沿っていえば、絶えず流れが変化しても川は川であるように、イーノはイーノであり続けています。まさに『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」の如し。今回のインスタレーション展が京都で開かれるのは実に彼にふさわしいのではないでしょうか。

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