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日本的霊性 抄(要点まとめ)

2024.12.18 更新

 筆者は、二か月ほど前に、縁あって井上哲玄老師のオンライン禅会に参加しました。それで、禅思想というものは、私たちを真摯に禅に向かわせるために、善知識が書き残した蹤跡しょうせきに過ぎないことが、よく分りました。

💎禅を本当に知りたい方は、大悟徹底、井上哲玄老師の公式サイトへ。


 下記投稿は、哲玄老師に独参する前の私が、35年間鈴木大拙に取り組んで、足りない知性の限りを尽くして書き上げた、役に立たない禅思想の典型です。が、自分の精一杯の努力の記念に、ここに残しておこうと思います。



鈴木大拙著「日本的霊性」の入門的紹介 (更新 2024.9.1)



はじめに

 鈴木大拙だいせつの「日本的霊性(i)」は仏教を題材にして霊性を探究していく。太平洋戦争末期の言論統制の下にあって、本書で大拙は軍部による無鉄砲な「日本精神」の宣揚をやんわり批判する。戦後に発行された続編では、今度は明示的に「御稜威みいつ」の思想を批判している。戦争が世界に再び蔓延しつつある令和の今、平和を願うすべての人に読んで欲しい良書であり、また大変な難書でもある。
 結論から言えば、大拙のいう「霊性れいせい」とは大智だいち大悲だいひのハタラキである。この書は知性の及ぶ範囲を超えていて読み進めるうちに読者にはさまざまな疑問が湧いてくる。「霊性って何?」「日本的霊性って?」「霊性と大地の関係は?」「超個己とか一人いちにんとは?」それから霊性は無矛盾指向の知性とは異なり矛盾を許容するところがある。そこで、大拙は矛盾の無い哲学体系を造らずに、その場その場で思想に融通をつけていく。矛盾許容論理を包含する霊性を語るのだから根源的に矛盾は約束されているのである。それでも、上に挙げた疑問の数々は著者の立ち位置が分かると解決する。この本は知性の立ち位置からでなく霊性の立ち位置から書かれているのだ。「日本的霊性」という書を理解するための唯一の道は読者みずからが日本的霊性になって読むことなのである。

 大拙自身がその序に「全編が試論で、組織的にまとまっていない」と書いているように、同書は長編の書である上に、「霊性とは何か」というテーマが、「日本的とは何か」と、「鎌倉時代における霊性の顕現けんげん」と絡みあい繰り返し顔を出す。これらのテーマを切り分けて整理することで大拙の意図をなるべく正確に読み取れるようにしたいというのが筆者の執筆動機である。編集に際しては本書の続編に当たる「霊性的日本の建設(ii)」「日本の霊性化(iii)」からも霊性に関する記述を引用した。

 大拙は、明治から昭和に生きた金沢出身の偉人で、世界の禅者とも呼ばれている。そして、彼の代表作の一つの「日本的霊性」の初版は1944年(昭和19年)に大東出版社から発行されている。この本は浄土宗・真宗、および禅宗を題材にしているが、主題は鎌倉時代に顕現した「日本的霊性」なのである。また、これは単なる個人的宗教意識を意味するのではなく、宗教意識に日本における情調的・思想的展開の傾向までも含めて日本的霊性なのだ。日本人のためには日本的霊性の価値に気づけと激励し、世界の未来に向けては、ここに無価の宝があるぞと紹介するのである。

 同書は大きく、緒言と5つの篇からなる。第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二篇「日本的霊性の顕現」、第三篇「法然上人ほうねんしょうにんと念仏称名」、第四篇「妙好人みょうこうにん」、第五篇「金剛経こんごうきょうの禅」。そのうち第五篇「金剛経の禅」は大東出版社発行の初版には含まれているが、昭和24年に鈴木大拙選集に収められる際に大拙自身により削除され、現在はこの篇を含むバージョンと含まないバージョンとの2バージョンが世に出回っている。

 本小論文は、第一章で霊性とは何か、第二章では日本的霊性の特徴を概括した。第三章では鎌倉時代に日本的霊性が開花するまでの経緯をまとめ、「日本的」という言葉の意味について考察した。第四章は「国家と霊性」について、第五章には大拙の真骨頂の「自由」に関する文章を紹介した。第六章は、霊性進化に関する筆者の一考察である。この霊性史観は「日本的霊性」という書の全体構造把握のための足掛りにして欲しい。

 本論は日本的霊性の入門編的な解説である。そのため、引用も、緒言、一篇、二篇に集中している。興味のある方はより深い解説の含まれる三篇、四篇、五篇も合わせて是非とも原書を手にとってお読み頂きたい。つたないまとめだと大拙にも叱られそうだが、「日本的霊性」という難書を理解する上で何かの参考になればと思う。


第一章 霊性の定義

 まず、鈴木大拙が日本的霊性という代表的著作の中で「霊性」をどのように定義したのかを、大拙の文章を拾い出しながら調べていきたいと思う。はじめに書いておくと、「霊性」を矛盾なく定義することはできない。それでも、大拙の思想について考察するときには、このようなザックリした言葉の定義を試みることは大いに意味のあることだと思う。

 大拙は「日本的霊性」というタイトルに込めた思いをその序文の中で、「この書を貫く思想、即ち日本的霊性なるものを日本宗教思想史の上に跡づけたい」と説明している。大拙はここで、思想と言っている。大拙が他の仏教者にない印象をあたえるのは思想を大事にするからだと思う。だがそうすると、日本的霊性も一つの思想だということになるのか。また、この書を読み進めていくと「霊性」と「日本的霊性」とではその用語の守備範囲が、空間的のみならず質的にも異なることに気づかされる。ここに、三つの重要な視点が浮かんでくる。

  ① 日本的霊性とは思想なのか
  ② 霊性の意義の二重性
  ③ 霊性の複合性

 このことについては、本論の中で少しずつ明らかにしていきたい。

1. 霊性と霊界

 はじめに多くの読者が持つであろう「霊性とはいわゆる霊なのか」という素朴な疑問に対しては、「大拙においてはノーだ」と言っておく。まず、下記引用から始めよう。

 霊性れいせいは、民族がある程度の文化段階に進まないと覚醒されない。原始民族の意識にもある意味の霊性はないとは言えないが、それは、極めて原始性のものに過ぎない。これを純粋に精錬された霊性そのものと思い誤ってはならない。

緒言「日本的霊性につきて」、第3項「霊性と文化の発展」

 一般に使う「霊」の方には、神霊とか、精霊、幽霊、死霊とかいうことがあるし、山霊、河霊、地霊、海霊などもある。(中略)次に、霊性は一般にいう霊と同じように形相を離れたものだ。その形相がなくなっても、その威神力をはたらかせ得るものである。こう言うと、霊性は何か魂のようなものと想像されるかもしれない。ここに、大きな誤解が生じ得る。

【霊性的日本の建設】、第二篇「日本的霊性的自覚」、第一講

 「魂のようなものとは違う」ので「霊」とは別ものだ。それから、霊性はある程度の文化段階に進まないと覚醒されないという。霊性は知性以前の話なので知的レベルに左右されることはなく、ともかく知性がありさえすれば文化レベルには関係なく覚醒しそうなものだ。しかし、霊性は覚醒するときを待つ。それは、文化が古代の感性的・情緒的なものから知性的なものへと成熟し、知性自身が己の限界を感じるレベルにまで論理性を高めるのを待つのである。そのときが、はじめて真の宗教意識が芽生えるときなのだ。万葉時代も平安時代も知性的熟成が不十分だった。平安時代の「物のあわれ」を感じる程度の知性では、業苦ごうくの不可欠の原因が言語意識にあることにはなかなか気づけない。従って、論理を超えようという強い意欲も出てこない。それで、ある程度の文化的発展が必要ということになるのである。結果的に大拙の「霊性」には文化の香りがつきまとうことになる。次の項では霊性という言葉の定義について、もう少し考えてみたい。

2. 霊性の定義

 はじめに、一般向けの解りやすい「霊性」の解説を見てみよう。

 我らは花をくれないと見る、柳を緑と見る、水を冷たく、湯を熱いと感ずる。これは我らの感性のはたらきである。人間はこれだけではすまないで、あかい花は美しいと言う、冷たい水は清々すると言う。これは人間の情性である。感性の世界がそれぞれに価値づけられる。またこの上に美しいものが欲しい、清々するが好ましいということがある。客観的に、そのものから我が身を離して、それを価値づけるのでなくて、それを我が手に収めようとするのである。これは意欲である。さきの価値づけも意欲の故であるということもできるが、とにかく情性と意欲とを分けて考えておくと便利なことがある。それからこんなふうに様々のはたらきを分けて話すはたらきを知性と言っておく。これらの諸方面の研究は心理学者のやるところである。またここで言っただけでも、もっとくわしく話さなければならぬと思う点もあるが、今はこれを省いて霊性へと急ぐ。

 霊性は、上記四種の心的作用だけでは説明できぬはたらきにつける名である。水の冷たさや花のあかさを、その真実性において感受させるはたらきがそれである。紅さは美しい、冷たさは清々しいと言う、その純真のところにおいて、その価値を認めるはたらきがそれである。美しいものが欲しい、清々しいものが好ましいという意欲を、個己の上に動かさないで、かえってこれを超個己の一人いちにんの上にせしめるはたらきがそれである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第2項「霊性のはたらき方」

 4種の心的作用を自己の知性で処理せずに、感性や情性や意欲を超個己の一人いちにんの上に動かすハタラキが霊性なのだという。このような心理学的説明は現代人には理解しやすい。だが、本書の大拙の真意を正しく読み解くためには、そこに留まらずに、もっとハッキリと直付けに霊性をつかみ取る必要がある。

 大拙だいせつが特に霊性れいせいを取り上げる理由は、読者に知性のもつ二元対立性の弊害に気づかせることにあると思う。時代が戦中から終戦へと向かう中で、大拙は当時の日本のリーダーたちが民衆を先導するために用いた「日本精神」という用語に対して批判的な考えを持っていた。戦争のための人心掌握、そして国家間対立の根底に、大拙は人間精神のもつ根本的二元性・二分性を見ていた。この二分性、対立性の源泉は「精神」以外を知らないことにあり、人間が「霊性」に目覚めない限りこの二分性・対立性は無くならないことを、大拙は彼の霊性の底で感得していた。

 物質と対比した「精神」に留まる限り日本人に自由はない。「日本精神」という言葉で大衆を支配しようとする暴挙を批判する一方で、大拙は「霊性」という言葉に精神とは異なるハタラキを割り当てた。そして、精神では言い尽くせぬ意義を霊性に託し、当時の日本の知識層に広く問いかけた。「日本的霊性」はそのために書かれたのである。その書の冒頭の緒言の中で大拙は以下のように霊性を提示する。

 霊性という文字はあまり使われていないようだが、これには精神とか、またふつうにいう「心」のなかに、包みきれないものを含ませたいというのが、自分の希望なのである。精神または心を、物(物質)に対峙させた考えの中では、精神を物質に入れ、物質を精神に入れることができない。精神と物質との奥に今一つ何かを見なければならないのである。二つのものが対峙する限り、矛盾・闘争・相克そうこく相殺そうさいなどいうことは免れない。それでは人間はどうしても生きて行くわけにいかない。

緒言「日本的霊性につきて」、第2項「霊性の意義」

 「精神を物質に入れ、物質を精神に入れることができない。」と言うが、普通に考えると、べつに相互に入れ込まなくてもいいだろうということになる。これは、精神と物質の隔絶の問題ではあるが、それ以前に、精神と物質を概念的に切り分けたがる人間の意識のあり方に人々の注意を向けさせようとするのである。大拙は精神と物質に峻別される以前の認識世界を見ている。大拙はつづけて、霊性という言葉の本質を以下のように説明する。

なにか二つのものを包んで、
二つのものが結局は二つでなくて一つであり、
また一つであってそのまま二つであるということを
見るものがなくてはならない。
これが霊性である。

緒言「日本的霊性につきて」、第2項「霊性の意義」

 ここで大拙は精神と物質を包んでと言わずに、何か二つのものを包んで、と一般化しモデル化しているところが興味深い。大拙においては、二はいつでも、それがいかなる二であっても、完全に分割され切り離された、排他的かつ鉄壁の二としては意識されない。「二は二でなくて二だ」というのが大拙の好む言い回しである。精神と物質の対立は最も重要な例だが、それに限らず、結局、この「二の不二ふに性を見破るもの」が霊性だということになるのである。

 このような「二は二でなくて二であり、それを見破るものが霊性だ」といった説明はなんだか不合理に聞こえるが、これが、私たちの知性一般あるいは精神がギリギリ理解可能な範囲での「霊性」の描写なのである。大拙は以下のように続けている。

 いわば、精神と物質の世界の裏に今一つの世界が開けて、前者と後者とが、たがいに矛盾しながら、しかも映発するようにならねばならない。これは、霊性的直覚または自覚により可能となる。 霊性を宗教意識と言ってよい。ただ宗教というと、普通一般には誤解を生じやすい。それで宗教といわずに霊性というのである。が、元来宗教なるものは、それに対する意識の喚起されない限り、何だかわからぬものなのである。宗教についてはどうしても霊性とでもいうべきはたらきが出て来ないといけない。すなわち霊性に目覚めることによって始めて宗教がわかる。

緒言「日本的霊性につきて」、第2項「霊性の意義」

 ここでは精神と物質の関係として語られているが、実際には、ひとつの二元性が破れてしまえば、あらゆる二元性が破れてしまうことになる。闘争の源となる二元性・対立性、その基盤に絡みついた人間の凶暴性・残忍性を、根こそぎ取り去ってしまうのが、「霊性」のもつ特異なハタラキである。

 もう少し見てみよう。

 今までの二元的世界が相克そうこく相殺そうさいしないで、互譲ごじょうし、交驩こうかんし、相即相入するようになるには、人間霊性の覚醒を待つよりない。これは、霊性的直覚または自覚によって可能になる。

