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とにかく1年考え続けていたら、「新卒切符を捨てる」という答えが出た話。

ある日、カチッと何かのスイッチが押されたように、私は大きな決断をすることになった。

新卒切符を捨てるという決断。もう就活をしないという決断。

苦し紛れにした決断というより、「これ以外に選択肢はない」という気持ちだった。

それ以降、スーツを着て大学のゼミに現れた子を見ても、何にも思わなくなった。就活関連のメールが届いても、携帯の画面を割りたい衝動に駆られなくなった。

就活のことでこの1年間、ずっと悩んでいた。深い深い闇の底にいるような気持ちで、社会すべてに裏切られたような、大人全員が敵であるような気がしていた。

「ESなんて、それっぽく書いて提出すればいいんだよ、数打ちゃ当たる、数もたいして打ってないのに弱音を吐くなよ。就活被害者ぶる資格、お前にはないよ」そう言われている気がずっとしていた。

動きだすことはできなかったけれど、ずっと暗闇の中でどうしたらいいのか考え続けていた。


3か月前に、前田裕二さんの『メモの魔力』という本を読んだ。そこには「ものごとは時間をかけて考えれば、すべてはシンプルな言葉・すなわち抽象概念に落とし込める。抽象度のレイヤーを上げるためには、相応の思考をしないといけない」とあった。

私は、これを「思考のレイヤーを上げるためには、それ相応の時間、思考する必要がある」と捉えた。

それからは、この言葉だけを頼りに、むやみに動かず、ひたすら考え続けていた。

本で書かれていたとおりに、自分の気づきや考えをメモするようにもなった。気合を入れて、ノートはベージュ色のRollbahnを買った。

そんなある日、とある学校の存在を知った。私は「これしかないじゃん」と思った。「ここにいたのかよ」とも思った。

暗闇の中で手探りで探し続けていた電気のスイッチの場所をやっと見つけたかのようだった。

見つけてから数日間、私の鼻の穴は、興奮のあまり膨らみっぱなしだった。それからは、その学校の情報収集に明け暮れた。


そして、親を説得し、願書を出し、無事に入学が決まった。学費に関しては、大学生らしいことを一切せずバイトばかりして目的もなく貯金していた今までの自分を褒めることになった。

かくして、私は、新卒切符を捨てることになった。

あの日、私がスイッチの場所にありつけたのは、暗闇の中でも考え続けることをやめなかったからなのではないか。

動けなくても考えることならできる。

大学4年生のまだまだ未熟な私は、「暗闇の中で決して動けなかったとしても、とにかく考え続けていたら答えが出ることもある」ということを学んだ。

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