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2人の背中 r

2000年、シドニーオリンピックのシーズンが始まった。初戦の日大・東海対抗戦は100m優勝。まずまずのスタートをきって静岡国際グランプリを迎えた。

大惨敗とケガ

日本グランプリ第2戦、静岡の200mに出場した。この大会はオリンピックの選考レースにもなっていたが、自分には関係ないと思っていた。

予選は2着(20秒9)で通過した。決勝には残ったがまったく勝負になる気がしなかった。決勝でも案の定、直線手前でだいぶ離されていた。そんな時、右足が悲鳴をあげた。

あの県大会と一緒だ。コーナーを曲がりきれずに止まると末續が1着でゴールしていた。


関東インカレ

静岡から2週間、まったく練習も出来ないまま関カレを迎えた。100mは棄権。400mリレーは(寺野3ー菅野2ー山村3ー山谷4)決勝だけ走ったが予選よりタイムを落とししまった。

その後、200mに出場すべきか迷っていたが、走る事に決めた。いや、決まった。足はテーピングで固定し恐怖で頭がいっぱいだった。

失格

テーピングで固めている間に後輩(翼)に招集をお願いした。その後、コーチと一緒に招集場に向かったが翼の姿はなかった。ゼッケンは翼に預けてある。招集完了まで時間がない。

数分後、目を腫らし翼が現れた。何度も『すいません』と謝っている姿を見て、申し訳ない気持ちになった。

翼は競技場内で迷ってしまったらしい。責任を感じる翼とは逆に、ホッとしている自分がいた。

走ったところで予選通過は出来なかった

こんなおれに謝らなくていいよ。

そんな気持ちだった。

辛い思いをさせてごめん。

対抗戦

レースでは高校の先輩、山谷さん(山谷征爾)が決勝へ残った。ただ、決勝で走る事はなかった。スタート前、足にスパイクは履いていなかった。どんな気持ちだったのだろう。スタートから終始、歩いてゴールをした。

当時、その意味は分からなかった。

スタンド下からゆっくり小さくなっていく背中を見つめていた。

得点表には200mの下に1と書かれていた。

ー 続 ー


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Kanno Yuta //菅野優太
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