緒言「日本的霊性につきて」、第2項「霊性の意義」

 精神が物質と対立してかえってその桎梏しっこくに悩むとき、自らの霊性に触れる時節があると、対立相克の悶えは自然に解消されるのである。

緒言「日本的霊性につきて」、第4項「霊性と宗教意識」

 これらの文章から、霊性的直覚が悟りを意味することは明らかだ。しかし、霊性が悟りだとしても、それで全てが解るわけではない。霊性とは何か。私たちの普段の意識とはどこが違うのか。こうした疑問に応えるべく、次にいくらか専門的になるが、知性と霊性についての説明を引用する。

 この「霊性」という字ですが、私は次のような意味に使いたいのです。人間にはみな意識というもの、まあ単に心と言ってもよいが、そういうものがある。これを二つの面に分けて、一つを「知性」と言い、一つを「霊性」といっておきます。この知性という方を仏教で言う意識(ヴィジュニャーナ)[3]と末那識(マナス)[4]とを兼ねたものに当てるとしますと、霊性の方を般若(プラジュニャー)[5]に当ててもよいかと思います。しかし般若はんにゃというと、般若は智慧ちえと訳されていて、知性的な意味が非常に強くなってきます。
 そもそも般若の智慧には知性的なもの、直覚的なものがありますが、それは霊性的自覚というべきもので、本質上は知性的ではないです。それで私は知性と霊性とを分けるのです。霊性は知性を統率、統制して行きます。それゆえ知性からは霊性は出ないが、霊性からは知性が出るのです。つまり知性はその方便として現象します。霊性というものをこういう風に見ておきたいと思うのです。

【日本の霊性化】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 話が仏教哲学講座のように難しくなってしまったが、仏教にあまり馴染のない読者は、般若の智慧というのは簡単には人知を超えた仏の智慧のことだと理解してもいい。ただし、仏は自己の外には無いし、内にも無いのだ。とにかくここに、霊性はプラジュニャーで、「般若はんにゃ智慧ちえ」だという明快な解説が与えられている。ところが、まだ続きがある。次の引用を見て欲しい。

 仏教の根本義は、智慧ちえ面と慈悲面、大智だいち大悲だいひを共に支持して行くところにあることは言うまでもないと思います。しかし、両面を両面にしてしまって、その「一」であることを忘れるのが知性なのです。それで私は霊性といって、般若の智慧と共存して離すことのできない、大悲の願力をも主張する次第です。の中にというものを含めておいて、大智即大悲、大悲即大智の一体、これを霊性と言っておきたいのです。

【日本の霊性化】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 大拙は一体と書いているが、本当は体も用もないが、ひとまずは、霊性はハタラキだとしておいた方が分かりやすい。この文章で大拙の主張する霊性の意味は最終的に定義されている。つまり、般若の智慧すなわち「大智」に仏の慈悲すなわち「大悲」を合わせた、いや、合わせたと言ってはもう遅いので、二つに分かれる前の大悲即大智のハタラキが「霊性」なのである。

 ここに、霊というものについて一言しておきたい。この章で筆者は霊と霊性の区別を明確にするように努めたが、霊というものの存在を全否定しているわけではない。また、大拙自身も霊は霊として考えるべきもののあることを認めている。ここに、大拙の「秘書のような同志」とも言うべき岡村美穂子氏の「思い出の小箱から」という書籍から少し引用する。

 あるとき、神霊学の大家が大拙先生を訪問してきたときのことが思い出されます。その大家は、いろいろと一般には不可解な"実話"を、先生を前にして説き来たり説き去っておりました。ところが、先生が感心されたご様子をとくに示されないのをいささか不満そうに、

「鈴木先生は、死んでからどうなるのか、知りたいと思われたことはございませんか」

この質問に対して、先生はひとりごとのように、

「それより、今、ここに在ることはどうなのかいナ・・・。死んでからでは、遅くはないか?」

私は、以前から神霊学は邪道だと頭からきめつけていたので、―先生、でかした― と、ひそかに心のなかでいい気になっていました。そんな私に対して、先生は後になってからきびしい口調で、

「われわれの世界には、まだまだ分からぬことがいくらでもあるんだ。あなたのように、そうきめつけてしまうのは、まだ早いぞ」とお叱りを受けたのです。

【思い出の小箱から】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 この項の最後に、日本的霊性という言葉を理解する上での重要な資料として、「日本的霊性」の収められた鈴木大拙全集第八巻の巻末にある古田紹欽しょうきん先生の追記を引用する。

 ここに『日本的霊性』の出版された背景を思うに、先生の側近にあった者として、一言だけを何としても加えたい。
 先の大戦中に日本精神ということが叫ばれた。時に戦局が進むにつれてそれが一層世界の上に訴えられるに及び、先生はそこに霊性的自覚がなくてはならないことを強調された。世界に誤解され易い好戦的な歴史をもつことに対して、ひそかにそれをおもんぱかり、「日本的霊性」の新術語をもって日本人の心の歴史にはこの霊性がある旨を極力主張されたのである。

鈴木大拙全集第八巻、巻末、古田紹欽先生の追記

 もう少し補足したい。大拙の日本的霊性は日本精神に対する批判として提示されたという解説がときどき見られる。それはその通りだと思う。ただ、この著作の中で、大拙自身が、「日本的霊性の主体性」を繰り返し強調している。従って、日本的霊性を日本精神に対する単なるアンチテーゼと受け止めてはならない。日本的霊性の働きに極めて主体的なものがあるわけなのである。古田先生の追記も、そのように理解されるべきだと思う。

3. 即非の論理

 日本的霊性の定義については 2.項で一通り説明した。しかし、日本的霊性とは何かを論ずる上で、大拙の最も独創的な解説の一つである「即非そくひの論理」を忘れてはならない。ここで、初版の第五篇「金剛経こんごうきょうの禅」から、有名な「即非の論理」の解説を引用する。

 これから『金剛経こんごうきょう』の中心思想と考えられるものを取り上げてお話しする。これは禅を思想方面から検討することになる。まず第十三節にある「仏説般若波羅蜜ぶっせつはんにゃはらみつ [6]、即非そくひ般若波羅蜜、是名ぜみょう般若波羅蜜」から始める。これを延べ書きにすると、「仏の説きたまう般若波羅蜜は、すなわち般若波羅蜜でない。それで、般若波羅蜜と名づけるのである」となる。これが、般若系はんにゃけい思想の根幹をなす論理であり、禅の論理である。また日本的霊性の論理である。ここでは般若波羅蜜という文字を使ってあるが、その代わりに他のいろいろの文字を持ってきてもよい。

 これを公式にすると、
  AはAだというのは、
  AはAでない、
  故に、AはAである。

 これは肯定が否定で、否定が肯定だということである。こういうような調子で、すべての観念がまず否定されて、それからまた肯定に還るのである。

 これは、いかにも非合理だと考えられるだろう。これはもっと普通の言葉に直していうとわかる。山を見れば山であるといい、川に向かえば川であるという。これがわれらの常識である。ところが、般若系思想では、山は山でない、川は川でない。それ故に、山は山で、川は川であると、こういうことになる。一般の考え方から見るとすこぶる非常識な物の見方である。すべてわれらの言葉や観念または概念というものは、そういう風に「否定を媒介して始めて肯定に入る」のが本当の物の見方だと、これが、般若論理の性格である。

 山が山でないと言うと妙に聞こえるが、我らは始めから生も死もないのに、生まれて死んで死んで生まれるというと却って不思議になるのに、我らはそれに気がつかない。そして、いつまでも生きたいとか、死にたくないとか言うのである。そこにかえって波乱が起きたといってよかろう。山や河や花や何かの場合にはこれを否定すると不思議だ、非合理だといわれるが、われら自身の上になると「不生ふしょう」のところに生死しょうじを見たりして、「不生」の否定を当たり前に考えている。

第五篇「金剛経の禅」、第二節「般若即非の論理」、第5項「般若の論理」

 即非とは「すなわちあらず」で、「A=Aであり同時にA ≠ A」となる絶対的に矛盾した存在あるいは認識のあり方で、日本的なものの見方の深層にはこのような不思議な洞察がある。即非そくひについては本論ではこれ以上深入りはしないが、この即非の論理こそは日本的霊性の論理に他ならない。その意味で、「霊性」は矛盾同一論理の発祥の地なのである。
 (文末に「不生」の文字が見える。大拙の不生思想については別の投稿に既にまとめてあるが、不生は知性以前であり、つまり、不生は霊性である。)

4. 霊性と日本的霊性

 大拙は、緒言の「1『精神』の字義」の中で「精神」「意志」「注意力」「心」「神」「たましい」「理念」「倫理性」「物質」などの字義を分析し、つづいて「2 霊性の意義」で霊性について説明する。このような方向から霊性の意義を考えていくと、霊性は宗教意識だということになる。実際、本小論文の「2. 霊性の定義」でもそのようなところに落ち着いた。これは、知性の側から霊性の意義を詮索した結果である。この場合、霊性は「主客未分しゅきゃくみぶんの宗教意識」という比較的狭い範囲に限定されてしまう。

 ところが、この本を読んでいくと、これは霊性の定義の一つに過ぎないことに気づかされる。つまり、大拙の場合はこれとは逆方向から、すなわち霊性の側から霊性を解説するのである。そうして、私たちの住んでいるこの世界を思想、信仰、情調をも含めてただちに霊性の所産として捉えているのである。これが、第一章の冒頭で触れた第一の重要な視点「① 日本的霊性とは思想なのか」に関係する。

 (鎌倉時代になって)、美しき思想の草花が咲き出した。そして七百年後の今日に至るまで、それが大体においてわれらの品性・思想・信仰・情調を養うものになってきた。こうして養われてきたことが基礎となって、その上に世界的な新しきものが築かれることと信ずる。ここに今日の日本人の使命がある。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二節「日本的霊性の自覚」

 上記引用で語られている内容は日本的霊性そのものではなくて、日本的霊性の所産と見た方がよいと思う。このように、日本的霊性という言葉は霊性のハタラキの方を指すのか、認識世界に現れた霊性の所産を指すのか紛らわしいときがある。霊性のハタラキの方は宗教経験あるいは宗教意識なのであって、所産としての思想ではあり得ない。しかし、背後に宗教意識が動いているときには、思想もまた霊性の一部になるのである。これが、「① 日本的霊性とは思想なのか」に対する答えの一つである。そしてこれは第二の重要な視点「② 霊性の意義の二重性」を意味するものでもある。言葉の定義としては、日本的霊性の核心は宗教意識としての狭義の霊性にあるが、本書の主題は広義の日本的霊性だとも言えると思う。

 大拙においては、「思想」という言葉には二つの使われ方がある。一つは霊性的直覚を解説し人々を霊性に目覚めさせる【知性を超えた霊性教導の思想】であり、もう一つは先に挙げたように、霊性の所産として【知性の中に生み出された思想】である。しかし、この二つの思想の定義はよくよく考えてみると結局は同じ要素、「主客未分の霊性の働き」という果汁で満たされているのである。

第二章 日本的霊性の特徴

 ここから、日本的霊性の特徴について整理してみたい。その特徴は主に、直接性、大地性、超個己性、一人性、円環的時間性、などの言葉で表される。大拙自身は日本的霊性の特徴として、初版第五篇「金剛経の禅」のまえがきで「大地性・一文不知性・単刀直入性・具体的真実性・即生活事実性」などを挙げている。これらの他に日本的霊性の情緒性が挙げられるが、これについては16.項の「日本的とは何か」で考察する。さっそく「直接性」から始めよう。

5. 直接性

 大拙は日本的霊性の特徴に単刀直入たんとうちょくにゅう性を挙げる。日本的なものには「直接性」があると。まずは浄土系仏教を例に日本的霊性の直接性に言及している文章を引用する。

 日本的霊性の情性的展開というのは、絶対者の無縁の大悲だいひを指す。無縁の大悲が、善悪を超越して衆生[6]の上に光被してくる事情を、もっとも大胆に最も明白に表明しているのは、法然ほうねん親鸞しんらん他力たりき思想である。絶対者の大悲は、悪によっても障ぎられず、善によっても拓かれないほどに絶対に無縁、つまり分別ふんべつを超越しているということは、日本的霊性でなければ経験されないものである。何の条件の介在もなしに、衆生しゅじょう無上尊むじょうそん[7]と直接に交渉することは、二元的論理の世界では不可能なことだ。それを日本的霊性が何のこだわりもなく、すらすらとやってのけたのである。

緒言「日本的霊性につきて」、第8項「禅と浄土系-直接性」

 衆生しゅじょう、すなわち私たちと無上尊の阿弥陀仏あみだぶつとの関係は、有限と無限の関係に等しい。それは対等な位置関係にはない。ところが、有限の真宗しんしゅう篤信とくしんの徒は、無限そのものともいうべき阿弥陀仏と難なく対峙するのである。浄土系の仏教では浄土じょうど西方さいほうに十万億土おくど離れたところにあると説明はされるが、それは真宗信者の実感ではない。浄土は今ここにあり、阿弥陀への信は実に直接的なのである。浄土系における直接性に続いて禅の直接性について、大拙の説明を聞いてみよう。

 禅は南方系のインド思想にその源を置いて、それから北方系漢民族の間で成立し、そこで北方的に育て上げられ十分な実証性を獲得して、それから東へ渡って南方系[7]の日本的霊性と接触した。それで日本的霊性は、一方においては漢民族の実証的論理性を取り入れたが、それにもまして、南方系のインド民族的直覚性ともいうべきものを禅のうちに見出した。そして、そこに自分らの霊性の姿が映されていることに、一種の満足を覚えたのである。

