短編小説「婉曲的な善人」【オリジナル】
兵長は今日もみんなの前で歌を歌う
歓声はない、曲も聴こえない、響くのはただ、兵長の歌声と「カチッカチッ」というリズムのいいクリック音だけ
彼はインターネット配信で歌を歌う「歌い手」として活動している
配信は無料で誰でも視聴ができ、途中入室も退室も可能だ
そして配信というのは、案外難しくない。パソコンを設定し、機材を用意して、内部で音源を流し、マイクに乗せた自分の歌声と音源を混ぜてリスナーに聞かせる
「今日も聞いてくれてありがとう」
「なにかリクエストがあればコメントよろしく」
兵長は慣れた口ぶりでコメントを捌く
彼が歌い手活動を始めたのは純粋に「歌を聞いて欲しい」という理由だけだ
歌には少し自信があったが、緊張しいな性格で、人前ではあたふたしてしまいリラックス出来ず本来の実力が出せない事、もう一つ、容姿にも自信がなく、顔を隠しながら歌を聴かせる事が出来る方法はないかと探していた所、歌い手に辿り着いた
活動を始めてすぐは、せいぜい数人がネットの海で足を止めてくれる程度だったが、数ヶ月も経てば、持ち前の歌唱力は評価を受け、今では一度の配信に500人程度が集まるような大きなコミュニティを形成した
「歌、感動しました、よかったらどうぞ」
リスナーの1人からコメントが寄せられる
コメントにはアイテムが付いている、これは有料のアイテムで、実際のお金に換金できるのだ
「いやいや、申し訳ないからアイテムは要らないよ
歌を聞いてくれるだけでいいんだ、みんないつもありがとう」
兵長はコメントに対して声で返事をする
誠実で謙虚なコメントだ
しかし、そんな謙虚な彼の言葉に、リスナーは余計に思いを熱くするのだ
「兵長は頑張ってるし私は応援したいだけだよ」
また別のリスナーからアイテム付きのコメントが届く
今度はさっきよりも大きな額だ
「まじでいらないって、アイテム付けないとコメントできないみたいな流れになっちゃうとみんなに悪いしさ」
兵長は謙遜しつつ、アイテム付きでコメントしないリスナーに対しても配慮をみせる
歌を聞いてくれるだけで嬉しい彼にとって、アイテムは二の次なのだ
それでもアイテムは止まらない
リスナー達は、アイテムを煽られなければ煽られない程、心が燃え上がる
もっとアイテムをあげたら喜んでくれるかな、もっとたくさんあげたらどんな反応するのかな
そんな思いが強くなるのだ
「素直に喜びなよ兵長、これでどうだ」
さらに別のリスナーからもアイテム付きコメントだ、ひとつで一万円を超えるものが送られた
「まじでやめろって、次アイテム付きコメントした人ブロックするぞ」
兵長は笑い混じりでコメントを返し、ブロックというワードまで出す
ブロックをされたリスナーはコメントの投稿もできないし配信を聞くこともできない
もし本気の発言なら、お金を払ったのに配信が見れなくなるなんてたまったものではない
しかし、そんな兵長のブロック発言はお構いなしに、アイテム付きコメントは止まらない
彼のブロックという脅し文句は冗談だとみんなわかっているのだ
そしてその後もアイテムは止まる事を知らず、結局、最初のアイテム付きコメントから15分の間、アイテムは止まらず、兵長が歌う事なかった
そんな光景をみた私は思った
「アイテムはいらないと言いつつ、無理やり流れを止めて歌うこともなく、むしろアイテムが送られる流れを止めることなく助長する。要らないと言いたじろぐ事が利益になるとわかってやっている、なんて婉曲的な人間なんだ」と
彼は良い歌を歌っていた
とても上手で、心に響く温かみのある歌
プロがお金を取って歌っていても不思議ではないくらいだった
しかし配信は誰でも無料で視聴できる
私は歌を聞きに来たのに、15分もの間集金していただけで終わった
彼は、果たして本当に、歌を聞いて欲しいだけだったのかな
本当は……
END
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