「#03]大和定住促進センターでの生活
みなさま、こんにちは。カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちら。
このnoteを書くにあたり、参考にした文書があります。
1998年3月に発行された「大和定住促進センター18年誌」という本です。
財団法人 アジア福祉教育財団の難民事業本部からの発行です。
図書館で偶然見つけた時、私は感動してしまいました。
その文書の最後の入所名簿には、私や私の家族の名前がしっかりと記載されていました。
ボランティア活動に勢力を尽くして下さった皆様には心から感謝します。
両親が体験した出来事や、幼い兄弟の記憶、同郷の友人の難民の叔父さんや叔母さん、そしてこれらの参考文書の内容を見比べながら、過去の思い出を追っています。
つらく苦しい経験を思い出す作業には時間がかかりましたが、
この事実を1人でも多くの人に知ってもらい世界で二度とこのような悲劇を起こさない為にも一人一人が考える必要があると思ってます。
-大和定住センターの生活-
古着の寄付
日本政府が運営する施設に到着し、私たちはすでに入所している難民と会話を交わしました。私たちは難民キャンプでは最低限の衣類しか持っていません。しかし、優しい人からの古着寄付があり、9月から冬にかけて寒くなる季節に備えることができるようになりました。
言葉も食物も、気候も文化も習慣も異なる日本にきてさぞかし両親は不安だったでしょう。
6畳一間の温もり
話によると当初は2-3年で終了すると思われていた定住促進事業でしたので施設も簡易的な2階建てプレハブで作られていました。
命を助けてもらい、日本に定住できた私たちに贅沢などは言えません。
雨や風をしのげて、食べるものもあって家族と暮らせるだけでも幸せです。
そしてこの6畳一間が家族の新しい生活空間となり希望の光となります。
寒い夜は5人で肩を寄せ合い、言葉を交わし合い、モノはないけれども家族の温かさをいつも感じました。
言葉の不安
日本に定住する私たちの一番の不安は言葉の問題です。
施設を退所した後は経済自立をしなければいけません。
子どもの教育や学校関連、市役所での手続、病院、住居、結婚や離婚、家族に関するいくつかの問題も自分たちで解決しなければなりません。
日本政府が第三国定住難民として受け入れた人には、
実生活で困らないようにと、日本の生活習慣や社会のルールについての基本的な知識を習得するための入居者のカリキュラムが組まれていました。
授業内容は挨拶からはじまり小学生程度の漢字の学習、日常生活の習慣やきまり、会社についての様々な規則を教えていきます。
日本語だけの授業だったために大変苦労したと思います。
保育室で両親の迎えを待つ
5歳以下の乳幼児は両親が学習中の朝9時半から午後3時40分までの間、
職員による保育がありました。
兄弟も幼く私たちは一日の大半を保育室で過ごします。
現在は41歳になりますが、その当時にどの程度の日本語を理解していたのかは記憶にありません。
しかし、きっと大人よりも早く習得していたのではないかと思います。
センターでの生活
入居者はセンターから一日の生活援助費をもらうことができました。
大人(12歳以上)は950円が支給され、食費などで650円差し引かれた300円が私たちの支給額となりこの援助費は入居者の日常生活や必要な物品を買う事ができました。
子ども(12歳未満)は525円です。
入居者にとってはより充実した生活が送れる一助となりました。
また食事に関しては日本の食文化に馴染めるようにと工夫がなされてました。
健康診断結果,母は入院
入所してすぐにオリエンテーションが通訳付きで行われます。
その際に個別の健康診断もあります。
少しまえの記事でお伝えした通り、定住前の健康診断で肝臓病を患っていたことが判明しました。この結果を受け直ぐに医療機関で治療を受ける事になります。
母の健康を最優先に考え適切な医療ケアをしてくれました。
その間は父と兄弟とで母の帰りを待ちます。
私たちは安心して新しい生活をスタートさせることができました。
次章- 困難に立ち向かう両親の軌跡-
なぜ私が日本を離れてカンボジアのシアヌークビルに移住したのかに興味を持ってくれる方、将来の海外移住を考えている方や子供の教育について考えている方、またはカンボジア全般に興味がある方は、ぜひ私のnoteをフォローしてくださいね。
最後まで読んでくれてありがとうございます☺
SOKOEUN
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