緒言「日本的霊性につきて」、第8項「禅と浄土系-直接性」

 これは禅が生じて日本に辿り着いたルートの話で、禅の直接性そのものの説明ではないが、インドの民族的直覚性が日本的霊性との関係で語られているところが面白い。禅は中国に起こり、唐代から宋代に栄えた後に中国では消滅した。それで大拙は日本に定着した禅の起源を中国禅に見ずに、インド民族的直覚性に似た日本的霊性に見ている。

6. 大地性

 大地は霊性の奥の院だという。まずは、それを語っている大拙の解説を引用する。

 天日はありがたいに相違ない。またこれなくては生命はない。生命はみな天をさして居る。が、根はどうしても大地に下さねばならぬ。天はおそるべきだが大地は親しむべく、愛すべきである。大地は、いくら踏んでも叩いても怒らない。生まれるのも大地からだ。死ねばもちろんそこに帰る。天はどうしても仰がなければならない。自分を引き取ってはくれない。天は遠い、地は近い。大地はどうしても母である。愛の大地である。これほど具体的なものはない。宗教は実にこの具体的なものからでないと発生しない。霊性の奥の院は実に大地の坐に在る。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第3項「大地性」

 ここでは、「天」との対比の中で「大地」の親しみやすさや愛すべき性質を指摘し、大地について「これほど具体的なものはない」と言っている。この具体的なものから宗教が生じるので、霊性の奥の院は大地の座にあるとしている。

 普通、宗教は天をあがめる。キリスト教の宗教意識はなかなか下に向かない。キリスト教のみならず仏教でも、盧遮那仏るしゃなぶつ(大日如来)はもとより、阿弥陀仏だって光の如来である。ところが大拙は光を大地に向ける。日本的霊性を天上界にしつらえずに大地下に還相げんそうさせるところに、大拙の深い宗教的洞察がある。

 人間は大地において、自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて、農産物の収穫につとめる。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力しない。誠が深ければ深いだけ、大地はこれを助ける。大地は偽らず、欺かず、また、ごまかされない。人間の心を正直に映しかえす。大地はまた、急がない。春の次でなければ夏の来ないことを知っている。蒔いた種子は時節がこないと、芽を出さない。秩序を乱すことは大地のしないところである。人間はそこから物に序のあることを学ぶ。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第3項「大地性」

 霊性の奥の院が大地の座にあるとすれば、もっとも深く霊性に接しているのは農民たちだ。大拙は大地と人間の交錯の上に霊性の実働を見ているのである。

 とにかくまず、無辺むへん大悲だいひ[8]に一度は摂取されなければならない。そしてこの摂取は、自分が深く大地から出ているものだというところに感じられるのである。この世の憂さもつらさも、総ては、大地を離れて自らをのみ生きようとするところからくることを自覚しなくてはならない。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二節「日本的霊性の自覚」

 大悲と一体になることの重要性を説いている。「大悲に摂取されよ」というのは霊性的直覚を持てということだ。だが、霊性も直覚も見性経験を持たない一般の人には分かりにくい。それで、霊性の実働としての大地に視線を誘導するのである。

 更に、大拙は感性・情性と霊性とを対比し、浄土系仏教を念頭に置きながら日本的霊性について解説する。

 花鳥風月では四季のうつり変わりがある。そのうつり変わりが「物のあわれ」の心理に呼応する。時々に刻々にその姿を変えるところに、感性は動き情性はおののくのである。
 「念仏のまこと」「親鸞一人いちにん」「超個のにん」「日本的霊性」、これらは、いずれも大地の真実性・絶対性・孤往独行性・具体的究極性と相呼応するところの直覚である。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第6項「霊性のまことと深さ- 一人」

 知性は一瞬一瞬空想的に移り変わり情性は戦くが、霊性はそのような浮遊的なものでなくつねに現前に落ち着いている。知性に騙されず現前をそのままに観察するものが宗教意識なのである。

 大地性は大地の精神性と物質性を峻別すると見えなくなってしまう。既に 2.「霊性の定義」に書いたように、大拙自身が霊性という言葉を精神性と物質性を兼ねるものとして打ち出していたことを思い出して欲しい。大地は物質性と精神性を受け入れる霊性そのものである。そして、物質性・具体性の大地の上で、大悲は実地に試されることになる。

 親鸞は、実に人間的一般の生活そのものの上に、「如来にょらいの御恩」をどれほど感じ得るものかを実際の大地の生活において試験したのである。彼は、概念性の生活を何の躊躇もなく振り捨てた。親鸞の中心思想は、如来の本願に対しての絶対信仰であって、その他のものに対しては、一顧をも与え得べき余裕をもっていなかったのである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第5項「日本的霊性と大地」

 地は天よりも身近にあり、霊性は知性よりも身近にあるのだ。だから、霊性は決して単なる抽象概念ではない。大地の物質性は霊性の具体性に他ならない。

 霊性というと、いかにも観念的な影の薄い化物のようなものに考えられるかも知れぬが、これほど大地に深く根を下ろして居るものはない。霊性は生命だからである。(中略)大地と自分とは一つものである。大地の底は自分の存在の底である。大地は自分である。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第3項「大地性」

 大地は自分である。大地から個が出てくる。

 大地の霊とは霊の生命ということである。この生命は必ず個体を根拠として生成する。個体は大地の連続である。大地に根をもって、大地から出で、また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼吸して居る。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第3項「大地性」

 なお、霊性の大地性というのは必ずしも田舎暮らしの勧めではない。別に都会で暮らしても構わない。観念的・概念的な生活に溺れずに生きることが霊性を生きることに他ならない。「大地」という言葉に生活の現実を積極的に肯定して行く霊性の姿がよく表れている。

7. 超個己性

 大拙は超個のにんを略称して「超個己」と言う。超個己は自我を超えている、分別を超えている。「超個」の語を冠するところに、仏心を超越的に見る気分が表れている。一方で末尾に「己」や「個」の字を置いて、内在的観測を忘れずにいる。超個己は自我の輪郭の外れた境地なので、超越的に見ても内在的に見ても結局は同じところに行き着く。ただ、その見る方角の違いから、超個のにんというときには個を超越している面の印象が強くなるように思われる。まずは、超個己の記述の見える文章を引用する。

 感覚や感情も思慮分別も、元々霊性のはたらきに根ざしているが、霊性そのものに突き当たらない限りは、根なし草のようで、今日は此岸しがん、明日は彼岸ひがんという浮動的生涯の外には出られない。これは個己の生活である。個己の源底にある超個のにんに、まだお目通りが済んでいない。こう言うとはなはだ神秘的に響き、また物の外に心の世界を作り出すようにも考えられるが、ここに明らかな認識がないと困る。
 普通には、人々は個己の世界だけしか見ていない。全体主義とか何とかいっても、それはなお個己を離れていない。その束縛を完全に受けている。超個のにんは、すでに超個であるから、個己の世界にはいない。それゆえ、にんといってもそれは個己の上に動く人ではない。だからといって、万象を払ってそこに残る人でもない。こんな人はまだ個己の人である。超個の人にんはそんな不思議といえば不思議な一物である。他の宗教では「神の天啓」といって、人間理智の限りでなく、ただそのままに受け入れるべきであるという。宗教意識の受働性は、実に、ここに在るのである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第2項「超個己性の人」

 この引用文の冒頭で大拙は心理学的な分析をして、感覚や感情や知性といった精神活動はもともと霊性に根差していると言っている。また、霊性は超個であるから、個人の意志の思い通りにはならないわけだ。下記の引用には「超個の個としての一人いちにん」が出てくるが、一人いちにんは本来の自己を指し、親鸞聖人が用いた言葉である。

 超個の個としての一人いちにんは孤独性をもっている。絶対に孤独であるといわなければならない。「寥々りょうりょうたる天地の間、独立、望み何ぞ極まらん」[15]といわれるように、中心のない無限大の円環内に一人という中心を認得することの意味は、矛盾的論理にほかならない。それで、孤独は絶対に孤独であって、しかも「春山しゅんざん乱青らんせいを畳み、春水しゅんすい虚碧きょへきただよわす」[16]のである。絶対の孤独の一人は、このような万差ばんさの個多そのものなのである。このような矛盾が可能になる理由は、我らのいずれもが無限大の円環の中に、中心のない中心を占めてそこで寝起きしているという、最も具体的事実が確かにあるからである。これが霊性的直覚である。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第9項「霊性的直覚の時間性」

 超個己も「超個の個」も同じ。いずれにしても、単に超個と言わずに超個の己、超個の個など、個に還らざるを得ないのは人間の宿命ではある。それでも、超個の個には自我の輪郭がないので、自もなし、他も無し、従って、絶対に孤独だとも言える。超個己では宇宙的広がりが感じられるので、ある意味で禅的な仏心の表し方とも言える。また、超個を言うときには視点は観察面、すなわち大智の面、般若智の面に置かれているように思う。また、この引用には一人いちにんという言葉も出てきている。次の項では一人いちにんについて見ていきたい。

8. 一人性(いちにんせい)

 大拙はまた一人いちにんを説く。「超個」の文字が無い分だけ「一人」という言葉は内在的に響く。主客未分の霊性から見ると、超越も内在も結局は同じことだ。ただ、「超個己」が哲学的な響きを持つのに対して、「一人」という言葉は人間的な面が強調されて、生活を離れず、より具体的に響くようだ。

 超個己のにん[9]、この場合では弥陀の本願は、いつも、個己の霊性を通して自己肯定を行ずるものである。これが、「ひとえに親鸞一人いちにんがためなりけり」の体験である。「地獄へ行くもわれ一人いちにん、浄土へまいるもわれ一人いちにん」の宗教的意識である。「皮膚脱落してただ一真実のみあり」[11]という、この一真実がすなわち一人いちにんなのである。この一人いちにんは大地によって象徴されるのが一番手近である。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第6項「霊性のまことと深さ・一人 」

 一人いちにんは内なる宗教意識の発現であり、この場合、日本的霊性は人間意識の上に情性的に現れる霊性的直覚と言える。一人いちにんはまた、大悲そのものの揺らぎと言ってよい。超個己がある意味知的で禅的なのに対して、一人いちにんは情的で真宗的と言える。
 超個では視点は大智に置かれているが、超個己、あるいは超個の人とするときには、霊性が知性に働き掛ける面、すなわち大悲の面に焦点が移ってくる。これが更に一人いちにんになると、力点は完全に大悲の面に移ってくるように思われる。一人性は行動の原理である。ただし、大悲に由来する人間の行動も、そこに自覚がない場合には、分別によって無残に歪められてしまうことになる。

 大拙はまた、【禅の思想】の中で以下のように言う。

 超個と己の関係は超越でも内在でもない、また超越で内在とか、内在で超越とか言うことでもない。超個は超個でそのまま個多であり、個多は個多としてそのまま超個である。かくの如き関係は、一般論理では言われぬものと思うが、どうしても今のところ、そうとしか考えられないから、論理の方をこれに順応するよう作りかえなくてはならない。

【禅の思想】、第二編「禅行為」、「超個の論理」

 超個は超個でそのまま個多であり個多は個多としてそのまま超個であるというのは、知性にとっては拷問だ。暴言、狂言、強弁の類に属すると言ってよい。二分性の知性はこの在り方をきちんと整理することはできない。だが大拙の手に掛かると、その非合理が許されてしまうところがある。「そのような在り方は受け入れられない」と言うとき、私たちは何か既に受け入れている。禅の思想はいつもここを狙っていて、知性を超えたところに霊性を見出そうとする。

 大地性に比べて超個己性や一人性いちにんせいはわかりにくい。矛盾を含む概念だからだ。最も具体的な個己がただちに最も抽象的な超個己だというのは、矛盾同一[12]である。ただ、真宗では超個の阿弥陀仏の側は必要以上には強調されず、大悲の一人いちにん的情緒に吸収されてしまう。そして、阿弥陀と自分が一つだと言えばまだ理事無礙りじむげ[13]的に響くようだが、一人いちにんが強く叫ばれるところに、生活を離れぬ事事無礙じじむげの境涯がうかがわれる。この「一人性」は筆者が持ち出したキーワードだが、大拙自身の言葉で言えば、具体的真実性・即生活事実性が、一人性に近いと思う。大拙はこの一人性を日本的霊性の神髄と見ているようだ。

9. 円環的時間性

 鈴木大拙は哲学者ではあるが、それは不二性の東洋哲学であって、二分性の西洋哲学ではない。科学的な話題に触れることもあるが、それは科学嗜好のつよい現代人の趣向に合わせたもので、純粋に科学的あるいは数学的に厳密な思想を展開するわけではない。そこは十分に気をつけて読む必要がある。その上で、以下の考察を進めたい。

 大拙はときどき、覚者のもつ時間感覚に言及している。私たち一般人の感じている直線的に進む時間の矢の感覚は本当のものではないという。少し奇異に感じられるかもしれないが、日本的霊性の特徴を考える上では、この風変りな時間感覚を避けては通れない。まず、時間に関する説明を一つ引用する。

 直線的時間性で、歴史的記憶を解釈しようとすると、その中からは現在と未来とが出て来ない。過去さえも限られる。そして、歴史は創造性を失って硬化してしまう。霊性もその働きを出しようがなくなる。時間を直線的に考えると、すべてが幾何学的図式になって、天地の化育かいく[12]性なるものがなくなる。生きるということは長く線を引くことではない。無限は、過去の方へも未来の方へも当て嵌められなければならない。これは有限な直線ではいけない。

 実際には、直線は皆有限である。有限だから直線なのである。無限をある点で切って見るから、その間だけが直線なのである。無限は直線ではあり得ない。直線は、ここから始まるといえば、ここで終わるということが既にその時定められている。そんな限定を受けるものは生きていない。生はどうしても無限であって、直線であってはならない。生は円環である。中心のない、あるいはどこでもが中心である円環である。

