みんな夢でありました
過去などあまり振り返りたくない。
だけど決して忘れてはいけない過去もある。
たとえどんな人生でも人には「あの日」と呼べる特別な日があるはずだ。
自分の人生の何かが変わった・・・。
あの日のことを忘れない。もうずいぶん昔の話だ。
私は沖縄にいた。八重山郡のY島。台湾にも近い果ての島で、私はサトウキビ狩りの援農隊の一員として過酷な労働に明け暮れていた。
援農隊といっても、たとえば海外青年協力隊のような情熱的な使命に燃えたものでは決してない。
くいっぱぐれて、当座のお金が欲しいもの、観光気分の気楽なもの、なにか暗い個人的な事情を抱えたもの、そんな雑多な連中が流れつき、よどみのように、その南島に集まっていた。
それらはたとえば立松和平の小説「太陽の王」、篠原哲雄監督の映画「深呼吸の必要」に詳しいが、現実はより現実的で創作のように綺麗なエンディングは迎えない。
そこで私はひとりの男にふたりの女と親しくなった。
勿体つけた言い方だが、そう言うしかない。その島では誰もが輪郭がぼやけている。
それを物語の登場人物風に紹介すれば、Nは趣味で詩を書いているという女の子で、高校を出て普通に働いていたが、ある時知り合った医者の卵の男と付き合いだし、結婚する話まで至った。ところが開業医の親を持つその男が、医院の嫁としては、せめて大学くらいは出ていたほうがいいだろう、と言い出した。学費は出すから、今からでも大学に行ってくれと。 もともとNは本当にその男が好きなのか判らないまま付き合っていたので、言われるままのこの結婚話を進めていいものか分からなくなってきた。そこで彼氏にはひとりで旅行に行くと言ってこの島に来たのだという。
Hはジャズの好きな女の子で、最近までサラ金会社で受付をしていたのだが、ある時、お客の一人が事務所に乱入してきて、暴力沙汰の大騒動になったのだという。それに巻きこまれてHも怪我をした。 ある日、包帯を巻いた手でいつものようにお札を数えていたら、不意に青い空と青い海が浮かんだという。よくあるパターンだが、彼女は退職届を出し、この島に来たという。
彼女は私にブルース・スプリングスティーンの素晴らしさを語った。ジャズにしても好きなプレーヤーはチャールズ・ミンガスと渋いチョイスをした。ミンガスの「直立猿人」を聞くと体が熱くなり、もりもりと元気になるのだという。少し変わった子だなと思ったが、私はどすんと恋に落ちた。
そして、K。
Kとは宿泊先の民宿で同室になった。Kは私より少し年上だったが、自分の事をあまり語らなかった。彼には何処か中性的な雰囲気が漂い、神経質な感じだが、一緒にいてもそれほど疲れない。私は私でその頃挫折を繰り返し、本当はうつ状態であったから、静かなKはかえって都合がよかった。
南島の厳しい日差しに射抜かれて、過酷な労働に明け暮れているうちは、よかった。
何も考えずに済んだ。
何度も何度も地面に手斧を振り下ろしているうちに、自分が一体何者なのかも分からなくなる瞬間があった。それは快感だった。
だが、あれほど島を覆っていたサトウキビ畑があらかた刈り取られ、やがて島に四月の爽やかな風が吹くようになった。私たちも島を離れる日が近づいてきたのだ。それとともに何も見通せない将来への不安が再び私を脅かした。
そんな時、珍しくKが「明日はみんなで海に行こう」と誘った。
「行こう」とNもHもそれに乗った。
その夜、部屋に戻ったKは「今日は君に話がある」と切り出した。
いつになくその顔が深刻で、私はふと不吉な予感がした。
「この部屋ちょっとあかるすぎるな」と電気を落とし、テーブルに一本のローソクを灯した。 その夜、私とKは薄暗い部屋で向かい合い、Kは初めて自分のことを語り始めた。
「沖縄は自分にとって特別な場所だ」と、Kは言った。
高校生の頃、学生運動をしていた兄の影響で、自分も活動するようになった。デモにも何度も参加したし、沖縄にも以前来たこともある。 Kはその頃の自分を懐かしむように、時折、暗い天井を見上げ、ため息をついた。
「あ、そうだ。今日は、これ買ってきたんだ」とテーブルに泡盛の瓶を置いた。
「君、飲めないんだっけ」とKは少し笑った。
「いえ、飲みますよ、今夜は」
「そうだよね、もう、お別れだもの」
強すぎるお酒を飲み過ぎたからではないだろう。おかしなことに蠟燭の灯りだけが揺れる部屋で、ふと、私はKの姿を見失う瞬間があった。ただKの声だけが聞こえてくる・・・。
「君はこんな死生観を知っている?」
「シセイカン?」
「ほら、この島だって、周囲を環礁(リーフ)に囲まれているだろう。それを境にして、内側の静かな海を、生とすれば、外側は死。だから生から死への移行は波が続いていくように、とてもスムーズに進んでいくんだ、そんな風にこちらでは考えている」
私にはKが何を言おうとしているのか解らなかった。それを察したようにKは少し自嘲気味に「つまり、大したことはないってこと」とそう言った。
翌日はよく晴れた。
私たち四人は、観光客があまり知らない岩場の陰のビーチで遊んだ。
長かったサトウキビ狩りが終わった解放感とけだるい充実感を感じながら、ひと時の休暇を楽しむように、それぞれに時を過ごしていた。
