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私の経験談①〜初めてのパニック発作と幼少期〜
初めまして、ERIKAです。
『パニック症で一人苦しむ方の居場所になりたい』
と活動しております。
自身がパニック障害・鬱状態を経験し
周りに経験者もいなく孤独に感じていた日々から
たった3ヶ月で不調改善し半年で焦燥感が消え
10ヶ月で予期不安がほぼ無くなった状態へと導けた
私の経験談をお話していきたいと思います。
幼少期と思考の癖
小さい頃の性格はお兄ちゃんが大好きで
なんでもお兄ちゃんの真似をしてひっつき虫。
小さい時から働いていた母に変わり
祖母がいつも側にいて育ててくれました。
小さい頃から泣き虫で不安になりやすい性格だったと思います。
私の記憶の中には家に父がいた記憶はなく(別居状態)
母が家事も仕事も育児もこなしてくれていたように思います。
母も余裕がなくとてもキツく当たられることも
いつも不機嫌で機嫌を伺って過ごしていたのを覚えています。
話を聞いて欲しいのに聞いてもらえない。
甘えたいのに甘えられない。
そんな状態が続いていたように思います。
これが生きづらさの原因でもあると思いますが、
当時の母を責める気もありませんし
母なりに精一杯、何不自由なく育ててもらったと思っています。
でもそれとこれとは別なんですね
あの時の私は我慢をする癖がついてしまったのでした。
初めてのパニック発作と記憶
私の初めての過呼吸は小学生でした。
当時一番自分の中で衝撃的な出来事がありました
内容は伏せますが母が初めて泣いている姿を見たのです。
人生の中で母が泣いている姿を見たのはあの時だけでした。
その出来事は私にとってもとても辛く、
夜通しわんわん泣いたのを覚えています。
・人に捨てられるという不安、悲しみ
・自分の理想は叶わないんだという絶望
・大切な母を傷つけたという怒り
当時そんなものを感じていたと思います。
その後、私が悲しんでいたら母が悲しむ、私は笑顔でいよう。
と自分の感情に蓋をすることを決めたのです。
きっとそこからいろんな感情を我慢してきたものの、
爆発したのがこの発作だったのかなと思います。
嘔吐、過呼吸、死ぬかもしれないという感覚。
小さいながらにこの発作が恐怖だったことを覚えていました。
この経験から嘔吐恐怖症にもなりました。
当時は予期不安もあり1週間何も食べられなくなった私を
初めて母は病院へ連れていき、点滴をして食欲が回復した私は
なぜか元気になりました。
当時は深く考えることもなく切り替えられたのかもしれません。
過呼吸だけは絶対になりたくない
という思いだけが脳に記憶されました。
出来事はただのキッカケに過ぎない
今思うとそう感じます。
自分にとってとても辛いトラウマとなる出来事だった
でも
その出来事をきっかけにその選択したのは自分自身
その選択は苦しいよって教えてくれたのがパニック発作
どんな出来事でもその後選択するのも自分ですよね◎
だけど、子供にとっては母が全てですし、
あの時の選択も仕方がないことで…
その選択をした自分を責めなくていいし
それがその時の一番の最善だった。
今から出来ることは、
その出来事に向き合ってあげるということが大切。
今向き合うことでトラウマとなっていた出来事は
捉え方を変えられたり、仕方なかったんだなと思たり
そしたらホッと心が緩んだり暖かくなったり…
段々小さくなっていくわけです!
何はともあれ
感情に蓋をするのは何も良いことがない!ということですね
大人だって泣きたい時は泣いていい!
怒った時はイライラしたっていい!
どんな感情も私たちの一部◎
たっくさん感情を感じて生きていきましょう。
楽しい時も悲しい時も怒ってる時も
『あ〜私生きてるわあ』
って感じて過ごしてみましょう
これから実現していきたいこと
【 パニック症で一人苦しむ方の居場所を作りたい 】
私が実際パニック症になって悩んだことがある。
『 孤独感 』
当時は、家族も友達も駆け付けてくれ助けてくれた。
それでもこの苦しさや症状は理解してもらえないという
孤独感がとても強かった。
なった人にしか分からない辛さだから。
そんな人がここにいても良いんだと思える場所を作りたい。
リラックスできる空間をyogaで提供したい。
同じ経験をして乗り越える仲間でありたい。
そう思い活動をスタートしました♪
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