死ぬ事ばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目すぎるから
わたしはわたしを、唯一理解してくれた親友以上恋人未満の大事なひとを去年亡くした。
彼はかなりの天邪鬼だった。
わたしは彼の言葉の真意を計りかねて喧嘩して泣いたり、
拗ねて離れたりを繰り返していた
お互いに恋愛感情も持っていたのだろう。
彼がわたしに対する嫉妬は激しかったし、
わたしも彼の元彼女の話は聞きたくない、と言って泣いたりした。
それでもたくさん
「あなたが好き」と言えば良かったと、
わたしは彼が亡くなってから随分後悔した。
彼とわたしには時間がなかった。
彼とSNSで知り合った時、既に彼は腎臓癌とアルコール依存症に侵されていたからである。
初めから分かっていた。この恋には終わりが必ず来ると。
しかし、終わりのない物事など存在するだろうか?
出会えば一緒になるか、別れるかの二者択一。
わたしは自分の感情に出来るだけ素直になろうと思った。
彼はこれまでわたしが出会ったことのない世界の住人で価値観も180度異なって居た。
彼は素晴らしい頭脳の持ち主だった。そんな彼が、ごく普通、あるいは普通とは言えない状況で生活している自分に何故話を聞いてもらいたがるのか?良くわからなかった。
彼は仕事が出来た。学術も優秀だった。他人からの賞賛に慣れていた。
しかし、彼が最も手にしたくて手に入れられなかったのは、普通の家族の愛情だった。
わたしは彼に出会った時既に離婚していたが、娘と息子が居て、彼らは既に成人していた。
娘は結婚して、子供が居た。わたしはおばあちゃんでもあった。
彼はわたしが家族を持っている事が羨ましくて仕方なかったのだ。
たまに、彼は電話で「アンパンマン小僧を出せ」と言った。
わたしは、当時2歳になったばかりの孫を電話に出す。
彼は子供が好きなのだ。
正確に言えば、子供と一緒に遊ぶのが好きなのだ。
電話で孫と何やら話している様子を見ると微笑ましかった。
後で彼に、「孫と何を話していたの?」と聞くと、
「クレヨンしんちゃんの『玉ねぎ食べれる?』のモノマネをしていた」
と言う。
わたしは笑う。わたしが笑うと彼は気分が良くなるみたいだ。
なんだかわからないけど
『好き』と言う純粋な感情
そんな気持ちを持ったのは彼が初めてだった。
彼は良くわたしに言って居た。
「好きな事をやりなさい。勉強しなさい。素直になりなさい。ありがとうを忘れずに。笑っていればチャーミングだ」
そして「シンプルになりなさい」と
「人間、いつかは死ぬ。いつ死ぬかわからないゴールから逆算して今を生きるんだ」
『死ぬ事ばかり考えてしまうのはきっと生きることに真面目過ぎるから』
と言う表題は、
『僕が死のうと思ったのは』と言う楽曲の一節からとっている。
不確定な未来でも、ゴールに向かって生き抜いて、と言う彼のメッセージを
わたしは今日も心に抱いてぼちぼち頑張っている。
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