もう、年をとってしまったから
あんたは
あんなに立派すぎる空を 見てはならない
ひどいよ、姉さん!
私はサザエさんに噛みつくカツオばりにそう言う。
いや、年をとったからって、それはないですぜ、おやっさん!
と、ワンマンで無体な親分をたしなめるヤクザの頭のようにして、そう言う。
だが、それは、こう続くのだ。
あんたは
台所で
しずくをたらす 水道の栓を
とめてはならない
もうこうなったらド級の理不尽というものだ。
だが、それは容赦なく、こう続くのだ。
もう 年をとってしまったから
あんたは
自分の低い場所で くちぶえを吹きなさい
ゆっくり
わら屑をもやしなさい
すべる清潔な皿の上で
乾いた指さきで ふるえながら
わら屑をもやしなさい
ときたま
溜まり水が こぼれるような
うす笑いは
やめなさい
ここまで来ると、私はその言葉の一つ一つに説き伏せられるように、声音を低くして、そういうもんかね、やっぱり・・・
諦めたように、発せられる言葉の一つ一つを受け入れている。
私は、一時期、誰かと会話するように、詩を読みふけっていた。
二十代の頃である。
故郷を捨て、意気揚々と都会に出たが、自分の能力の無さに失望していた時期でもある。
その頃一番会話したのが、敬愛する詩人、天野忠、である。
そして、詩人との会話は今でも続いている。
懐かしい音楽を聴くように、その詩を、言霊を、今でもキャッチボールのように受けとめている。
しずかな人
天野 忠
もう 年をとってしまったから
あんたは
あんなに立派すぎる空を 見てはならない
あんたは
台所で
しずくをたらす 水道の栓を
とめてはならない
もう 年をとってしまったから
あんたは
自分の低い場所で くちぶえを吹きなさい
ゆっくり
わら屑をもやしなさい
すべる清潔な皿の上で
乾いた指さきで ふるえながら
わら屑をもやしなさい
ときたま
溜まり水が こぼれるような
うす笑いはやめなさい
あんたは もう すっかり 年をとってしまった
台所の水道の栓は キッチリ
わたしがとめます。
もう年をとってしまった私は、若い頃にはわからなかった詩人の言葉を今はどストレートに受け止める。
最後の一節は少しひねた一流詩人の愛だ。
私にとっては、それは美しい音楽を聴いたときのような、芳醇な瞬間だ。
だから、詩を読むことを、詩人と会話することを、やめられない。
時間的に考えるか。空間的に考えるか。認識に於ける宇宙は、二つの形式の外に出ない。
そう言ったのはアインシュタインではない。
誰あろう、詩人の萩原朔太郎である。、詩とは何ぞや、の中で、そう断言している。
ふとした事で、萩原朔太郎と交流のあった前橋市の詩人、高橋元吉の親族と知り合いになり、改めて、「月に吠える」のカリスマ詩人、萩原の作品群を読み直す機会があった。
私はそれまで、萩原の熱心な読者ではなかった。
若い頃にはなおざりに流した作品を読み直して、私は、萩原に謝りたいほど、いたく、感動した。
中でも、萩原の書く「試論」は私を夢中にさせた。
それは詩と言うものを、朧げに体感しかできていなかった私の詩の理解を手引きのように導いてくれた。
まさに、詩のバイブル、である。
萩原は、「詩の原理」の中で、こう言う。
すべての芸術は二つの原則によって分類されている。
即ち主観的態度の芸術と客観的態度の芸術である。
そして、音楽と美術をその代表として挙げ、音楽を時間に属す、美術は空間、というように分かりやすく説明している。
前述したように、萩原は、人間の宇宙観念を作るものは、実に、時間、と空間、との二形式である。故に吾人のあらゆる思惟あらゆる表現の形式も、所詮この二つの範疇にすぎないだろう、と述べている。
それ故、詩論を展開する上においても、その二つの対立軸を利用して、詩の、芸術の本質を分かりやすく説明している。
例えば、主観的態度と客観的態度、自我と非我、感情と知的、時間と空間、音楽と美術、火の美と水の美、浪漫主義と現実主義、プラトンとアリストテレス、観念イデアと現実世界、ロマンチストとリアリスト・・・というように・・・
それでは、詩は、いずれの類型となるのか?
