ほんの1帖のトイレに広がる"それ"は
「ナイアガラ・フォールズ」だった。
正確には、ナイアガラ・フォールズと見紛えるほど激しく流れ落ちていくおしっこだった。
全然おしっこが止まらない。
このご時世、座らずに用を足している。
眼下の洋式便器に止めどないおしっこが溜まっていく。
ごうごうと激しい音を立てて嵩が増していく。
紀元前に誕生して以来永い年月をかけて、人智を越える地球の力が育んだ雄大な瀑布を、こんなちっぽけな人間がいとも容易く再現できることに快感を憶えた。
遮るものが無い広大な湖面、青く萌える木々、雲ひとつ無くどこまででも吸い込まれそうな澄んだ空。幼いころにテレビで観て憧れた情景が浮かんでくる。
ナイアガラ・フォールズは、古くにこの土地で暮らしていた先住民から、激しく音を立てて流れ落ちる水を見て恐れ、敬い、
オンギアラ=雷のように轟く水
そう呼ばれ神格化されていたそうだ。
しかし今僕が立っているのは、ナイアガラ・フォールズでもアメリカとカナダの国境でもない。
トイレだ。
タンクの端に黒で「National」の文字が印字され、まばらにくすんだ艶のないクリーム色の便器が設置されてある、たった1帖ぽっちのごく普通のトイレだ。
目の前に聳えるのは落差55~58mの崖でも、かつて神格化され、今でも数多くの人を魅力する唯一無二の大自然でもない。
わずか10数cmの、「聳える」と表現するにはあまりにも烏滸がましい粗末なおちんちんと、規格に則って大量生産され、今や過去の産物となったNationalの便器である。
滝壺とも思われる便器の容量には限界がある。容量とは裏腹に止めどなく流れ落ちるおしっこに為す術も咥える指もなく(手はおちんちんに添えているため物理的に咥えられない。仮にそのおちんちんに添えていた指を無理やり咥えたとしても衛生的に好ましくない上に、モラルの面でも人の道を外れてしまうのは明白である)、ただただ行く末を見守り続けた。
少し前に憶えた快感が、止まらないおしっこへの焦りと不安に変わるころ、ついに滝壺は限界を迎えた。
ごうごうと激しい音を立てて溢れ落ちていく。
溢れるおしっこに反して、未だ勢いは用を足し始めた時から変わらず激しいままだ。ナイアガラ・フォールズは、流れ落ちる平均水量で世界一の滝と呼ばれることを思い出す。
おしっこの量をランキングしたら、間違いなく世界一の座をものにできそうだ。
そんなことを考えていたら、いつの間にか足首まで浸水していた。
このまま、小さいトイレの中で沈んで死ぬのか。「おしっこ溺死」なんて情けない死に方で短い人生に幕を閉じるのかと、諦めて目を伏せた。
瞬間、
まだ間に合う、目を覚ますんだ
という声が、頭上の遥か遠くから聞こえた。
その声に導かれるままハッと目を開いて飛び起きると、僕は12帖の部屋にいた。隣には突然飛び起きたことに目を丸くしながら、僕を見る妻がいる。
「ごめん…」
驚く妻を安心させようと発した声は乾燥していて、今にも消え入りそうな弱くか細い音だった。声を発したことで、朦朧だった意識が覚醒していく。その最中、肌に貼り付いたじっとりと生暖かい何かが、股関に広がっていることに気づいた。
あぁそうか。
さっきまで僕がいたのは、狭いトイレですらなかった。
ゆっくりと、しかし確実に、許しがたい事実が輪郭を帯びてこちらに近づいてくる。
あぁそうか。やっと…
いや、もしかすると、溢れるおしっこを見た瞬間からこの結末がわかっていたのかもしれない。
そうか、僕は、
「おねしょしちゃった…」
※このnoteは、6年前の事件に演出・脚色を加えたセミフクションです。