就活に苦戦した私が見つけた、新卒切符を捨ててまでやりたいこと

私には、信念とかは特にない。

けれど、すごく個人的に、ユーモアは私が生き抜くためにいちばん大切なものだという直感がある。

だから、将来は、そのユーモアというものにいちばん近いところで仕事をしたいと思っている。

母のユーモアが、小さなわたしも、今のわたしも救ってくれた。

小学校の徒競走で、毎年ビリを意味する渋〜い紫色のリボンをもらってくる私を、「1番余裕を感じるカラーじゃんか」と笑い飛ばしてくれた。

教習所で、いつまでたっても運転の感覚とやらを掴めず、教官に怒鳴られ、泣きながら帰ってきた私を、「次あなたが教習所に行く時、私は街を出歩かないようにするわ」とからかった。

そして今でも、昼寝から覚め、時間を無駄にしてしまったと自分を罵り始める私を「またまた〜お寝坊さんなんだから♡」と懲りずにからかってくる。


人によっては、甘やかすなとか、逆になめられてるじゃんという意見もあるのかもしれない。

でも私の性質のなかの、歪にゆがんだ部分に、母のユーモアたちはビシッと気持ちよくハマった。

(これらをユーモアと言うな、ユーモアを舐めるなと言われそうだが・・・ただ他人に言われると嫌味に聞こえることでも、母の発言には愛というふくみがあるので、そうなるとやっぱりそれはユーモアでしかないのだ。)


人の傷や弱みをさらりと包んでくれるのは、ユーモアなんじゃないのか?ということに気づいたのは意外にも最近だった。

私は、物心ついたときから面白いことが好きで、自分の感性で「おもしれえ!」と思う子とは、性別関係なく仲良くなろうとした。
大きな声で先生をからかったり、帰りの会でギャグをするような子ではなくて、誰かが失敗してしまった時、誰にも聞こえないような声でボソッとおもしろあったか発言をするような子が気になって仕方がなかった。

中学生の頃には、お笑いにハマり、まだ東京で売れてなかった千鳥が私の初めての" 推し"だった。ノブさんのツッコミは、クラスメイトに無視されヒリついていた私の心をやさしく抱きしめてくれた。出待ちやファンレターもせっせと書き、いわゆる"推し活"をしっかりしていた。

お笑いは今も大好きだ。

笑いには構造を逆転させる機能があって、自分の傷や弱点を笑われることで最強になれるのがお笑いの世界、というようなことを本で読んだ。

なるほど、「お笑いを見ているとなんだか安心する」のは、お笑いには逸脱や脱線を排除せずに許容する懐の広さや、弱みを受容して武器にしてしまうあざやかさがあるからだ。

私は、生まれてからずっと、次から次へと湧いて出る不安や弱み、傷にうまくフタをできないまま生きてきた。

なんだかみんなより下手に生きているような気がする自分への劣等感はずっと消えない。

そして同時に、ひょうひょうと逸脱・脱線してみせる人間にキリキリするほど憧れてきた。

お笑い芸人という職業は「安心安全の人生」というレールを逸脱・脱線した先にあるものだと思っている。

私はお笑いの世界でどうしても働きたい。
もっというとお笑いをする人を支える仕事がしたい。


不安にまみれて生きる私に、世界をわたり歩く術を教えてくれたのはお笑いの世界だ。

スポットライトの当たる明るい道を闊歩はできないけれど、暗闇で小走りして、今日も舞台の上で誰かの心を救っている演者のことを支えたい。

ほんとうに、やりたい。

こんなにやりたいことをつかまえたのは初めてで、つかまえてしまった時からなぜかずっと息がくるしい。今は、この夢が叶うという確信が欲しくてほしくてたまらない。不安でいっぱいだ。

でも、どうしてもやりたいから、私は今を生きている。

不安に押しつぶされそうになっても、この夢だけはつぶしてしまわないように、私は今日も貧乏ゆすりをしながらひたすらユーモアの海に潜っている。

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