 霊性的直覚は、時間と空間で動いていると思われる生命は、その実、無限大円環性であることを見る。この直覚を、分別的知性で推測し推し計り、批判してはならない。これらは霊性的直覚の上に立てられるべきで、直覚を分別性から引き出すべきではない。この順序を逆にすると、最も具体性の事実が抽象的になり概念的になって、何だか夢のようになるのである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第9項「霊性的直覚の時間性」

 時間は過去にも未来にも続いていき、感覚的には永遠性を有するとも言える。そうすると無限というのは分かる。だが、円環性とはどういうことだろう。

 時間を、哲学者のいうように、円と見る方がよい。その円の上に過去・現在・未来が同時に成立するのである。

第五篇「金剛経の禅」、第四節「三世心不可得(一)」、第8項「黒鱗皴地」

 過去・現在・未来が同時に成立する、これでは解りそうでますます解らない。思うに私たちの観察している時間は、実は記憶の中にあるのである。現在の瞬間と言っても、その観察された現在は既に記憶中の現在なのである。そして過去の記憶を現在の記憶と比較検討するときに、その間に時間が観測されるわけだ。一方、霊性的直覚の中には時間の後先というものはない。そこを、直線的ではないぞという意味で、無限大円環性というのである。これを知的に理解しようとすると、肝心の霊性的直覚を取り逃がす恐れがある。
 自分の現前の意識というものは、円周のない無限大の円の中心を占めている。どこでもが中心だ。それは、時間的にも空間的にもそうなのだ。霊性的直覚が先であるし、現実の世界には本当は現前しかない。現前が過去も未来もなく自分も環境もなく動いている。現前の直覚の中には基準点となる自我はなく、現前の他には時間差を計るために比較すべき記憶もない。ただ永遠の今ここを現ずるのみなだ。

 大拙の説く「霊性」とは何か。第一章、二章ではこれを探求してきた。だが、鈴木大拙が「日本的霊性」を主張するのは、鎌倉時代になって武士階級や民衆の間で一気に禅や真宗が花開いた事実に着目するからだ。インドや中国では仏教は消えていったのに、日本においてのみ、また、鎌倉時代になって初めて突如として禅や真宗が民衆化した理由をここに見るのである。つまり、中国から伝わった仏教が悟りを伝えたのではなくて、日本的霊性が日本人一人一人を内から揺さぶって禅や真宗を内側から展開させたと見るのである。第三章では日本的霊性の覚醒の経緯を見ていきたい。

第三章 精神から霊性へ

 大拙は日本的霊性の冒頭の緒言で精神と対比して霊性を解説する。これにより読者は精神から霊性へという霊性史観を意識させられる。この章では日本の鎌倉時代に精神の中へ霊性が割り込んでくる様子を大拙の文章に沿って確認していきたいと思う。

10. 古代、万葉集

 大拙は鎌倉時代における日本的霊性の覚醒を論じる前に、それ以前の日本人の精神性について古典をひもときながら解説を進めてゆく。これは万葉集の研究から始まる。

 古代の日本人に深刻な宗教意識がなかったことは、その文学を見れば肯定されると思う。千二百年前に編纂を終えたとされる『万葉集』は、われらの祖先の精神生活を赤裸々に歌ったものである。上は宮室から下は庶民に至るまでの詠草を集めてあるので、この本は大体、古代の日本人がどんな精神生活をやっていたかを見るにはもっともよい材料である。それで、この中にはどんな生活が歌われているかというと、一言で言えば、古代の純朴な自然生活である。山を愛し、水を愛し、別れを悲しみ、戦いに勇み、男は女を、女は男を恋い慕い、死者を悼み、君を敬い、神々をおそれるなど、すべて自然人の心持ちが歌われている。生まれながらの人間の情緒そのままで、まだこれが一たびも試練を経過していない。全く嬰孩えいがい性せいを脱却していない。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第1項「万葉集」

 死者を悼み、君を敬い、神々をおそれても、それは原始的感情の発露で人生の一大事を論理的に解決はできない。知性の限界を踏み破れない。それで、感性的・情性的直覚はひとたび否定されなければ本物にならないと言う。つづいて大拙は万葉集から十七首の和歌を取り上げる。ここでは一首だけ例を示すに留める。

 千早ちはやぶる神のやしろに我が掛けしぬさたばらむいもに逢はなくに  (五五八)

 自分の恋人に逢えないから、お上げした御幣ごへい[15]は引き下げましょうという、神への恨みである。これは人間以上の神では無い。人間よりも力はあるようだが、その心情は、交換条件次第で何とかなり得る程度のものである。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第1項「万葉集」

 万葉人に知性がないとは言えないが、かなり感情的ではある。これでは自我を超えるものに対する真に知性的な反省は出てこない。霊性的目覚めには遠くしてまた遠いと言わざるを得ないだろう。

11. 平安時代、古今和歌集、源氏物語

 次に大拙は、平安時代の日本人の精神について、古今集こきんしゅうや源氏物語を例にとりながら検討を進める。

 万葉が平安以前の日本的情緒といえるなら古今こきんをもって平安人の情調と言える。『古今集こきんしゅう』二十巻の中、自然を歌ういわゆる四季の歌が六巻、恋歌が五巻を占めている。物質に恵まれた貴族生活に、行楽遊戯的気分が如何いかに溢れていたかがわかる。そして、彼らのいかに涙多いことよ。(中略)『源氏物語』のような文学的作品は世界にないというが、貴族生活の恋愛葛藤・政治的陰謀・官能的快楽・文学的遊戯気分・修辞的技巧などでたされている作品は、あまり持てはやさない方がよいと思う。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第2項「平安朝文化」

 平安時代の400年は優美・繊細な文化の花開いた時代で、かな文字の発明などはあったが、平安人の心の基調は感性的・情緒的な範囲に留まる。みやこの上層部においては、むしろ意図的に感情の起伏とその繊細さを高めようとしていたようでもある。仏教も神道も形式的で表面的な知的構築物の範囲を抜け出せていない。一部には例外的に高い霊性的自覚を持つ者はいただろう。しかし、インドや中国からどれだけ精緻な仏教哲学が伝わっても、それらは仏教関係者の間でのみ広まり、多くは知識としての理解に留まり、霊性の自覚までは至っていない。この時代でもまだ、貴族にも民衆の間にも情性や知性に対する十分な反省の記述は少ない。

12. 最澄と空海、神道

 奈良時代から平安時代にかけて、日本人一般の精神的発展度合について検証を進めた後で、大拙は鎌倉時代以前の宗教の中に日本的霊性の兆しを探しにゆく。ここに空海くうかい最澄さいちょうおよび神道しんとうについて論じた文章を引用する。

 都の貴族たち、その後にぶら下がる僧侶たちは、大地と没交渉の生活を送りつづけた。彼らの風雅も学問も、幽玄も優美も、空中の楼閣で、本当の生命、真実の生活とかけ離れたものであった。平安時代を通じて一人の霊的存在、宗教的人格と見るべき人の出て来なかったのは、まさにしかるべきところである。弘法こうぼう大師(空海)のごとき、伝教でんぎょう大師(最澄)のごときといえども、なお大地との接触が十分でない。彼らの知性・道徳・功業は実に日本民族の誇りではある。しかし彼らは貴族文化の産物である。それで貴族文化のもち得べき長所と短所とをことごとく備えている。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第3項「大地性」

 ここでの大拙は祖師方の業績に敬意を示しつつもとても冷静に批判をしている。彼は単発の覚者の存在を日本的霊性の発現とは見ていない。また、空海や最澄の到達点では、まだ十分に観念性・概念性を抜け切れていないと指摘する。思想的に無明の闇を破ることは知っていても、大地と一体の日本的霊性の顕現とは見なせないと。次に、大拙が神道しんとうをどう見ていたのかを見ていきたい。

 神道的直覚は日本的情性的ではあるが、まだ日本的霊性的というものに到達していない。何故、神道的直覚は情性的であるかというと、それはまだ、否定されたことのない直覚だからである。感性的直覚もそうであるが、単純で原始性を帯びた直覚は、一たび否定のふいごをくぐって来なければ、霊性的なものにならない。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第6項「根源的なものに到る途」

 大拙の神道観をまとめると、日本的霊性の未発達の源流は神道にも潜んでいるということになるだろう。緒言「日本的霊性につきて」、第8項「禅と浄土系-直接性」で、大拙は日本的霊性の特質は莫妄想まくもうぞうにあるとして、「かんながら」もまた莫妄想的南方思想の表現だと言っている。

 それと、少し脇道に逸れるが、神道批判の文中に他の大拙の著書ではあまり見かけない「無意識の暗窟」の文字があるので、ここに紹介しておく。

 生の意欲、それから出る性の意欲と力の意欲とは、人間意識の最低所に複雑に入り込んでいる。これを「無意識」の暗窟と名づけておく。原始民族の心理態は大体この「無意識」で動くようにできている。知性的分別の光明は、まだ、僅かにこの暗窟を照らすに過ぎないからである。神道の神々は、何れもこの未だ十分に照らし出されないところに、その住家を有している。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第四節「日本的霊性的自覚と神道」、第3項「神道の宗教的検討」_p 無意識-知性的分別-霊性的自覚

 これを読むとドキリとさせられる。私たちは精神的存在であると同時に動物であることを免れない。自分の中の深いところにある動物性をいかに制するか。なかなかに厄介ではあるが、その克服なしでは人間界の闘争や戦争は止められないことになる。なんとかして動物性に引きずられずに、霊性的に生きたいものだと思う。

13. 親鸞への日本的霊性のあらわれ

 大拙は親鸞しんらん聖人こそが真に日本的霊性的自覚に徹底した最初の人だという。実に日本的霊性という書は親鸞聖人を主役に書かれていると言って良い。

 宇宙の大霊、超個己の一人いちにんは歴史的時間の推移につれて、その中に生死する個己の霊性の最も受容性に富む者の上に、自らを映すものである。それゆえ、偉大な個霊は宇宙霊すなわち超霊の反射鏡であるといってよい。偉大な個霊の動きを見ていると超霊の内容が読み取られる。親鸞聖人の偉大なる個霊は、これを成し得たのである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第4項「親鸞の日本的霊性の背景」

 霊性そのものは超個己底であるが、個己を通さないとそれ自らを表現しえない。すなわち、「親鸞一人いちにんがためなりけり」ということにならないといけない。絶対愛はもちろん超個己であるが、それが個己の上に直覚される時、本当に絶対である。この矛盾が親鸞の、そしてやがてわれらの宗教的経験でなくてはならない。この経験が、鎌倉時代の日本人の一人により経験され、そしてそれが、他には世界のどの宗教者によっても経験されなかった。それでこれを、日本的霊性の直覚という。日本的霊性にはこのような直覚、又は自覚を可能にする本来のものがある。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第7項「霊性の仏教的顕現」

 「仏の本願ほんがんは親鸞一人のため」という自覚はきわめて直接性が高い自覚と言える。みんなのための仏の大悲ではなく、自分一人のための大悲と親鸞は感じている。一人いちにんの現前がただちに弥陀みだの大悲になってしまっているのである。ここに、部分が全体に含まれるのでなく、部分が直ちに全体だという理事無礙りじむげ的直覚が表現されている。他の宗教でも言葉は違っても、このような宗教経験はあるに決まっている。ところがそれを言葉で表現するときには禅者や真宗信者の言葉は世界に類を見ない直接性を発揮するのである。他国にそこまでの表現がないのは言語の特性の違いによるところが大きいと考えられる。しかし直接的な表現が出ないということは、そこまで直接的な把握はできていないということを意味する。

 西洋的表現の中で神と人との一体が語られていても、その一体感は十分に直接的ではない。日本的霊性という書の「超個が個で個が超個だ」という表現は誠に徹底している。日本の親鸞以前には霊性がそこまで直接的に体得された例は稀だというのが、本書における大拙の主張のきもなのである。以下、大拙が親鸞宗の特徴を語っている文章をもう少し引用しておこう。

 真宗は弥陀の誓願を信ずるところにその本拠を持っている。誓願を信ずるというのは、無辺むへんの大慈悲にすがることである。因果を超越し業報ごうほうに束縛されず、すべてそんなものをそっちのけて、働きかけてくる無礙むげの慈悲の光の中にこの身をなげ入れるということが真宗の信仰生活であると自分は信ずる。此土しどの延長の浄土往生は、あってもよし、なくてもよい。光の中に包まれているという自覚があれば、それで足りるのである。念仏はこの自覚から出る。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二節「日本的霊性の自覚」

 浄土はあってもなくてもよい。光の中に包まれているという自覚があればそれで足りる。真宗の教えの本質は浄土よりも他力たりきにあると大拙は主張する。

 真宗の中に含まれていて、一般の日本人の心に食い入る力をもっているのは、純粋他力と大悲力である。浄土教が教える「浄土」よりも、その絶対他力たりきのところに、この教えの本質がある。此土は穢土えどだから彼土ひどって、浄き生活ができる、「さぁ往こう」というのは、浄土教の本旨ではない。浄土教が浄土を説くのは、浄土ではごうの束縛から離れて悟りを開くことができるからなのだ。浄土往きは手段で、悟りが目的である。そして、その浄土へ往くことができるのは弥陀の他力によるもので、業に囚えられている身ではそれができない。絶対他力で超因果の世界を体認しなければならない。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二節「日本的霊性の自覚」

 浄土よりも霊性の悟りが目的なのである。そして大拙は因果の束縛と弥陀の大悲の関係を以下のように説明する。

 親鸞は罪業からの解脱を説かない。すなわち、因果の束縛からの自由を説かない。それはこの存在、現世的・相関的・ごう苦的存在をそのままに、弥陀の絶対的本願力ほんがんりきのはたらきに一切をまかせることである。そしてここに、弥陀という絶対者と親鸞一人いちにんとの関係を体認する。絶対者の大悲は善悪是非を超越するので、こちらからの小さな思量、小さな善悪の行為などでは、それに到達することはできない。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第3項「日本的霊性的直覚」

