わたしのオリジナリティー
(注) 今回は長文ですので、無理のない範囲でゆっくり読んでいただけますと幸いです(約2千字)
みなさんは、どのような時に写真を撮りたいと感じますか?
わたしには、あまり写真を撮るという習慣がありません。
一番の理由は、やはり自分が見返すという機会が少ないからだと思います。
ただ、特に大切な思い出として記録しておきたい場合や、あとで他の誰かに見せたいと感じた時は見えている人の助を借りて撮影をします。
ブログを始めたことで、
これ、みんなに見せたいな♪
と、感じることが多くなり、写真を撮ることも増えてきました。
しかし、最近になって気づいたことがあります。
確かにわたしは、みなさんに見せたくて写真を撮っている。
ノートからも、見出し画像をつけたほうが読者が増えます、みたいなアラートを表示されたこともあるし、実際画像を使い始めた頃から少しずつフォロワーさんが増えたり、好きをつけてもらいやすくなったように思う。
だけど。
少しだけ、写真を撮ることに執着しすぎていないだろうか?
画像がないと、たくさんの人には読んでもらえない、という思い込みをしていないかしら?
他の方の記事を読ませていただくと、ほとんどの方が画像を多用しているし、自分もそうしたほうがいいのかな、なんて呪縛に知らず知らずのうちに囚われていた気がする。
みなさんに見せたいものはシェアしたい。
それに画像があったほうが理解しやすかったり、とっつきやすかったり、間口が広くなることは事実だと思う。
だから、視覚に訴える努力は必要だし、これからも上手に活用はして行きたい。
しかし、才能があるとまでは言えないにしても、
わたしは写真を撮るよりは、文章を書くことのほうが数倍得意なんだ。
視覚を使わないからこその感性を、
伝わりやすい形で言語化できた時、
やっとわたしのオリジナリティーを生み出すことができるはず。
どう頑張ったってわたしが視覚を使うことには限界があるのだから
そこにエネルギーを使いすぎるのは、つまりわたしらしくない。
それより、文章力を磨くべし!
もっと、わかりやすくて楽しくて、
みなさんに興味を持ってもらえるような文章が書けるように精進してまいります♪
わたしがこのようなことを、ぼんやり考え始めた頃、それを確信に変えてくれた文章があります。
大阪の国立民族学博物館准教授で全盲の、
広瀬浩二郎先生が書かれた文章。
写真うんぬんの話ではないのですが、
広瀬先生は、社会の進歩により、便利なものが増えることを評価したうえで、
パソコンやスマホをはじめとする、
健常者(=マジョリティ)が使用する、視覚情報を伴う技術に追いつくべく、
試行錯誤を重ねるわたしたち視覚障害者の姿を、
開国により西洋文化と遭遇した、明治維新前後の日本の姿に重ね、
そういう今だからこそ、見えない、見えにくい我々が育んできた
ユニークなライフスタイルを見つめなおすことの意義を述べておられました。
以下に引用文を張り付けておきますが、長文なのでここまでで読み疲れてしまった方はページを閉じてOKです。
ただ、わたしにはかなりグッとくる文章でした。
ここから↓↓
「志を立てて以て(もって)万事の源と為す(なす)」。
これは幕末の志士・吉田松陰の言葉です。
いきなり、21世紀の視覚障害者の世界に「志」を持ち出すのは唐突でしょうか。
(中略)
ちょっと大げさかもしれませんが、近年の画像・映像の氾濫、視覚情報に支配される社会状況は、幕末の黒船来航、西洋文明との遭遇になぞらえることができるでしょう。
明治維新前夜の内憂外患、欧米列強との交渉で右往左往させられる日本は、パソコンやスマホをなんとか使いこなし、健常者(マジョリティ)にキャッチアップしようとする視覚障害者の姿に重なります。
ここで「志=心さし」を以下の三つの切り口で定義してみましょう。
「心で指し示す」
「心を突き刺す」
「心に差し掛ける」
少し青臭い問いかけではありますが、僕たち視覚障害者は何のために生きるのか。その答えが三つの「志=心さし」です。
同じ視覚障害の仲間、とくに後輩たちに向けて、進むべき道を「指し示す」。
視覚優位の生活を送る健常者に対して、他の生き方(行き方)があることを明示し、多数派前提の常識の欺瞞を告発する矢を「突き刺す」。
さらには、みんなが「そのままで差し支えないよ」と言い合える関係を築くために、社会全体に大きな傘を「差し掛ける」
このように考えてみると、視覚障害者にとって「万事の源」となる志を立てる意義・必要性が理解できるでしょう。
(中略)
また、視覚障害者、さわる文化のシンボルである点字についても、情報入手の手段としての重要度・優先度は相対的に低くなっています。
点字を使わなくても視覚障害者が自由かつ快適に暮らせる環境整備は、社会の進歩・成熟として評価すべきです。一方、見えない・見えにくいことから生まれるユニークな「非視覚コミュニケーション」の可能性が失われていく流れには、さびしさと危うさを感じざるを得ません。
以上
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