私はHと子供のように水の中で戯れた。海よりも青いHの水着が私の眼前で快活に揺れた。私はしあわせだった。時折潜水から戻り大きく水面で息を継ぐとき、生きている実感を感じた。と、ゆらゆらと水面に仰向けになり、どこまでも青い南島の空を見あげていると、自分はこの世に一人っきりだという実感が沸いた。裏腹の感情だった。
どれくらい時間が経っただろうか、最後のシュノーケリングをして波打ち際に上がってくると、Hが青ざめた顔で海を見ている。
「どうした?」
「Kさんが・・・」
気が付くと岩場に腰を下ろしていたNも呆然と海を見ている。
「帰ってこないの」
私は振り返り少し波の強くなった海に目を凝らした。リーフの辺りで不吉に波が白く砕けている。
「大丈夫だよ」
と私は力なく呟いたが、Kが再び戻ってくることはなかった。
数時間後、Kの遺体は捜索に出た島のダイバーに発見された。
リーフの下の砂地に引っかかっていたのだという。
「幸運だったよ、沖に流されてたら・・・」とダイバーは言いかけて、口を噤んだ。
役場の中庭に簡易のテントが張られた。テーブルが置かれ、Kの柩はそこに安置された。 私たちは島の駐在に別々に事情聴取を受けた。駐在は特に突っ込んだ質問をするわけではなかった。Kの死は深く追及されることもなく、事故死とされた。
「あの・・・」
振り返ると、珍しくNが私に話しかけてきた。
「私、見たんです」
「何を?」
「Kさん、あの時、波間に姿が消える瞬間、こっちに大きく手を振ったんです。確かに。でもそれが助けを求めたのか、それとも・・・それが分らないから、私、お巡りさんにはこのこと黙っていました」
私は見てもいないその光景を脳裏に思い浮かべて、ようやく、こう言った。
「いいと思うよ、それで」
それ以上は何も言えなかった。
私とHは一晩中二人でKの柩を見守った。
遺体が痛まないようにと、時折柩の中の氷を変えた。テントに取り付けられた薄暗い電灯に蛾がしつこくまとわりついていた。
いつも明るいHも口数少なく、沈んでいた。私はその横顔を以前よりももっといとおしい気持ちで見つめた。だがその反面、「この人とはこの島でお別れになるのだろう」という予感がした。
翌朝、Y島では火葬ができないから、I島まで運ぶために、海上保安庁の船がKの遺体を引き取りに来ることになった。
その船を待つ間に一人の訪問者があった。Kの兄である。
東京から飛行機で急遽来たのだという。遺品を渡してくれと駐在に頼まれていた。
「荷物はこれだけだと思うんですが・・・」
私は小さなバッグを訪問者の前に差し出した。
「これだけ・・・?」
男が一瞬息をのむ音が聞こえたような気がした。
「弟はずっとノイローゼだったんです」
Kの兄は今都庁に務めているのだという。明るい色の薄手のスーツを着こなしたその姿からは、かつての学生運動の闘士の姿はまるで感じられなかった。
「もう両親も高齢なんで、このことをどう伝えたらいいか」
男が私の方に向き直った。
「弟は本当は自殺ではなかったのですか?」
「いえ」
そんなことはない、と私は否定した。
「あなたにどうしてそれが分かります?」
「来月、那覇で大きな集会があるらしいんです。Kさんそれに参加するって言ってましたから」
「まだ、そんなことを・・・」
だから、決して、決して、そんなことはない、と私は断言した。
遅れて港に着くと、船は既に到着していた。保安庁の若い隊員たちがきびきびと動いていた。既に車で運ばれていたKの柩を役場の職員たちが船に移そうとしていた。私も慌てて手を差し伸べた。ぞっとするほど柩は冷たかった。
柩は船の上甲板に乗せられた。
私は埠頭に佇むHの傍らに戻った。気が付くと援農隊の連中も港に集まって来ていた。
やがて、纜が解かれ、エンジン音が高まった。船はゆるゆると方向を変えた。その時、上甲板にあるKの柩がはっきりと見えた。私は胸を衝かれた。別れていくのはKの筈なのに、私自身がみんなから離れていく気になった。あれはKではなく、私でもよかったのだ。何かが終わるのだ、とそう思った。
と、傍らにいたHが一歩前に出て、港を離れる船に向かって大きく手を振り始めた。目にいっぱい涙をためて・・・。私もそうした。すると、見送りに来ていた人たちがそれぞれに手を振り始めた。
船は南島の溢れる光を受けて、ガラス細工のようにきらきらと輝きながら、迷うことなく進んだ。
Kは死者が向かうという海の彼方にある理想郷へいけるだろうか?
私は、この南の島の別れの日を決して忘れない、そう誓った。
先年亡くなった森田童子の歌を聴いていると、私は、いつもKとこの日のことを思い出す。
キャンパス通りが炎と燃えた
あれは雨の金曜日
みんな夢でありました
みんな夢でありました
目を閉じれば
悲しい君の笑い顔が見えます
河岸の向こうに
僕たちがいる
風の向こうに
僕たちがいる
みんな夢でありました
みんな夢でありました
もう一度やり直すなら
どんな生き方があるだろうか
過去が全て夢であったら、というのは敗者の考えだろうか?
だが、それぐらいの思いは許してほしい。
敗者とて、結局、どんな人生であろうと、それを引き受けるのは自分以外はいないことは、知っているのだから。