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大人になったら何になる? 5歳のわたしが「なりたかったもの」

Love Love ミンキーモモ お願いきいて
Love Love ミンキーモモ お願いきいて

魔法のプリンセス ときめく予感
何かが待ってる 今日のむこうに
時よまわれ 夢のお話
どんな私に 出逢えるかしら

大人になったら 何になる
大人になったら 何になる

Dreaming 夢が きっと叶うわ
Love Love ミンキーモモ お願いきいて

小山茉美『ラブ・ラブ・ミンキーモモ』
作詞:荒木とよひさ/作曲:佐々木勉

お聴きいただいたのは、私の大好きなアニメ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のオープニングテーマ曲だ。

『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、昭和57年3月から昭和58年5月にかけて放送された、魔法少女アニメの金字塔といえる名作中の名作である。

このアニメが放送開始されたとき、私は小学1年生。7歳だった。

私の住む地域では毎週日曜日の朝に放送されていて、これを観たいがために学校がお休みでも毎週ちゃんと起きて、夢中になって観ていた。それこそ、テレビにかじりつくようにして観ていた。

空に浮かぶ夢の国「フェナリナーサ」からやってきた魔法使いの少女・ミンキーモモが、魔法の力で大人に変身し、出会った人たちの夢を叶えるために奮闘する物語。

主人公のモモは12歳の少女だが、事件に遭遇するたびに魔法を使って、ありとあらゆる職業のプロフェッショナルの技能を身につけた18歳の大人の女性に変身し、事件解決のために奔走するのだ。

いざ自分が大人になってみると、「果たして “18歳” って大人なのか?」と疑問に思う。
いまの私ならきっと「いやいや、まだまだめっちゃガキやん!」ってツッコんじゃうだろうけど、子どものころにはそれがずっと大人に見えた。

その回の事件に合わせて大人に変身したモモの活躍を観るのが、毎回楽しみだったんだよね。

看護師、ジョッキー、レーサー、ダイバー、ファッションモデル、テニス選手に野球選手、怪盗やターザンまで……いやいや、それって職業ちゃうし!

婦人警官のモモがかわいくて印象に残ってる。
「婦人警官」って呼び方、いまだとアウトなのかなぁ?
だけど言いたい。あえて「婦人警官」と。やっぱり響きが違うもん!

あと、いまでも私の脳裏に鮮烈に残っているのは、プログラマーのモモ。
「ほぉー、そんなお仕事があるんだぁー!」って、興味津々で観てたな。
私がシステムエンジニアになったのは、もしかしたらこのときの影響なのかもしれない、なんて思う。

とにかくめちゃくちゃハマってて、ミンキーステッキ(モモが使う魔法のステッキ)も持ってたし、パズルやぬりえやキルキルファッションやデチョンパなどなど、当時発売されたグッズはなんやかんや持ってたな。

なつかしー!!!

模写が得意だったから、モモのイラストとかめっちゃ描いてて、当時流行したプラ板でキーホルダー作ったりもしてた。
モモの髪飾りを模したものを自作したりもしたな。

昭和世代、特に私と同世代の方には、きっと共感していただけるんじゃないかなと思う。
知らない人には「なんのこっちゃ」だろうけど、このアニメが放送されていたころは、女性が社会で活躍するのがまだめずらしかった時代。

夫婦共働きの家庭なんて、まだそんなに存在しなかった。共働きと聞けば、「あそこのおうちは、よっぽど家計が苦しいんだ……」なんて思ったものだ。

作品のテーマのとおり、「ミンキーモモ」は多くの少女たちに夢と希望を与えてくれたに違いない。私は間違いなく、そのひとりだった。

どんな職業のプロフェッショナルにでも変身できるモモは、私のあこがれだった。
「大人になったら 何になる」と歌うキラキラしたオープニングテーマに、私はちいさな胸を躍らせた。

これは、私が「ミンキーモモ」に出合う3年前のお話である。


私の通う幼稚園では、隔月で「おたんじょうび会」が開かれていた。

自分が祝ってもらう番になったとき、他の対象となる子たちといっしょに、先生によって集合をかけられた。

「今度のおたんじょうび会で、大きくなったら何になりたいか、みんなの前で発表してもらいます。大きくなったら何になりたいか考えて、教えてくれるかな?」
先生はそう言って、私たちに質問をしていく。

「カナタちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」

私の番がきて、先生から尋ねられるけれど、なかなか言葉が出てこない。

うーん、うーん、うーん。
考えて、考えて、考えて。

やっとの思いで捻り出した、渾身の答えは。

「……大工さん」

幼い子どもの口から飛び出した思いもよらない回答に、先生が戸惑っていたのが、私にもしっかりと伝わった。

「だ、大工さん!? 大工さんって、あの大工さん?」

何度も聞き返された。
大工さんが何をする人なのか、こいつはわかって言っているのか?
それを知りたかったのだろう。

「うん。トンカチでトントンして、おうちをつくりたいです」

普通、このくらいの年のころの女の子だと、だいたい

「ケーキ屋さん」
「お花屋さん」
「お母さん」

なんてのが定番じゃない?
子どもらしくて、かわいいよね。
いまの時代はどうなのか知らんけど。

それらを見事にハズした「大工さん」。
だけど冗談なんかではない。私は大真面目だった。
先生はさぞ困惑したことだろう。

このころからすでに時代の最先端を行っていたのか、私は。
ダイバーシティを見据えて?

