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世界史はいらない?
ニュース「ロシアがウクライナに侵攻」
世界史。
大学の受験科目として勉強した人も多いかもしれない。
よく世界史含め、文系科目は理系科目に比べ、知識を覚えるだけでイージーだと馬鹿にされる。
まあ、正解ちゃあ正解。
もう一つ、歴史を覚えることは役に立たないという意見もあるかもしれない。
否、否、否
そんなことはない。
忘れちゃいけない我々が人間だということを。
感情で動き、何回も同じ過ちを繰り返す生命体であることを。
◉「役に立つこと」とは
「役に立つこと」
広い観点で見れば、社会を発展させることだろう。
そんな時、理系分野は、数学から力学、
この世界を最小単位の素粒子に分解し、
構造を見つけ出し、新たなエネルギーに利用する。
それは、もはや人力など足元にも及ばない程の優れもので、
社会のあらゆる分野を最適化に近づける。
「ほら、理系の方が役にたつじゃん。貢献してんじゃん。理系しか勝たん。」
うん、貢献してる。それは間違いない。
ただ、先ほど「もはや人力など足元にも及ばない程」と書いた。
これはどういうことか。
便利の一言でいいのか。
人間が開発した人間の力より高度なエネルギー。
これは誰が使うか?
結局、感情で動く人間だ。
ツァーリボンバを知ってるだろうか。
ソ連が開発した人類史上最大の水素爆弾だ。
ざっくりと、威力は
これが一発、東京に落ちれば、関東大都市圏は崩壊する。
ツァーリ・ボンバ実験映像
これが、1961年、およそ60年前の技術で作られた。
誰がこれを落とすか。
神か、自然か、AIか。
やっぱり、人間だ。今の時代も。
「じゃあその、ツァーリボンバやら兵器の破壊力とかの知識を得るために、世界史を学ぶってこと?じゃあ、スマホでええやん。wikiしか勝た..」
◉歴史の必要性
「歴史は繰り返す」って言葉はよく聞く。
人間は同じ過ちをする。
それの例の宝庫が世界史だ。
世界史の教科書は
失敗例の教科書。成功例の教科書。
ある人間が、また集団化した人々が
どのような理由で、何をしでかすか。
理系分野が物理的な力の法則性なら
歴史は、感情の法則性だ。
受験での世界史の勉強法として、
一つは、単語を記憶する。
もう一つは、流れを掴む。
という勉強法がある。
この記事では、後者について言及したい。
歴史においての「流れ」とは何だろうか。
それは、人間、組織、国の因果関係だ。
社会において、ある出来事は、突拍子もなく起こることは少ない。
「んなことぁ、わかるよ。でも、歴史は結局、繰り返すじゃねえか。てことは、歴史を学んだとこで、過ちはするし。なんなら、今の時代、国のトップより核の方が他の国に話が通じる。それは、結局、歴史から学ぼうが経験から学ぼうが、口よりもエネルギーってことじゃないのか?」
