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わたしにしかないもの 【青二才の哲学エッセイ vol.2】

個性的な人になりたい。
大学生の頃はよくこんなことを思っていた。

そのときの私の周りでは、周りの雰囲気をうまく読めてそれに応えられることがいいとする空気が、なんとなく漂っていたように思う。明文化されていないその場のルールがあるように私には思えた。私もその雰囲気になんとかついていこうとした。独りになるのは辛い。でも、うまくいかなかった。周りのノリについていこうとすればするほど、しんどかった。誰かルールを教えて欲しいくらいだった。発想を変え、ついていくことができないならばいっそ、個性的で、オンリーワンの存在になりたいと思った。自分でしか出せない、個性的な意見や考えを発信できるようになれば、また違う誰かが認めてくれるはず、と。そんなことを考えて色々試みてみるものの、私が思いつくことは大したことがなかった。今思えば本当に薄っぺらかったなと思えて恥ずかしい。(今でもまだそうかもしれないが)

わざわざ私の青くさい悩みを持ち出したのには理由がある。ここ1、2年前くらいから、私の意見や考えというものは、私自身が自分の内側からひねり出しているなんて到底思えなくなってきたからだ。私が何かを思うとき、会話の中で言葉を発するとき、必ずどこかから引用してきている自分がいると感じるのだ。友達、親、職場の同僚、テレビのタレント、芸能人、こうした人たちが言ったこと、はたまた、本、新聞、ネットニュース、SNSなどのメディアで読んだことなど、そっくりそのままではないが、見聞きしたもののニュアンスを抽出して、私の意見にしているという感覚がある。私という個体の中で、社会に存在する知識や概念を取り込み、再編集していると言ってもいいかもしれない。

先日、哲学対話のイベントで、ちょうど「自分の個性について」というような会話の流れになったので、このことを発言してみた。「個性というものは自分の内側から発せられるものではないのではないか」というようなことも添えた。少し「何言ってんだこいつは」みたいな空気が流れたような気がして萎縮した。私が気にしいなだけかもしれないが。ちょっと時間を置いて、一人の女性が手を挙げて私の言葉に意見をしてくれた。(沈黙がきつかったのでとても有難かった)「引用するにしても引用の仕方、再編集の基準は自分の個性ではないか」と。頷く周りの人達。なんとなく残った違和感と自分の感覚全てを言葉にできていない思いを持っていたが、その場ではうまく発言することはできなかった。

イベントが終わった後、改めて考えて、その引用する基準もまた、誰かの、何かの引用なのではないかというところに到達した。身の回りから知識を得て、その場に応じて知識を使い、判断するときの基準もまた、どこからか拾ってきたものではないだろうか。世の中の普通、世間一般としてはこうだよなとか、常識的に考えてこうだとか、また、男として、女として、上司として、後輩として、親として、こうあるべきという規範に引っ張られるということはないだろうか。こうした方がかっこいい、威厳がある、可愛い、好かれやすい、モテる、といったこともそうだ。社会に存在するイメージに自分が引っ張られていく感覚、と言ってもいいかもしれない。ビジネスの世界でも、学問の世界でも、新しいアイデアはこれまでに存在していた概念の組み合わせであると言われる。個人の内側もそうではないのかと仮定したくなる。これまでの人々の概念の組み合わせなのであるから、大げさかもしれないが、私には人々の歴史が詰まっているようにも思える。自分と他者の境界は非常に曖昧なものではないか、というそんな不思議な感覚もある。(こうした私の考えも当然、それまでに存在していた概念、誰かの言葉の影響を受けている)自分の意見や考えが、自分が生み出したものである、というのは驕りであるようにも感じてしまう。

私の言いたいことが哲学対話のイベントにいた人の陰口みたいになってしまったが、最後の一文は、思春期の驕った考えを持っていた私に向けての言葉である。(ここ大事)誤解のないよう補足するなら、別にその人特有の個性というものは存在しない、と否定するわけではない。自分の持つ知識や、それを活用する際の判断基準を誰かから、社会から引っ張ってくるものだと仮定したとしても、その組み合わせは無限大である。併せて、自分がこれまでに体験したことも、どんな他者とも被りようがない。自分の経験は唯一無二のものである。個性とは、これまでに私が築いてきた私の歴史のことなのかもしれない。生きているだけで私は充分個性的だった。クサい言葉だけど、本当にそう思う。考えることに意義はあったと思うが、悩む必要はなかった。自分のやりたいこと、やるべきことをやればいい。もし、昔の私のように、自分に個性がないと悩んでいる人がいるのなら、こんな感じで考えてみるのはいかがだろうか。

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