 浄土系は現実否定のように誤解されやすいが、本当は他力に裏打ちされた絶対的な現実肯定なのである。だから、因果の束縛すなわちごうを尽くした後で浄土に行くのではない。業を抱えたそのままで阿弥陀の大悲だいひに救い取られてしまうのだ。ここにも日本的霊性の直接性がよく表れていると思う。
 親鸞聖人への日本的霊性の顕現についての大拙の説明は上記のとおりである。ただ霊性的自覚を持たない人にはこうした解説が十分な説得力持つことはない。大拙や親鸞を本当に理解したければ直に日本的霊性に出会わなければならない。

14. 妙好人(みょうこうにん)

 妙好人とは浄土系信者の中で信仰に厚く徳行に富み、しかも知的階級に属さない人をいう。浅原才市あさはらさいちは船大工で、安心の境地に達したのは五十を超えた頃だという。彼は生業なりわいの下駄作りのかたわら、その独自の信仰を身辺にちらばる 鉋屑かんなくず に書きつけた。飾らない素朴な文字の中に安心の境地が丸出しになっている。才市の詩をひとつ引用する。

風と空気は二つなれど、ひとつの空気、ひとつの風で。
わしと阿弥陀はふたつあれど、ひとつお慈悲のなむあみだぶつ。

 二にして一、一にして二、この妙諦みょうてい[16]がなむあみだぶつそのものである。そして、南無阿弥陀仏は「お慈悲」ひとつのほかに何もない。才市は実に、六字の名号に終始している。彼は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は彼である。才市はあみだの大悲そのものの中に抱擁されてしまっている

第四篇「妙好人」、第二節「浅原才市」、第6項「往生観」

 この才市の詩は2.霊性の定義に示した「二つのものが結局は二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つである」という大拙の言葉と同意と言ってよい。

15. 日本的霊性の顕現

 日本的霊性は日本的特質をもっていてそれが鎌倉時代に法然・親鸞らの活躍で日本史の表舞台に登場することになる。その経緯をもう一度まとめて引用する。

 上代、及び中古にあっては、上層部はそれ自身で一つの社会を組織している。その組織を指導して行く思想及び気分というものは、下層の民衆とは無関係と見られるほどであった。その中にできた仏教なるものは、彼らの遊戯享楽気分により支配されざるを得なかったのである。

【霊性的日本の建設】、第二篇「日本的霊性的自覚」、第三講

 上代とは飛鳥・奈良時代の約200年、中古は平安・院政時代の約400年のこと。仏教は貴族階級の間で指導的思想にはなっていたが、一般大衆までは浸透していなかった。

 鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、つまり霊性の生活に目覚めた。平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によって据え付けられたものが大地に落ちついて芽を出した。日本人はそれまで霊性の世界を自覚していなかった。鎌倉時代は実に、宗教思想的に見て、日本の精神史に前後比類なき光景を現出した。平安朝の四百年も決して無駄ではなかった。いずれも鎌倉時代のための準備であった。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二節「日本的霊性の自覚」

 平安時代の初めに最澄や空海が据え付けた仏教思想は鎌倉時代になって大地に落ち着いて、農民や武士にまで浸透していった。思想は下層階級の生活の中で体験され実証されていった。

 まず浄土宗・真宗、及びその他の他力宗の台頭、この方面は主に宗教的信仰である。一方で禅は、中国を経て日本に来てからは、殆どその伝来的性格を失って日本的なものになった。禅と日本人の性格との間に本来親しいものがあって、中国から伝えられると直ちに知識階級、殊に武士階級に取り入れられた。そして、文芸および芸術一般の方面に浸み込んで行って、日本人生活の基調とさえなった。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第二節「日本的霊性の自覚」

 浄土系は農民や漁民、一般大衆の中に浸透し、禅は武士階級に取り入れられていった。

 平安文化はどうしても大地からの文化に置きかえられねばならなかった。その大地を代表したものは、地方に地盤を持つ、直接農民と交渉して居た武士である。その故大宮人はどうしても武家の門前に屈伏すべきであった。武家に武力という物理的・勢力的なものがあったためでない。彼らの脚跟は深く、地中にくい込んで居たからである。歴史家はこれを経済力と物質力(または腕力)というかも知れぬ。しかし自分は大地の霊という。(中略)

 武家と腕力は離れられない。しかし、大地に根ざさない限り腕力は破壊する一方だ。公卿文化は繊細性の故に亡びる。武家文化は暴力性・専横性の故に亡びる。力だけなら鎌倉文化は成立しなかっただろう。鎌倉時代は、霊の自然、大地の自然が、日本人をその本来のものに還らしめた時代といえる。

第一篇「鎌倉時代と日本的霊性」、第一節「情性的生活」、第3項「大地性」

 鎌倉幕府を支えたものは武力だけでなく大地に落ち着いた日本的霊性的自覚、すなわち大悲のハタラキであった。

 中国の仏教は因果を出られず、インドの仏教は但空たんくうの淵に沈んだ。日本的霊性のみが、因果を破壊せず現世の存在を滅絶せずに、しかも弥陀の光に一切をそのままに包ませることができたのである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第3項「日本的霊性的直覚」

 霊性的自覚は決して抽象的なものではない。弥陀の大悲は生活の実相を破壊せずに、因果をそのままに、民衆を苦厄くやくから救いとる。

 自分の主張は、まず日本的霊性なるものを主体に置いて、その上に仏教を考えたいのである。始めに日本民族の中に日本的霊性が存在していて、その霊性が、たまたま仏教的なものに遭遇し、自分のうちからその本来持っていたものを顕現したというように考えたい。ここに日本的霊性の主体性を認識しておく必要が大いにあると思う。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第一節「日本的霊性の胎動と仏教」、第1項「仏教

 日本的霊性の源流はもともと日本にあって、それが仏教的なものを消化しながらみずからの姿を顕したのだと。これが、本書を貫く中心思想である。

16. 日本的とは何か

 ここまで日本的霊性の定義、特徴、歴史的展開について大拙の説明を追ってきたが、「大拙が日本的と評したその要素は何か」ということについてはまだ十分に明確にはできていないと思う。この項では霊性の日本的というのは一体何のことをいうのか、それを考察してみたい。

 霊性の日本的な特徴について考えてみると、すぐに「情性的」という要素が候補として挙がってくる。まず、これに関連する文章を引用する。

 教学全体の立て方からいうと、禅は知性的、一般にいうのとは違うが、その方面に転進して行き、しん[17]は情性的方面にその経験を傾かせる。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第2項「超個己性の人」

 武士は、抜殻ぬけがら仏法でないものを掴もうとする。彼らは、禅を知性的に把握するよりも、むしろ情意的に用いようとする。彼らの日本的霊性は情意の面を通じて働き出る傾向を持っている。この点に気をつけておきたいと思う。

第五篇「金剛経の禅」、第一節「まえがき」

 日本的霊性には情性的なものが多分にあって、その動きには、いつもその方面をたどるものがあるというべきではなかろうか。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第2項「超個己性の人」

 「根源的」なものが情性的で個己そのものであるとき、それ以上に具体的なものはない。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第二節「霊性」、第3項「日本的霊性なるもの」

 浄土系を情性的、武士禅を情意的だというならば、日本的とは情性的のことか。しかし、これは霊性そのものではなくてむしろ日本的精神の特徴であろう。それならば、真に霊性の日本的なるものとは一体何をさしていうのだろうか。

 日本的ということのより本質的な解釈として次に思いつくのは「直接性」である。しかし、これもよく考えてみると、直接性は日本的霊性の特徴というよりも「霊性一般」の性質だとも言える。ここをどう見たらよいのか。次の引用文を見てほしい。

 つまり、こちらで持っていると考えられる(それはいずれも地獄行きのものの他、何ものもないと見られていた)その一切をそのままにして、弥陀の懐へ飛び込むこと、これが法然・親鸞により強調された。一切の煩悩をそのままに絶対他力にこの身を投入して、始めて、宗教的・霊性的問題がその底に徹して全てが解決される、それが浄土往生の真の意味だと説かれたのである。これほど単純にして、これほど抜本的な信仰は他にない。自分の考えでは、日本的霊性の本質がここにある。
 インドでも中国でも、これほどには単純に、素朴に、直截ちょくせつに、莫妄想まくもうぞう的には行けなかった。インド民族ほどに豊富な多様性の創造的想像力を発揚した民族は他にないし、それから、彼らはまた宗教的直覚力においても極めて鋭利で深遠なものをもっていたが、それは、日本における浄土系直覚ほどには直截的ではなかった。
 日本的なものは、創造性においてインド民族のものには及ばない。又、日本人は理性的徹底性においても彼らの敵でないが、その直截簡明で、一条縄ひとすじなわで、最短距離を真っ直ぐに猛進する点においては、インド民族も中国民族も及ばないものを持っている。
(中略)
 日本民族は南方民族共有の感激性又は感傷性ともいうべき素質を有し、組織的に知性的に事物を処理することの代りに直感的にこれに対処する心理態を持っている。神道家が口癖のように持て囃す「明き清き直き心」も、この心理態の一面を道破したものと言える。

【霊性的日本の建設】、第二篇「日本的霊性的自覚」、第二講

 上記引用では「直接性」と共に「単純性」が取り上げられている。しかし、いずれにしてもこれらは霊性というものを対象的に見て、霊性そのものの性質が直接的だとか単純だとか言うのではない。日本的というのは霊性を外から見て言うのではなくて、霊性の精神への現れ方のことだとわかる。

 大拙が我らの霊性が日本的であるというその理由は、以下の言葉によく表れている。

 日本的霊性の特質はその莫妄想まくもうぞうのところに現れるのであるから、日本的生活の面にもおのずからそれが読み取れる。これを普通には禅思想の浸透といっているが、それよりも、日本民族の立場から見て、日本的霊性が禅形態で云為うんい(言ったり行ったり)しているといってよい。

緒言「日本的霊性につきて」、第8項「禅と浄土系-直接性」

 大拙は、たとえば「中国民族的霊性」とか「欧州諸民族の霊性」のような表現も使っている。これも中国や欧州の人たちの精神的気質の方面に焦点が当てられていて、霊性の質の話ではない。霊性そのものの質ということになると、おそらくは国による違いなどないのだ。そもそも、このような「霊性そのもの」などいう切り取り方が、適切では無いのである。それを言い出すと、言葉というものはすべて象徴の域を出ないのだが。

 更に二つ引用しておく。これは「霊性の世界性」についての説明である。

 実際をいうと、キリスト教にも霊(性)的なるものはあるが、その見方が日本的霊性的なるものと違っているといっておきたい。

【日本の霊性化】、第七講「科学的世界観とアメリカ文化」【日本の霊性化】、第七講「科学的世界観とアメリカ文化」

 ここにいう「日本的」の裏には、「世界的」ということがあって、日本的霊性の奥には世界的霊性というものを包んでいるのです。元来、霊性には世界的も日本的もないのですが、それが日本民族の間に、日本人の心理の内に動き出ると、何かそこに特徴を持ったものが現象してきます。それを「日本的」と言うのです。霊性の、民族的、あるいは地方心理的に特殊化したものという意味です。
 日本人が世界民族の一人として、世界的に普遍なものを日本心理的に反映したものと、こういうように日本的霊性を見るのです。それゆえ、本当に日本的霊性に徹すれば、霊性そのものに体達することになります。
 世界の各民族は民族独自の心理態を通して、それぞれに霊性に接触してきます。「日本的」と言うと、近頃は甚だ面白くない連想がついてきます。それは国家主義的・歴史的・政治的・祖国第一主義的などです。これらはいずれも「世界的」なものを欠いています。霊性的なものを欠いているのです。それでは、日本的霊性にはなりません。ここの区別を、はっきり飲み込んでおきたいのです。日本的霊性は日本的に霊性に徹するの意味ですから、重点は霊性におかれるべきです。

【日本の霊性化】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 大拙は日本的霊性という言葉が単なるお国自慢にならないように心を砕いている。その点には注意が必要だが、「日本的霊性は霊性としての現れ方がもっとも直接的で単純で情性的だ。」というのが大拙の主張だと思う。

 日本的といえば国土と結びつき、空間的に限定されてしまう。それから鎌倉時代に顕在したと言えば時間的に限定されてしまう。しかし、霊性自体はどうしても、無限で永遠の性質をもっていることを忘れてはならない。

第四章 国家と霊性

 日本的霊性の続編にあたる「日本の霊性化」と「霊性的日本の建設」では、政治や組織や人間活動と、霊性との関係が論じられている。まずは日本的霊性(第二刷)の序文から、戦前・戦中の仏教界に対する大拙の批判文を引用する。

 仏教者は、自分らに課された役割に民衆性・世界性を持たせることを忘れた。また本来仏教に包含されている哲学的宗教的なもの、霊性的自覚というものを、日本的宗教意識の中から呼び覚ますことを怠った。それで仏教は「日本的」になったかも知れないが、日本的霊性的なるものは後退するようになった。

「日本的霊性」の二刷の序

 大拙はこの書を通して、人々の日本的意識の中から霊性的自覚を呼び覚まそうとしている。

 日本人の存続が世界的に何か意味があって、その歴史の生成に何か寄与すべき使命を持っているとすれば(本書の著者は実にそう確信し、本書もまたその心で書かれたのだが)、私達は、日本的霊性の特異性を宣揚することを軽んじてはならない。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第9項「霊性的直覚の時間性」

 また、世界中の人々に日本的霊性の特異性を説明し、それにより、世界の人々の中から霊性的自覚を呼び覚ますことも、この書の遠い目的の一つではあるだろう。

17. 御稜威(みいつ)