最初の話に戻ってきましたね。
もう一度、おさらいです。
Q. 人間が開発した人間の力より高度なエネルギー。これは誰が使うか?
A. 人間。(主導権)
◉人間は歴史から何も学んでいないのか
「口よりもエネルギー」
決め事よりも、抑止力。
確かにそうです。
この記事は、文系と理系の対立関係で書いてますが、
それは内容をわかりやすくするためであり、
どっちが優れているとか、効果があるとかいうつもりはありません。
何が言いたいかと言いますと
何かの問題に対し、我々は
感情要素の体系化である文系、数字、力の体系化である理系
この二つの面から見ることが重要だと思います。
我々が歴史から学ぶことは、人間は決して歴史から学ばないということだ。
18~19世紀の、ドイツの哲学者
ヘーゲルの言葉です。
核で壊される平和
核がないと訪れない平和、
いつの時代も新しく、優れた力は、不平等と共に生まれます。
人間は歴史からは何も学んでいないのでしょうか。
いいや、今が基準になるだけです。
人間自体の構造は昔となんら変わりません。
宇宙から生命体が攻めてくるか、AIに主権を握られるか、地球滅亡最終日にならない限り、世界が一つになることなどなく、分断は終わりません。
今までの歴史と同じように人間は同じ過ちを繰り返しますが、
おそらく、その次元は変わっていくことでしょう。
石と木の棒での戦いから、
↓
鉄の刀での戦い
↓
銃、戦車の戦い
↓
核、サイバーの対立
対立という形式を保ったまま、
その形式に時代性が反映される。
世界史の力。
それは精神として人間が引き継いでいくものだと感じます。
生まれる前のことを何一つ知らない子が育っていったらどうなるでしょう。
おそらく、未来のことを考えられなくなると思います。
先ほど、”人間、組織、国の因果関係”と書きましたが、
さらに広く見て、世界史自体が、今という「果」に対し、「因」になります。
それゆえ、現在が現在であるために、過去があったことを知らないと、
未来など考えることはできないと思います。
人間は同じことを繰り返す。
しかし、それでも未来を見ることで、強固な形式に抗っていく。
現在という形は、多くの選択肢の中の一つの結果であり、
「歴史は繰り返す」とは言っても、
私たちは、もっと悲惨な「現在」への分岐を知らないだけで、
実際は、重大な過ちに繋がる多くの問題を未然に防いでいるのではないでしょうか。
バタフライ効果、バタフライエフェクト 安定のwiki
◉ウクライナとロシア、平和と重装歩兵
最後に、今回のウクライナ、ロシア情勢を世界史の二つの点を通してみていきましょう。
ローマの平和、パックスロマーナは内乱の1世紀という修羅な時代の反動として
紀元後1~2世紀のローマで平和な状態が続いた時代を指します。
どういうことでしょうか?
「ローマの平和」の前に、内乱の1世紀があったと書きました。
つまり、「平和」と記されている以上、それが続かないことを意味します。
また争いが始まったというわけです。
平和は常にサンドウィッチ状態です。
平和の中で格差や不満が生まれ、次の争いに火をつけます。
今回のウクライナへの侵略は、単純にロシアの指導者Pーちんが平和に飽き、ソ連時代の強い国家像への憧れから火蓋を切ったのだと感じます。
もう70近くで老いも感じていたのでしょう。
ボケる前に一発、歴史に名を刻みたい的な精神だと思います。
(これはあくまで私の推測です。)
「〇〇地区の国民が虐められてるから、助ける!」
はぁ?
自国の戦いを望まぬ兵士を無理に戦わせ、犠牲にし、何言ってるんでしょうかね。
おっと、話がずれました。
そして、もう一点
重装歩兵。
先ほどと同時代に活躍した、名の通り重い鎧を着て、盾と槍で攻撃する市民を中心に構成された兵士のことです。
反対に、職業として雇われている兵は傭兵です。
現在の軍隊は後者の傭兵に当たります。
どちらの方が強いでしょうか。
一概にはいえませんが、基本的に前者の重装歩兵が強かったらしいです。
それは、雇われている傭兵に比べ、市民で構成された兵は自分の国、家族を守るために戦うからです。
そう、現在のウクライナとロシアの関係もこれに当てはまるのではないでしょうか。
軍隊は機械ではなく、人間の集まりです。
何のために命をかけているかわからず戦うよりも、確固たる意志のもとで戦う人間の方が強いのは、理解できるでしょう。
もちろん、これは人間同士が直接的に戦うという状況に限られるかもしれません。
どんなに、意志が強かろうと遠隔で機械的に攻めてこられる、また核のような一つで凄まじいパワーのある兵器が使われる。
これらは、市民の意志ではどうにもなりません。
しかし、現在でも完全に機械化が進んでいない分、意志の力が大きなパワーを生んでいるのだと思います。
以上です。
以前「形骸化する学問」という記事を書きました。
その記事でも書きましたが、学問をただの点取ゲームとして見るなら、世界は単語を覚えるだけのイージーゲームでしょう。
しかし、問題や疑問を探究するという面で、世界史を多様な視点で見れば、疑問は無限に湧いてきて、現在でも通じる新たな視点を得られるかもしれません。
はい、また学問について書いちゃいました。。
そろそろ次の音楽の記事書きます。
ではではではでは次の記事で。