だからこそコミュニケーションは楽しい

先日、大学時代からの友人とおしゃべりをしていた時のこと。

以前こんな記事を書きましたが↓

引っ越しを前に|so-neco1982
https://note.com/sonec82/n/n9ea9d8966c6c

昔話をしている流れで、「わたし一人暮らし始める時、入居拒否されてさー」と、上記の記事に書いてあるような内容を話しました。
グチを言いたかったわけではなく、ただ思い出話として話しただけなのですが、彼女はこんなことを言ってくれました。

「でもさ、今みたいに社会人経験があって、一人暮らしもずっとしてきましたって状態ならともかく、その時は未成年で一人暮らしも初めてだったわけでしょ?
それで視覚障害もあるって聞いたら大家さんもやっぱり心配にはなっちゃうよね。何かあった時にすぐ駆けつけられるわけじゃないし責任もとれないしさ」

自分の中にもこのような考え方がなかったわけではありませんが、
わたしに遠慮することなく晴眼者の視点ではっきり言ってくれるのが彼女のとてもよいところです。

大学入学直後の昔話として、こんなこともありました。

何かの流れで、みんなでじゃんけんをすることになった時、

掛け声はやっぱり「じゃんけんポイ!」

そこで気づく。

中学から高校までを盲学校で過ごしたわたしの中で、じゃんけんと言うのは、
「じゃんけんグー」とか「じゃんけんチョキ」のように、
自分が出した手の形を言葉にしてやることが常識でした。
みんな、相手の手の形が見えなかったり見えにくかったりしますからね。

しかし、盲学校の外に出たらこの常識は違うものになる。
自分も小学校は一般の学校に行っていたから、わからないわけではない。

「じゃんけんポイ」が常識。

だからわたしは、自分はみんなの手の形を見ることができないから、グーとかチョキとか口で言ってほしいことを説明しました。

自分の常識を、他の常識を持った人たちに説明するというのは、率直に言ってしまうと面倒に感じることもあります。

でも、ただ黙って
「どうしてこの人たち気づいてくれないんだろう?わかってくれないんだろう?」
なんて思っていても何も変わらないし自分が苦しくなっていくだけだと思ったのです。

「健常者に障碍者のことを理解してほしい」と思うだけじゃなくて、障碍者のほうからも歩み寄っていく必要がある。

そう思っているのだけど・・・

自分の中だけで完結させてしまったり、
同じ視覚障碍者同士で話していると、
やっぱり「もっと視覚障害のことわかってほしいよねー」、「なんでわからないんだろうねー」みたいな考え方に落ち着いてしまいます。

共感し合える仲間がいるのはとても心強くてうれしいこと。
だけど、時には晴眼者の視点や、全く別の方向からの意見を聞くことも大切ですよね。

障害の有無に関わらず、人間はそれぞれの考え方を持っているし、常識が異なる場合もある。

きれいごとだけ言うつもりはないけれど、お互い歩み寄ったり知り合ったりしたいものです。
反発するか、受け入れ合うかはさて置いて、自分とは違う視点や価値観に触れられるからこそ、コミュニk-ションは楽しい。

わたしのフォロワーさんはいつも記事に好きをつけてくれたり、共感のコメントを書いてくれたりしますが、
「それちょっとちがうんじゃない?」とか、
「わたしはちがう意見を持ってます」

みたいなことも、遠慮なくコメントしてくださったらうれしいです。

ちなみに、今回登場した友人はこちらの記事にもでてきます。
この出来事もわたしにとっては大きなことだったので、ぜひ読んでみてくださいね。↓

大学時代を振り返る|so-neco1982
https://note.com/sonec82/n/n86a7bfc85e75?magazine_key=ma0ad02b59822

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