 組織と自由の問題を考えるときには日本の戦時中の不自由を考えてみるとよい。ここではまず、大拙が戦時中の行き過ぎた天皇崇拝思想に言及している文章を見ておきたい。

 神道が、「政治を離れたら何もないもの」と考えられるようになったのは、実に、明治維新の頃からです。それが最近十数年、あるいは二十年、三十年も遡りましょうか、その頃から軍閥のために都合の良いイデオロギーを供給することになりました。それは御稜威みいつ[19]の思想です。陛下の御稜威とか、現御神あきつみかみ[20]の御稜威とか、国威を四方に宣布するとかで、この「御稜威」が甚だいけないのです。これが、軍部の武断専横の政治のために、都合の良いイデオロギーをこしらえ上げたものです。行き過ぎ国家主義の基本思想となったものです。

【日本の霊性化】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 御稜威みいつは今はあまり聞かない言葉だが、太平洋戦争で行き過ぎ国家主義の基本思想になったと大拙は言う。21世紀の現在も独裁国家で行われているような馬鹿げた洗脳と言論統制は、80年前の日本にも行われていた。

 今から何と騒いでも仕方がないが、とにかく、日本は皇国で軍隊は皇軍で、戦争は聖戦だということになった。力は服従を強請する。それも絶対の服従である。服従のあるところには、奴隷あるのみです。聖恩・皇恩・天恩、いずれも力の持主が奴隷に対する態度です。日本人はこのような封建主義、権力で組織された統治体の下で、「二千六百年」を生きてきました。明治時代には、一時、自主自由が叫ばれもしたが、それは線香花火のようなものでした。

【日本の霊性化】、第五講「絶対主権の国家観と神国思想」

 他国と戦争するにしても、国民を支配して「聖戦」と信じさせるようなことは、現代の日本人から見たら信じられない愚行ではあるが、これは実際に起きていた。

 意味のない戦争をやって、敗けて、無条件降服しなければならなかったことは、一面残念にも思われる。しかしよくよく考えて見れば、これが始めから日本に約束されたものであったと言ってもよい。日本はいつまでも「無意識」の原始心理態の裏に力の意欲を原理とした妄想を描いているべきではなかったのだ。「無意識」の暗窟を打破するには、今度のように、有史以来の一大衝撃に打たれるべきであった。つまり来るべきものが来たのだ。我らを歴史の始めから待っていたものが訪れたのである。それは、力による一切の社会的・政治的国際行動に永遠の訣別を与えることである。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第6項「国体と法界曼陀羅」

 現代日本人が見れば、当時の日本の蛮行は阻止したいと思うだろう。戦時下の日本には現在の北朝鮮やロシアの独裁と重なる面がある。原爆の被災は無用な悲劇ではあったが、聖なる戦いなるものはいずれ終止符が打たれるべきではあった。

18. 世界主義と国家主義

 21世紀初頭の今、世界的に保護主義や組織我の台頭が目立ち始めている。国家我とか組織我、個人我などの我力が勢いを増すと、組織間や個人間には争いが絶えないことになる。

 世界を動かしていた二つの主義がある。一方は世界主義、一方は度を超えた国家主義である。この二つの思想の争いが、今度の戦争で解決がついたかつかんかは分かりませんが、とにかく、日本としては既に解決がついたと思います。世界思想又は世界主義と、超度の国家主義との戦争の結果は、世界主義が勝ったのです。ただし、国家主義というものが全く壊滅したわけではなくて、国家主義の異常に度を超えたものが抑えられたのです。

【日本の霊性化】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 国家主義がすべて諸悪の根源というのではない。ただ、独裁的体制下で独我的に構想された超度の国家主義は、国民と国家に多大な被害をもたらす。

19. 日本国憲法

 日本的霊性に続く「日本の霊性化」より、大拙の憲法観のうかがえる記述を引用する。

 憲法に「日本はどうあっても戦争をしない」と定めたことは最上階級の合理性を持つものです。国家の兵備をとってしまってその主権なるものを打破すると、国家我を力まかせに肯定する機会が絶対になくなります。国を挙げての総力戦だと言って、そしてその結果は何百万人の兵隊を殺し、何百万人の市民を裸にし、家なしにした。なまじ始めからいくらかの兵力を持っていて、それを後生大事に守っていたためだ。始めから何もなかったら、これほど国民全体が苦しむことはなかったろうと思う。それは間違いであろうか、どうだろう。

【日本の霊性化】、第四講「世界国家-絶対主権-自我主義」

 最高の理性が人間のために考えたら、兵力の廃絶を訴えるのは当然だと思う。一方で、21世紀初頭の現在、ロシアや中国などの力による現状変更の試みを見ると、他国の侵攻に対する十分な備えを持つことを怠ることはできないだろう。

 新たに発布された「日本国憲法」と明治二十二年の「欽定きんてい憲法」とを比較すると、実に雲泥の差があります。「平和の維持専制や隷従、圧迫や偏執の除去」などは、今までの親心主義[21]や御稜威みいつ宣揚や「国体」擁護とは、絶対に相容れない思想です。「国政は国民の厳粛な信託」であるとか、日本全国土に渡ってもたらされる「自由の恵沢けいたく[22]」などに至っては、日本開闢かいびゃく以来未曾有みぞうの大宣言なのです。これは第一次及び第二次の世界戦争に参加した国々の人々が、実際に戦時中に言語を絶した苦しみ悩み惨めさを体験した、その心理の結晶と論理の帰結にほかなりません。それ故、この点に関しては、「日本国憲法」中のこの条項は、実に世界的意味をもって、最も大切なものと認めなくてはなりません。

【日本の霊性化】、第七講「科学的世界観とアメリカ文化」

 「どうあっても戦争はしない」というビジョンは、周辺にならず者国家がある状況下では現実的でない。防衛力は周辺国とのバランスをとって控えめに装備するのが良いのだろう。ある講座で、「ケンカはしてもいいが、いらぬケンカはやめたらどうかな」と諭す大拙の肉声が残っている。憲法9条は平和憲法としての理念は残しつつも、歯止めの制度は国民的議論を尽くしてもう少し現実的に修正するのがいいと、今は思う。

第五章 自由ということ

 日本的霊性の本質を一言で表現すると「自由」ということに行き着く。ところが現代日本ではその自由という言葉の真の意味が失われて本当の意味を知るものが少なくなりつつあることを大拙は危惧する。本当の自由とは何か、これを、ここにまとめておく。

20. On Liberty

 大拙は、普通に使われている「自由」という言葉は、本来は、より深い宗教的意義を持っていたのだと説明する。まずその「自由」という言葉の真の意義について、大拙の解説を読んでみよう。

 「自由」と言う成語が日本で一般に用いられるようになったのは、明治の初年に、ミルの On Liberty を訳者が『自由の理』として出版した時からだと思う。「自由」と訳すには、よほど苦心したものだろう。もともと仏経で、殊に禅録に多く見出される。『臨済録りんざいろく』には「自由」がたびたび現われる。「自由」とは「自ら主となる」、つまり「自らに由りて他に由らず」の意味であって、宗教経験の上において意味をもつ。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第二節「自由」、第1項「自由」

 知性の性格を検討すると、知性には自由がないのです。知性は必然の上に立つので自由はそこにありません。

【日本の霊性化】、第一講「今日の世界と日本的霊性」

 多くの場合、自由は 放縦ほうしょう不覊ふき [23]と誤まられ、利己を中心としたものになっています。(中略)このような場面には、自由は観念として、あこがれとしてチラついているでしょうが、体認というものにはまだまだ到っていません。しかし、知性をして、いつもこれに向って進ませるようにしています。

【日本の霊性化】、第四講「世界国家-絶対主権-自我主義」

 大拙晩年の「東洋的な見方[iv]」から自由に言及している記述を更に引用する。

 西洋のリバティやフリーダムには自由の義はなく、消極性をもった束縛または牽制から解放される義しかない。(中略)リバティやフリーダムの中からは、創造の世界は出て来ない。キリスト教神学の悩みは、ここから始まる。

【東洋的な見方】、「自由・空・只今」、1項

 神と人とを二分してしまうと、創造性は神にあり人間の創造性は限られることになって、何やら不自由なものが出てくる。しかし禅は、神に奪われた自由を取り戻そうとする。

 自由がしきりに叫ばれていても、それは盲目的であって、ほんとうのものでない。社会生活をやっているかぎり自由などいうものはあろうはずがない。人間本来の自由希求は、物の表面に行なわれるのでなくて、内心の深いところに存在する。それに気をつけさすのが宗教の役割である。

【東洋的な見方】、「人間本来の自由と創造性をのばそう」、「万代不易の宗教の役割」

21. 自由と華厳的組織

 組織とは窮屈なものだ。「みずからにより、他によらず」なんて現代組織ではとても許されない。組織の在り方を考える上で華厳の思想は重要なヒントを与えることになる。まず、大拙は現代社会における華厳思想けごんしそうの位置づけを以下のように説明する。

 『華厳経』に盛られてある思想は実に、東洋、インド・中国・日本にて発展し温存されてあるものの最高頂です。(中略)今後はこれを集団的生活の実際面、即ち政治・経済・社会の方面に具現化させなくてはならないのです。

【仏教の大意】、第二講「大悲」

 集団生活の実際面に華厳思想を具現化するとはどういうことだろうか。そもそも事事無礙じじむげとは何なのか。まずは大拙の解説を見ていきたい。

 事事無礙法界じじむげほっかいというのがある。事とは特殊の個己である。千差万別の世界をそのままに見たところだ。この特殊の個己がそのままに回互えごして、甲が乙であり、へいであり、ていであり、そして、丁が丙であり、乙であり、甲である。そしてまた、丙も乙も各々また、その他の一一いちいちである。これを無礙という。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第4項「事事無礙法界」

 この引用で「特殊」とあるのは「一般」に対する「特殊」を言うので、特殊の個々といっても珍しい特別の個々というのではなく、ひとつひとつの具体的な個々を言うのである。個々とせずに個己としているのも面白い。だが、これは無我の己であるから、個己は個々としても差し支えないと思う。この無礙の個々からなる法界について、大拙は以下のように説明する。

 法界ほっかいとは、これら特殊の個己、甲乙丙丁...が無礙むげ回互えごし、相即し、円融することなき様態をいう。法界はいわば個己の全てであり、個己は法界の一々である。しかし、法界は一々の事の外にあるのではない。また一々の事が法界に包まれてその内容を形成するわけでもない。一々の事が成り立つところに法界があり、法界があるところに一々の事が既にそこに在るのである。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第4項「事事無礙法界」

 ここまでが、事事無礙じじむげという世界観の基本的な解説になっている。そして、事事無礙という霊性的直覚は、独特の時間感覚を伴っている。大拙の解説の続きを見てみよう。

 これを、時間が空間で空間が時間であると言ってもよい。時間即空間、空間即時間。一即多、多即一ともいう。事事無礙法界というと、普通は空間的に解釈しようとする。しかし、無礙は空間的概念ではなくて、時間的であることを忘れてはならない。事事の差別は空間的であるが、その差別がそのまま直ちに無礙であるところに、時間性を看取するのである。時間-空間、空間-時間のところに法界が成立する。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第4項「事事無礙法界」

 これは霊性的直観を体験した個人による時間感覚の直叙である。霊性的直観の中にあるのは絶対の現在で、流れていく時間と一つになっている人にとっては過去も記憶もない。そして、記憶の無いところには時間の感覚はないのである。この人にあっては、時間も空間も、絶対現在の中に溶けてしまっている。

 続けて大拙は、事事無礙と、その前段階の概念とも言うべき理事無礙りじむげとの違いを説明する。事事無礙を簡単に部分と部分の無礙性とすれば、理事無礙は全体と部分の無礙性を意味する。

 差別即平等、平等即差別よりも、事事無礙じじむげ法界と言う方がよい。それは、前者は理事無礙法界に相当するが、それだけでは法界の実相に徹しないからだ。理事無礙は汎神論と間違われかねない。いや、実際そのように解する人もいる。しかし、それでは華厳思想の真髄に手が届かない。事事無礙に突入することにより、東洋思想の絶天によじ登ったことになる。

 一般には、事と理とを別物のようにしたがる。事の所に理はなく、理の所に事がないというように見ようとする。ところが事事無礙観になると、事が理であり、理が事であると見て、その見に即して事事無礙を成立させる。事即理、理即事だけでは、事の外に理があり、理の外に事があるように考えられてしまう。しかし事がそのままで理を蔵していて、事の外に理を言えないことになると、つまり理事無礙より今一歩進んで事事無礙というとき、真実により精確な表現を与えることになる。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第4項「事事無礙法界」

 そして、事事無礙の世界観を大拙は以下のように総括する。

 この法界があるので、花はくれない、柳は緑である。山は是れ山で、水は是れ水で、瓠子ひさごは曲って攣攣れんれん冬瓜とうがんおうして儱侗ろうとうである。もっと詩的にいうと、「春山乱青を畳み、春水虚碧を漾わす」である。世間では、これを神秘主義だとか自然神秘だとか言うかもしれないが、それではまだ真実際に徹しない。理事無礙観を超えていない。神と我、理と事、一と多というようなものが見えて、対象的論理の域を出ていない。

 神秘主義では、まだ抜けないものがある。事を理に没入させようとするからだ。事を事のままに受け入れなくてはならない。そこに事事無礙の法界が現出する。これを神秘主義とは言えない。むしろ、絶対的アブソリュート実在論・リアリズムと言った方がよかろう。あるいは根源的経験論ラディカル・エンピリシズムとでも言うか。何れにせよ、無礙むげ観には微塵も神秘性はない。露堂堂ろどうどうである。覿面底てきめんていである。霊性的自覚の世界は、何事もあけっぱなしのところに、その特異性をもっている。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第4項「事事無礙法界」

 大拙は事事無礙じじむげに基づく独自の組織論の概要を以下のように説明する。

 事事は事事として無礙むげであり、無礙であって、しかも柳は緑たるを失わず、花は依然として紅であるところに法界の成立を見る。これが東洋思想の絶頂で、私達は、この世界観の上に生活している。いや、生活しなくてはいけない。これを生活の実際面でいうと、既に「事を事として、しかも事は事にあらず、それ故に事は事なり」という否定即肯定の即非論理を認めれば、「全体主義」は初めから成立しない。(中略)