……んなわけあるかい。

何度も念を押して確認された。
「本当に、大工さんでいいの?」
私は、静かに頷いた。

そのやりとりが、ちょっとだけ恥ずかしかった。

しつこいな。それがいいって言ってるのに、なんでそんなに聞いてくるの?
私、何かおかしい?
やっぱり、他の子と私は違うの?

女の子だからって、大工さんになりたいって思うのが変なの?

だけど、私は子どもながらに真剣に、必死に考えたんだよ。
そのうえでの「大工さん」だったんだよ。

そういう発想になったのは、父の仕事に対してあこがれの気持ちがあったからなのかもしれない。

私の父の仕事は「電気屋さん」だ。
私の家の中にある照明器具や電気製品のほとんどは、父が設置したものだ。
家の至るところに、父の作ったちょっぴり不格好なスイッチがある。

そんな父を幼いころから間近で見ていて、「職人さんってカッコいいな」なんて思うようになったんじゃないかな。


おたんじょうび会には、保護者も同席する。
もちろん、私の母も出席してくれた。まだ幼い妹のあゆみを抱っこ紐でおんぶしながら、園に来てくれた。

ハッピーバースデーの歌をみんなで歌ってくれて、
「お誕生日おめでとう!」とみんなで祝ってくれて、
プレゼントの手づくりの首飾りをもらった。

そして、発表の時間がやってきた。
「大きくなったらなりたいもの」をひとりずつ順番に、みんなの前で発表していく。

私は事前に先生に伝えていたとおりに、みんなの前で言い放った。

「私は、大きくなったら、大工さんになりたいです!」

心のどこかで「これ、言ってもいいのかな?」なんていう不安を抱えていた。先生と同じような反応を、他の人たちにもされるんじゃないかと心配していた。
それでも、みんなと同じような「ありきたりなこと」は言いたくないと思った。

幸い、みんなからのリアクションは私を不安にさせるほどのものではなかった。
普通に拍手をもらったけれど、きっと

「こいつマジか。女の子なのに、大工さんになんてなれるわけないやん!」

って、みんな心のなかでツッコんで聞いてたと思う。

発表が終わって、目の前のテーブルに広げられたごちそうを食べる。
この日の主役だけが食べられるごちそうだ。
大好きなカップのアイスクリームを、私は得意顔で口いっぱいに頬張った。


幼稚園からの帰り道、母が私に尋ねてきた。
「カナタは、なんで大工さんになりたいって言ったの?」

やっぱりそれ聞かれる?

「うん、お父さんみたいになりたいと思って」
「それで大工さん? 電気屋さんじゃなくて?」
「うん、お父さんみたいになりたいけど、同じじゃないのがいい。カナタはおうちをつくる人になりたいの」

そんな会話をしながら、家路についた。

父は電気工事士だ。大工ではない。
それをなんとなく理解しつつも「大工さんになりたい」と言った意図はなんだったのだろう。

自分が家を建て、その家の電気工事を父にやってほしいという父娘コラボ願望でもあったのだろうか。

真面目に考えて、幼いころから「創造する」ということへの強いあこがれがあったのは間違いないと思う。

「職人さんになりたい」って、本当は言いたかったんだろうな。
だけどまだよく言葉を知らなくて「大工さん」と表現したんだろう。
自分のなかでの「職人さん」のイメージが「大工さん」だったのかな。

私の夢は、「大工さん」からそのうち「本屋さん」になり、いつしか「バレーボール選手」になって「スポーツライター」そして「もの書き」を志すようになった。
しかしそれが途中で「歌手」へと変わり、大いに遠回りをしたけれどもやっぱり文章を書く「作家」へと戻ってきて現在に至る、というわけだ。

もう辞めちゃったけど、システムエンジニアもいわば職人さんだ。
作家だって、職人さんと言えるしね。


やっぱり私は、幼少期から相当に変わった子だった。
45年も前から、これほどまでにクセが強い子だったとは。

自分が「みんなと同じじゃない」ということを、とても不安に感じていたくせに。
一方で、「みんなと同じじゃ嫌だ」と思っていたなんて。
あの年齢で、だぜ!?

一見矛盾するようなその想いが、こうして現在の私をかたちづくっているんだよな。
幼いころから、まぎれもなく私は私だったのだ。
「三つ子の魂百まで」とは、よく言ったもんだな。

そして、大人になってからもずっと「感性が独特」「個性が強烈」などと言われ続けるんだよね。

そんな私の人生の記憶をめぐる旅は、まだまだ続くのであった。

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