無論、原則的には前者である。
そりゃあ一概に分けられずに、どっちとも取れる、どっちつかず、とかあるだろうが、その違和感も詩の味わいというものだ。
それまでその肖像からも萩原朔太郎に切れるような鋭さばかりを感じていた私の印象は間違っていた。
詩について語る時の彼の熱情はまさに火のように熱く、詩とはおそらく冷静と情熱の間で大きく揺れながら落下し、やがて静かに熟成していくものに違いない、そういう思いに私は至った。
詩との出会い、詩人との出会いは、まさしく人生を左右するとは、決して大げさではない。
少なくとも、私は、そうだ。
思春期の頃、谷川雁や石牟礼道子に影響を受け、既述したように、二十代の鬱屈した時期には、天野忠を初めとする多くの詩人と会話し、そして、いみじくも大病を患い、捨てたはずの故郷に戻って、絶望の中で、また、一人の詩人に出会う・・・
それが、丸山豊、である。
愛についてのデッサン
丸山 豊
石を摩擦して火をつくる
そんな具合に
やっとこさ愛をそだて
遅々とした成熟をまっている
この竪穴住居のまわりを
豹よ
みどりの目をしてうろつくがよい
愛はたちまち消えるが
その力はかたちをかえ
サナギのような囚人になる
やさしい死をにくみ
愛の名をにくみ
やがて
砂のながれる法廷へ立つ
手錠のまま太陽を見すえる
愛するとき
おのずから愛がくずれはじめる
もっと愛するとき
愛が死ぬ
遠いところで愛のかたちがさだまる
砂漠の町の法典のように
海の底の炭鉱のように
一見すれば無機質に思える物の本質を捉え、それを言葉にして、人間にとって崇高なるひとつである、「愛」を語る。
詩人はきっと敢えてそうしたのだ。
「愛」の本質をとらえるために・・・
絶望の中、療養がてら、捨てた筈の故郷に戻った私は、そこで一編の短編小説を書いた。
それを地方の小さな公募展に出した。
初めての試みだった。
何故そこにしたかは、審査員の一人に丸山豊がいたからである。
全国的には無名であるが、丸山先生は、谷川雁が参加していた、「母音」という詩誌を主宰し(そこから優秀な詩人が生まれた)医師でありながら、自らも詩を書いた。
幸いにも賞を頂き、その上、先生から直接お褒めお言葉をいただいた。
「書き続けなさいよ」
先生は私にそう言われた。
結果的に私は先生のその言葉に沿うことはできなかった。
先生はこうも言われた。
「すこしお固く言えば、文学もまた修験のひとつである。錫杖をならしての苦痛をくぐりぬけねばならぬ」
創作に於いては、ただ漫然と言葉を並べるのではなく、護摩行の修行僧が、火の中に入る時のような、そんな思いで言葉を生み出す覚悟が必要である、ということだろうか?
今となってはその言葉は詩の本質を語る、熱い萩原朔太郎と通じるものがあることに気付く。
もともとその才能も覚悟もなかったのだが、私は詩人になりたいと思ったことはない。
だが、詩人でありたいとは、いつも思っていた。
自然の中にたたずむ時、人の中で葛藤する時、いつでもどこでも、己のうちにある詩的精神煥発の窓は忘れずに開けていた。
そうすることで、ささやかな私の人生も少しはマシになる気がしたのだ。
詩人はいいなぁ・・・
私の敬愛する詩人 天野忠と詩人 丸山豊は私と同じものを見ても違う事を感じるらしい。
冒頭で紹介した天野忠の詩のように丸山豊もまた水道管を見てこう思っている。
愛についてのデッサン
丸山 豊
バケツと
ゴム長靴に尊厳なし
ほとばしるものを
だれかがきて
蛇口をしめる
蛇口の先
くるしみのかたちで光るのは
一しずくの愛
しずかに凍れ
共同洗濯場のくらさ
年をとってアイドルの推し活にはまった人のように、私は詩について盲目的に語りすぎたようだ。
私が今住む八ヶ岳の森も、今は樹木も葉を落としスカスカになって、色をなくした。
最後の一葉が梢を離れ、まるで最初から決められていたように宙を舞い、何にもぶつからずに、地上に降り立った。
今日、それを私はただ見ていた。
冷静と情熱の間をダイナミックに揺れ動きながら、やがては静かに降り立って、熟成されていく詩人たちの言霊・・・
もう年をとってしまったから、水道の栓をしめるのは誰かに任せて、私もまた、そんな珠玉のものをこれからも身近に置いておきたい・・・