 個己は個己としてのみ立ち行けるものではない。一つの個己は、他の個己を予想し肯定することによってのみ可能になる。自己本位はまた、他己本位である。それで事事無礙なのである。政治的にいう個人主義は、そのままで全体主義に通ずる。また全体主義は、個人主義を否定して可能なものではない。理事は無礙だと言うべきだ。人格的、道徳的、個己自主的な集団組織を、政治の実際面に働かす、これが事事無礙法界の姿で、人生生活に実現した曼陀羅まんだらでなくてはならない。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第5項「事事無礙と生活実際面-国体観」

 事事無礙に徹底する時には理事も事事もない。大拙は事事無礙の組織論をさらに以下のように展開する。

 事事は個個に独立して絶対だが、無礙の故に、個己の自主性をそのままに、他己の自主性に通う。通うので、回互えご的に各自が自己を限定することになる。自らの人格を尊重するため、またよく他己の人格を尊重し、その威厳を冒瀆しない。これが人生の実際面に姿を映した法界図像であり、力の意欲の潜入すべき余地はない。力は本質的に二元的であり、必ず対象を求め、これを圧迫する。力の意識はそこで成り立つ。力の在る所、いつもその下にあえぐ者がいる。ところがその喘ぐ者は、その屈従に馴らされて、却って「君の恵み」のようなものを推し戴き、そして、その心理態を却って本来のものと心得るようになってしまう。

 法界の外に立つ力は有るべきではない。力がないと組織が持てないと思うのは、それを外に求めることの非合理に気づかないからだ。法界はそれ自身で完全な組織体である。これを組織する力は組織そのものの中に初めからそなわっている。それを外に求めるから、内にあるものが歪められてあらぬ方向へ転出する。その結果は、組織体そのものの崩壊である。霊性的日本の建設は力が主体であってはならない。事事無礙法界をそのままに、私達の生活の実際に映したものでなければならない。

【霊性的日本の建設】、第一篇「霊性的日本の建設」、第五節「力と国体」、第5項「事事無礙と生活実際面-国体観」

 そして大拙は、人間集団と蟻や蜂の集団との違いを説明する。

 人間の集団生活は、蟻群や蜂群の集団生活と違います。蟻群や蜂群の場合では、食糧を獲得することと種族の永続を計ることのほかに集団生活の意味はありません。これに対して人間の場合には、経済生活、つまり食糧の獲得などや種族繁栄の他に、思想があり、美に対するあこがれがあり、個人的価値観があり、人格の完成があり、霊性的直覚の世界などがあります。これらは必ずしも経済生活と連結していません。

【日本の霊性化】、第五講「絶対主権の国家観と神国思想」

 人間に至って進化は一変し、種族繁栄に留まらず、思想や美に対するあこがれ、霊性的直覚の世界などが生まれてきたのだと。

 人間は、時には種族永存の衝動さえも犠牲にすることがあります。人間には他の動物にない我意識の発生があったので、それからというもの、人間は自由を欲し、又価値の世界や霊性の世界などを見るようになった。これは、経済生活の中へ押し込むわけにはいきませんし、経済生活の中からのみ出て来るものではありません。人間には、ある程度まで経済生活に制限されるところがありますが、又他の一方では、これから離脱しようとする絶えざる努力があります。それで、人間的集団生活には、知性的分別上で組み立てた概念のみを基礎にして、規制していけないものがあります。

【日本の霊性化】、第五講「絶対主権の国家観と神国思想」

 人間に自我意識が発生し経済生活のみに制限されずにこれを離脱しようとする。このとき人間的集団生活は知性的概念のみで規制していけなくなる。

 人間生活には、集団生活を超えなければできないものがあります。それで、人間的集団生活は、可能な範囲内で極めて弾力性に富んだ、あるいは極めてルースな連結方式と言うか、何かそのような形体を取らないと人間は生きて行けないのです。生きていけるのは、人間の形骸だけです。霊性的人間はそこには見出されません。人間的集団組織の原則は、その各単位に極大の自由を享受させ、しかも彼らが組織外に逸脱しないように、組織そのものを破壊しないようにそれを取り締るところに在ります。

【日本の霊性化】、第五講「絶対主権の国家観と神国思想」

 人間は弾力性を欠いた知性的概念的な機構の中では生きてはいけない。各個人に自由を享受させ、しかも組織としてまとまっていくことが、人間的集団組織の原則だという。そして人間的集団生活を可能にする政治の在り方にも言及している。

 政府を構成する指導者達の役目は、積極的に政策の遂行を企てるよりも、消極的に最小限度の取締りに留めることだと考えます。つまり、政府なるものは有るか無いかと言われるほどに、極めて影の薄いものであればあるほど良いと思います。単位の個人にその創造的性格を無制限に実現させ得るほどの連結又は統制がとれていれば、それでよいと思います。それと同時に、単位の個人は集団的統制力を頼ることなく、自ら制し自ら節して、各自の間に自然の統制を保てるように行動するべきです。霊性的直覚の世界に建設されるべき集団生活の模様は、このようなものでありましょう。

【日本の霊性化】、第五講「絶対主権の国家観と神国思想」

 正直なところ華厳思想は難解だ。華厳を知性の上で矛盾なく整理することはできない。華厳は主客未分の現前の中で、霊性的直覚によってのみ理解され得る思想なのである。そしてこの章に示した「真の自由」についての大拙の解説は、現代日本人にも大いに参考になると思う。

第六章 霊性の進化

 ここまでは大拙による「日本的霊性」の解説を追ってきたが、この章では鎌倉時代に開花したという日本的霊性を歴史的に捉えて考察してみたい。これは筆者個人の解釈にはなるが、この霊性史観は「日本的霊性」という書の全体像を把握するための助けにはなると思う。

22. 霊性進化の三段階

 人類の進化を三段階に見て、これまでの話を整理したい。三段階の一つ目は生命の時代、二つ目は精神の時代、そして3つ目が霊性の時代である。

※ この表に示した三時代は日本的霊性という書を読み解くために本論内のみで用いる便宜上の区切りである。

 第一期「生命の時代」は知性獲得以前の生命史の中にあり、約二十万年前のホモ・サピエンス誕生が最大のイベントだ。「霊」と呼び得るものはあるとしても、未だ人類が動物として生きていた時代である。とはいえ、犬や猫などの動物に霊性がないとはなかなか言い難い。それは霊性の定義によるだろう。ただ知性発生前の霊性は霊性としての本領を十分に発揮し得ないので、本格的な霊性とは言えないことになる。

 第二期「精神の時代」はサピエンスが知性に目覚めた「認知革命」に端を発する。「サピエンス全史[vi]」の著者のハラリ氏によると、それは七万年ほど前のことになる。精神の時代は個という虚構の世界的発展の時代である。つまり、個人や企業、政治体制や宗教などの強力な虚構が発展し、人類を支配した時代のことである。人類は言葉を最大の武器として社会を認識し、再構築し、科学技術を発展させた。実際をいうと現代人の99.9999%は今もこの第二期の精神の時代を生きているのである。第二期は知性的二元対立性をもった個の時代であるから、戦争が無くなることはない。

 第三期は、大拙のいう「日本的霊性」が覚醒した時代である。この覚醒により、個は個のままに個への執着を破った。この変容は日本の鎌倉時代に、不二的二ふにてきにの直覚として、禅宗や真宗などの仏教徒の生活の上に姿を現した。霊性は「二の二たる理由」を直覚し、「二は二で二だ」という知性の独断を破った。あたかも粒子的に虚構されてきた個あるいは我が、粒子性と波動性とを同時に備えるものとして再発見されたかのように。これにより、少数の覚醒した人たちの心の中に、みずからを、自我、宗教、地域、経済、政治などの虚構の束縛や、情性的論理の罠から解放する素地が生まれてきた。こうして二つ目の林檎をかじった人、すなわち霊性に目覚めた一部の人々は、内なる戦争を終わらせた。日本的霊性は人類第三期に現れた「真の自由」の境涯を指しているともいえる。

図-1 霊性進化の三段階(概念図)


23. 下萌えする日本的霊性

 それにしても、本当に現代は霊性の時代なのか。霊性などというものは現代社会の中にはあまり見当たらないのではないか。これに関する大拙の文章を、また少し引用する。

 霊性は、民族がある程度の文化段階に進まないと覚醒されない。しかし文化がある段階に向上した後でも、その民族のことごとくが覚醒した霊性をもっているとは言えない。すなわち、日本民族について言っても、今日の日本民族の一人一人がみな霊性に目覚めていて、その正しい了解者だというわけにはいかない。

緒言「日本的霊性につきて」、第3項「霊性と文化の発展」

 全員が霊性に目覚めるものでないなら100万人に一人か。そんなものをあたかも人類全体の一大事のように、霊性の覚醒などと呼べるのか。今の日本人全体の中に霊性はあるのか。

 ある特定の時代に、ある特定の個人が霊性的に目覚めたことはあっても、それはその人にのみ限られたことで、その時代をすべて霊性的に代表したものとは言えない。弘法こうぼう大師にしても伝教でんぎょう大師にしても、宗教的に特に偉大な人格が、日本の精神史のある時代に出現したことがあっても、霊性的自覚は彼ら個人の上に突発的に発生したにすぎない。その時代の日本人全体の中には、まだ、何の霊性的自覚もなかった。

【霊性的日本の建設】、第二篇「日本的霊性的自覚」、第二講

 大拙は空海や最澄の到達点は日本的霊性に裏打ちされていないと言っている。唯識や、般若、法華、理趣、華厳思想等の体得があっても、それは日本的霊性の発露ではなかったと。

 日本的霊性的自覚とは、日本民族の間に鬱然うつぜんとして下萌したもえしているものが、ある特定の人格を通して表現されるときにそう名づけられるのである。何の地盤もないところに突発的に言わば偶然に生成された個人的霊性的自覚では、日本的とは言えない。

【霊性的日本の建設】、第二篇「日本的霊性的自覚」、第二講

 日本民族の間に鬱然として下萌しているもの、そこに日本的霊性の基盤があって、人間の知性的・思索的な構築物はその上に積み上げられる。霊性について、大拙は以下のように注意を与えている。

 自分の主張したいことは、宗教意識の形成確立には霊性的直覚がまずなくてはならないこと、そして、思想的機構はその上に造られるべきだということである。そんならその霊性的直覚なるものはどのようにできるかというと、それは人間精神の歴史的発展の途上に自然に経験されるというよりほかあるまい。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第10項「仏教の通俗化ということ」

 まず霊性的自覚がなくてはならない。知性は霊性的自覚の上に設えられている。肝心の霊性的直覚は人間精神の歴史的発展の上に自然に経験されるのだという。だが、その霊性とは何なのか。結局よくわからなくなってしまって、話は元に還ることになる。最終的に、大拙は以下のように解説する。

 霊性といっても、そんなものがどこかに存在するわけではないが、その働きが感じられるので、すべて、話の都合の良いように霊性というのである。

第二篇「日本的霊性の顕現」、第三節「日本的霊性の主体性」、第2項「霊性のはたらき方」

 これなどは身も蓋もない感じもするが、霊性は魂のような「体」ではないので「働き」と呼ぶしかないのだ。霊性は宗教意識である。この直覚を得た者には霊性が何を指すのかは明白なのだ。これを知性の上で表現しようとすると無理が出る。言葉の限界を超えている。現前に展開する霊性を生で捕まえるより他に方法はない。

24. タマシイ、レイセイ、アミダブツ

 いかがでしょう、タマシイすなわち霊と霊性の違い、お解りいただけたでしょうか。魂とは個体の情意だと言っていいと思う。魂の中心は意欲なのだから。そういう意味では霊は自我の源でもある。一方霊性の方は、自我とか個などの虚構には縛られない超個の実動である。また、この霊性は決して自分勝手ではなく、他者や環境の都合も聞き、宇宙霊、全体霊、超霊の性質を示し、それは必ず個人の心を通して私たちの日常世界に働きかけて来るのである。

 霊性とは知性や感情を超えた現前の直覚と言って良い。しかし日本的霊性となるとそれだけでは足りない。現前には本質的に主体も客体も無いがこれをあえて主体的に表現するならば、日本的霊性は、普段は意識されなくても、日本人の周辺に鬱然うつぜんとして下萌したもえしていて、日本的な特徴をもち、常に人々をして現前意識への参画を促しつづけている。それは「大地的・一人的直覚の地盤」であり、「生きた超個の人格」であり、私たちを情性的に、直接的に、矛盾同一的に現前へと誘うものである。

 ここに阿弥陀仏あみだぶつについて触れておく。阿弥陀仏は大悲だいひの実動であり、霊性のニックネームとも言える。問題は、21世紀の現代にそのような存在を信じられるかという点にある。大拙は「弥陀の誓願せいがんを信ずるというのは、無辺の大慈悲にすがることである」と言う。このインターネットの時代になんでいまさら阿弥陀仏かというと、そこに大悲のハタラキが認められるからだ。ご利益なんて要らない。助けてくれるからすがるのではない。弥陀みだを信じる理由は、霊性的直覚の中に大悲の現前が実感されるからなのだ。

 ただ、現代人には、大悲のニックネームとしては阿弥陀仏よりも、盤珪ばんけい禅師の不生ふしょうの方が響きやすい思う。盤珪のは不生禅であるが、よく見れば、不生は大悲であることが解ると思う。不生は大悲である。だが、阿弥陀仏に親しみを感じる人には、阿弥陀仏は最後まで面倒を見てくれる。仏の大悲にすがるのであれば、阿弥陀仏こそが大悲の源泉になるだろう。ただ、あくまで個人の感想としては、阿弥陀仏の名はやや古めかしすぎて、現代の若い人たちの耳には響きにくい傾向があると思う。

