いつかの名産地
「ともだちができた」と思ったら
白リン弾で消えちゃった
「なかよしこよし」は高見のなぐさめ
「きれいなあの娘の晴れ姿」
よりも前に あの日の姿
すてきなところ だったのよ
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「五月のある日」ママが死んだ
どの日をとっても家族が死んだ
「結婚式をあげよう」って言える日は
一体いつくるのかしら
「きれいなあの娘の晴れ姿」
よりも前に 明日の姿
すてきなところ だったのよ
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オリーブの婿
ブドウの花嫁
「きれいなあの娘の晴れ姿」
よりも前に 今日の姿
根こぎにされた名産地
すてきなところだったのよ
解説兼エッセイ
「すいかのめいさんち」という童謡をご存じですか。ぴんと来ない方も、メロディは恐らく聴いたことがあると思います。なぜなら、更に有名な童謡「ゆかいなまきば」(冒頭:♪いちろうさんの牧場でイーアイイーアヲー)と同じ、アメリカ民謡の旋律が使われているからです。
では一方の歌詞はというと、私には正直、言いたいことがよく分かりません。ともだちができたり、結婚式をあげたり、文脈がなく唐突な印象を受けます。
しかし一方で、曲全体に、どことなく穏やかで、のんびりとした雰囲気を感じました。蔓が伸びたスイカが茂る、緑豊かな農村に、あたたかな日差しが降り注ぎ、人々がそこかしこで談笑している。そんな牧歌的な風景が浮かぶ気がします。
これを今のパレスチナに当てはめてみたら、どうなるでしょうか。
国旗と同じ「赤・黒・白・緑」で構成されるスイカは、抵抗運動のモチーフとしてつかわれています。そして、人々が送るのは穏やかでのんびりとした生活ではなく、差し迫る毎日。たわわに実っていたオリーブ、ブドウ、いちご、レモン、オレンジの畑は火にのまれ、友だちすらも卑劣な白リン弾で焼き尽くされてしまう。結婚式を考えるどころか、大切な人の存在はもう地上に無かったり、「明日もまた一緒にいられるように」と切に祈ったり、今日まだ隣にいてくれることが奇跡だったりするのではないでしょうか。
できれば、希望をもてる詩を書きたいと思います。でも、日々のニュースに触れていると、とても楽観的にはなれません。だから今は、とにかく、パレスチナの人々の痛みに、乏しい想像力のほんの一片でも投じ、小さな抵抗を積み重ねることに集中しようと思っています。
それでも、タイトル「いつかの名産地」における『いつか』には、
『いつのことだったか』過ぎ去りし日々を指すのではなく、
『いつの日か』もう一度、という理想の未来を託そうと思います。
自分よがりではありますが、そこだけはこだわらせてください。
参考:童謡・唱歌「すいかのめいさんち」
(作詞:高田三九三 作曲:不詳 編曲:伊藤辰雄)
とみどころ
北海道在住。学童職員を経て、小学校教諭。3月に退職し、現在心身のメンテナンス中。
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