 最後に、大拙の晩年に執筆され「東洋的な見方 (昭和38年)」に収録されている「東洋的思想の不二性ふにせい (昭和37年)」から、不ニ法界ふにほっかいの働き方に関する記述を引用する。

 二分性といっても、一が一、二が二、なんじは汝、神は神、草は草、山は山、水は水というように、わかれわかれになって居るというわけでは、けっしてない。汝はわれに、われは汝に、いつもいつも交渉してきている。神はけっして神として、いつも天にましますことはない。必ずや娑婆しゃばのわれらの間に降りて、何かと世話もし、心配もし、相談にも与あずかってくれる。人間もその通り、神のまします天上界へも上り、草や木の異世界にも介在して、春は木の芽が出る、秋は月が光る、冬は山は雪で真白にぞ見ゆるなどと歌うのである。二分性にぶんせいはけっして絶対的でない。いつも自分を否定して、そうして自分に還ってくる。一はそのままで一でなく、二はそのままで二でない。一に即して二であり、二に即して一である。これが不二法界の世界である。

【東洋的な見方】、「東洋思想の不二性」、4項

 東洋民族性の心理の奥底に、すこぶる幽玄ゆうげんなるものがあって、これを自分は世界の至宝だと思っている。どうかして、それを世界の他の(地域の)人々の間に広く知らせたいのである。世界の人は、ここにおいて、その霊性の上に、新しいものを見ることになると自分は信じて疑わぬ。

【東洋的な見方】、「東洋的なるもの」

 人類は霊・生命から知性・精神を経て、その上に不二的二ふにてきにを見抜く霊性に目覚めた。ここに、少なくとも万人が不二的二を自覚するための地盤が生まれた。日本的霊性は人間の矛盾を解決する。現代的に表現するならば「矛盾同一性」である。絶対的矛盾は自己同一し、柱は柱のままで、馬打の球になる。真宗ではこれを煩悩即菩提ぼんのうそくぼだいという。矛盾が矛盾のままで矛盾でなくなる時節がある。西洋的な二分対立的な闘争を横跳おうちょう的に解決するもの。そういうものが日本にはある。

 最後の最後に、大拙最晩年の昭和40年に書かれた「東洋の主体性」から、もう少し引用する。

 人間は矛盾を何でもなしに自己同一にして、零そく無限、無限そく零とする。数を作るのも人間、数を超えるのも人間、自分で作って自分でこわし、その中に生きて行く。しこうして、あるいは楽しみ、あるいは苦しむ。人間の生涯ほど、奇怪なものはない。ところが、ひるがえってみると、この奇怪不思議なるものの外に何もないのである。
(中略)
 「本来のにん」「自己の本性」などは、何だか抽象きわまるようだが、その実、これほど具体的な、身近なもの、直感的なものはないのである。自分はいつも、世のいわゆる最も抽象的、概念的なものがじきに、最も具体性を持つ実存だというのである。

【大拙つれづれ草】、「東洋の主体性」

 大拙は「最も抽象的なものが最も具体的」だという。ここに生きた一人いちにんがいる。そして、その一人を最も深く体現したのは、他ならぬこの本の著者であった。大拙こそは日本的霊性の人であった。

 それにしても悟りの経験が全人類に行き渡るまであと何千年くらい掛かるのか。人類はそれまで殺し合わずに生き残れるのか。人は自由を求めて修行中、未熟なのはお互いさまだ。だが未熟は未熟なりに最勝を目指し、無意識の暗窟からにじみ出る悪意やら動物的本能に流されず、分かれていて分かれていない一人いちにんに徹底しなければなるまい。我らを包み飽くことを知らない霊性の無量の光に照らされて、ただ精進して生きていくだけだ。

おわりに

 限られた紙面内に先生の主張を体系的・包括的に折り込むために、畏れながら先生の長文を短く編集した。興味を持たれた方は是非とも文豪大拙の珠玉の名文に触れて欲しい。

 私たちが普段接しているこの世界の全ては自我が六識を元に再構成したバーチャル・リアリティだ。われらは心の奥のメンタル・スクリーンに映し出されるヨシナシゴトの上で日々を暮らしている。このメンタル・スクリーンの外には何もない。人間の喜びとか苦悩とかいうものは、このメンタル・スクリーンの上映会のようなものだ。

 このスクリーンを壊してその先に何があるかを見よと禅はいう。真宗は、そのスクリーンを裏から叩く者は誰か、阿弥陀仏は何処にいるかと迫り来るのである。そのスクリーンを壊せば自分もなくなる。そのいなくなったところが霊性の活躍の場で、アミダも大拙もみんなそこでお祭り騒ぎをしているのに違いないと思う。

 これが、一技術者としての小生の理解であるが、こういう考えもまたメンタル・スクリーンに映しだされた絵模様の一つであることを免れない。映写機はどこか、上映者は誰か。最も具体的な霊性とは一体どこに住んでいるのか。「霊性とは何か」、これはまだまだ今生は、小生の研究テーマでありつづけそうだ。

 最後に、③霊性の複合性について、第一章冒頭の重要な視点に含めた理由をここに追記したい。本論で筆者は、日本的霊性を何か単一のハタラキとして捉えようとしてきたが、結局そのような意識を持っていては、日本的霊性は捕まえきれないのだ。複合と言ってもカウンタブルな複合ではない。そもそもが事事無礙の世界の消息なので、キッチリ分析することはできない。だが、単一のハタラキとして捕捉しようとする試み自体が知性の働きなので、そのような試みはきっと初めから、知性の無駄なあがきなのだ。本当は単一とも複合とも断定できないところに、日本的霊性の本質があるのだろう。


初稿 2018.8.11
Note に引っ越し 2024.4.22

[1] 理法界りほうかい: 現象・差別の世界の事法界に対して、原理・平等の世界。理事合わせて法界。
[2] 法身ほっしん: 色も形もない真実そのものの体。永遠の真理としての仏。
[3] 意識ヴィジュニャーナ: 対象を分析し分類して認識する作用。般若はんにゃに対し、一般的な意識。
[4] 末那識マナス: 一般に「意」と訳される。仏教に説く8識のうちの7番目の識にあたる
[5] 般若プラジュニャー: 般若はんにゃの智慧。仏智。悟りの意識。大智ともいう。

[6] 衆生しゅじょう: 仏教用語で、生命のあるすべてのもの。ここでは、人々。
[7] 無上尊むじょうそん: 仏教用語で、釈迦または仏の尊称。ここでは、阿弥陀如来を指す。
[8] 無辺むへん大悲だいひ: 阿弥陀仏の無限の大慈悲心。浄土宗、真宗でいう他力。霊性の情性面。
[9] にん: 超個己の個に目覚めた霊性。この場合「ひと」と読まずに「にん」と読んでおく。
[10] 本願ほんがん: 阿弥陀仏がいっさいの衆生(人々)、すなわち個々を救うために起こした誓願。

[11] 皮膚脱落し尽して唯ただ一真実のみあり: 中国禅の、六祖慧能えのうの三代後の、薬山やくさんの言葉。
[12] 絶対矛盾的自己同一: 大拙の親友で著名な哲学者の西田幾多郎の言葉。⇔即非そくひの論理。
[13] 理事無礙りじむげ: 全体と部分、抽象と具体、平等と差別、一般と特殊が互いに妨げないこと。
[14] 嬰孩えいがい性: 赤ん坊、ちのみご、嬰児えいじの持つ性格。
[15] 御幣ごへい: 神祭用具の一つで、紙または布を切り、細長い木にはさんで垂らしたもの。

[16] 妙諦みょうてい: すぐれた真理。
[17] しん: 浄土真宗を略していう。
[18] 事事無礙じじむげ: 事物が互いに遮らず融通する様。無礙は無碍とも書き、障害がないこと。
[19] 御稜威みいつ(御厳): 「いつ」を敬っていう。天皇や神などの威光のこと。
[20] 現御神あきつみかみ: 姿を持って現れた神、戦時中は天皇を指して言った。

[21] 親心主義: 政府を人民の親と考える(教える)思想のこと。
[22] 恵沢けいたく: 恩恵。めぐみ。
[23] 放縦不覊ほうしょうふき: 何ものにも束縛されずに、勝手気ままに振る舞うこと。
[24] 即非そくひの論理: 鈴木大拙が『金剛』の中心思想とした「A即すなわち Aに非あらず」の般若系哲理。


[i] 「日本的霊性」   鈴木大拙 著、昭和21年 3月 大東出版 再版発行。
[ii] 「霊性的日本の建設」鈴木大拙 著、昭和21年 9月 大東出版 初版発行。
[iii] 「日本の霊性化」  鈴木大拙 著、昭和22年11月 法蔵館  初版発行。
[iv] 「東洋的な見方」  鈴木大拙 著、昭和38年 5月 春秋社  初版発行。
[v] 「仏教の大意」   鈴木大拙 著、昭和22年 4月 法蔵館  初版発行。
[vi] 「サピエンス全史」 ユヴァル・ノア・ハラリ 著、柴田裕之 訳、2016年9月発行。
[vii] 「大拙つれづれ草」 鈴木大拙 著、昭和41年12月 読売新聞社 初版発行。


■編集履歴

初稿 2018.8.11

 第一章 2.「霊性の定義」に「精神と物質」の視点を加え、「精神と物質の奥」についての大拙の言葉に沿う形にした。これで、本論全体のニュアンスが少し変わってしまうが、この修正は、筆者の最近の霊性理解に応じたものである。
2019.10.26

 第一章 2項「霊性の定義」に、新たに引用文を追加した。これにより、霊性とは、般若の知恵すなわち「大智」に、仏の慈悲すなわち「大悲」を合わせたものであるという、大拙による霊性の定義を明確化した。また、14項の「日本的とは何か」にも、いくらか加筆した。2020.10.12

 日本的霊性の特徴を第一章から分離して第二章とした。その第二章第3項の「直接性」については、引用文を増やし説明を追加した。また、第5項には日本的霊性の特徴として「超個己性」を追加した。超個己性は、超個の方に焦点を置き、一人性は個の方に焦点が置かれているが、いずれも日本的霊性の現れ方を示す用語である。超個己性は禅宗で、一人性は浄土系で重視される日本的霊性の一側面だと言えそうだが、また、その逆のようでもある。
2020.11.25

 昨年の2020.11.29に、第三章 14.「日本的とは何か」の項を、「霊性の人心への現れ方に、日本に独自のものがある」というように小生の見解を修正した。しかし、霊性はハタラキであるという視点と、霊性そのもの、という見方との関係が不明確であったため、そのあたりの説明をさらに整理した。
2021.1.3

 3.項に即非の論理の説明を追加した。これにより、3.項以降の項番は、一つずつ繰り下げた。筆者は、即非の論理については、別の小論にまとめてあるので、そちらもご参照頂きたい。
2021.7.14

 本小論文は、2018年に執筆した。その時は、大拙の真意が分からず、迷い迷い執筆していた。この夏、盤珪の不生禅を読み直していて、気づくところがあり、かなりの修正を加えることになった。主な修正点は以下のとおり。

第一章 霊性の定義: ここに新たに、重要な2つの視点を取り上げた。第一の視点は、日本的霊性は思想なのかということ。第二の視点は、霊性と日本的霊性は、その用語のカバーする範囲が、空間的のみならず質的にも違っていること。

1. 霊性と霊界: 「霊性は、文化がより知性的に成熟し知性の限界を感じるレベルに到達して、はじめて覚醒する」ということを追記した。

4. 霊性と日本的霊性: 本項は、第二の視点「霊性と日本的霊性とのカバー範囲の違い」を明確にするため、新たに書き起こした。広義の霊性については、禅意識が分別識に作用して文化を構築しているとき、日常世界の中に現れた宗教意識の所産を含めて霊性と言うものとした。

5. 直接性: これまでは、二者間の距離が間接的でなく直接的なのだと思っていたが、大拙の直接性はその程度の直接性を言うのではなく、矛盾同一のことだと気がついたので、この部分の文章を新たに書き直した。

7. 大地性: 「物質性にも精神性にも留まらず、具体性にも抽象性にも留まらない、大拙の大地は現前の大地である。」とした。
2022.9.8

 4項、霊性と日本的霊性: 日本的霊性に関する二つの重要な視点を、「① 日本的霊性とは思想なのか」、「② 霊性の意義の二重性」として整理した。また、「思想」という言葉の使われ方を、霊性的直覚を解説し人々を目覚めさせるための【教育のための思想】と【霊性の所産としての思想】の二つに分けて、大拙が日本的霊性を思想と見るのは、前者の【教育のための思想】の場合だという説明を付け加えた。
2022.9.17、 9.22微修正

 7項「超個己性」、8項「一人性」で、超個は大智の面に力点を置き、一人は大悲の面に力点が置かれていることを追記した。大悲は行動の原理と言える。
2022.9.20

 Blogger から Note に引っ越し。超個己と一人は、基本、同じものだとした。時間の円環性については、科学的に厳密なものでないことを前置きとして追記した。表-1「霊性進化の三段階」の第二期霊性の存在目的を「個の精神的拡大」から「自我意識の成長」に修正した。その他、全体的に解りにくい部分を修正した。まだ、解りにくいが。
2024.4.21

 Haruki Niyekawa氏の引用箇所がとても分かりやすかったので、その引用箇所を「2. 霊性の定義」のはじめに追加した。
2024.5.1

 これまでは、大地性は霊性の性質を大地の物質性に譬えた面もあると思っていたが、どうも譬えというのは当たらないようだ。解説文を見直した。
2024.5.4

 霊性を単一のハタラキと見ない方が良いかもしれないというアイデアを、第一章冒頭の重要な視点の③とし、おわりに に説明を追記した。
2024.5.5

 大地性は譬えではないと書いていたが分かりにくい。譬えではないということも残しつつ、譬えの面もあるので、わかりやすく再調整した。
2024.8.30


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