【企画参加記事】日韓親善少年サッカー交流1事業で育まれてきた絆
素敵な企画が始まっています。
バトンが回ってきたら、大変かな。
今、6年ぶりのイベントの事務局で大忙しだし。
今回は、読む側に徹することにしよう。
と自分に言い聞かせるも、馴染みのnoterさんたちが楽しそうにバトンを受け取り記事を公開している様子に、ちょっと寂しさを感じていたのも正直なところ。
なんて、思ったら、その気持ちを見透かされたかのように、主催者のチェーンナーさんからご指名を受けました!
えっ?僕でいいんですか?書くネタあるかなあ。
なんて、心の中で勿体ぶっていた自分。
正直嬉しいです!
改めて、ご指名ありがとうございます。
さて、『人喜ばせ企画』と銘打たれたこの企画。
私は、教員として、34年間多くの子どもたちの笑顔に関わり、力をもらってきました。
そんな私が、14年前から担当している、『日韓親善少年サッカー交流事業』の取り組みについてお話をしたいと思います。
1990年から続いている日韓親善少年サッカー交流事業は今年で34年目17回目の受け入れ
私が勤める自治体と韓国の水原市が姉妹都市提携を結んだことをきっかけに、両市のサッカー協会が「サッカーを通じた青少年の交流を行おう」と始めたのが1990年。
この年水原市から役員、小・中・高校生ら総勢79名の訪問団を受け入れ、ホームスティ、サッカーの交流試合が行われました。
その後隔年で水原市への訪問、受け入れを続けている息の長い国際交流事業です。
ひょんなことから、2009年に事務局を任され、気がつけば事務局長として訪韓3回、受け入れが今回で4回目のあっという間の14年が過ぎました。
どんなに逆風が吹いても中止にならなかった理由は子供たちの笑顔
私の所属するサッカー協会のある市では、他団体でも交流事業を行っていましたが、結果として途切れることなく現在まで続いているのは、サッカー協会の交流事業だけになりました。
日本と韓国の間って、戦争や植民地支配といった歴史的な背景を持った複雑な政治問題があり、8月15日が近づくと、何かと話題になったりもしますよね。
実は、この日韓親善少年サッカー交流事業も、そんな政治問題に翻弄され、決して順風満帆というわけではありませんでした。
2年に一度、訪問と受け入れを繰り返すのですが、私がこの事業の事務局を引き受けた2009年から、記憶にあるだけでも、「徴用工問題」のような政治問題、「MARS」「SARS」といった世界的な感染症の流行がありました。
そして、新型コロナウィルスのパンデミック。
新型コロナウィルスのパンデミックによって、今回は、2年の延期となりましたが、この間一度たりとも「中止」という判断にならなかったのはなぜか。
それは、サッカーを通じての互いにふれあい、ホームスティで寝食を共にする経験は、未来を創る日韓両国の子供たちとって有益な経験となり、互いの理解を深めることにつながるからです。
また、交流事業を通じて、日韓両国の子供達、役員らの笑顔が溢れることで、準備の苦労も吹き飛ぶからです。
一つのボールを奪い合うサッカーという競技。
言葉が通じないけど、ルールは共通。
勝利を目指しての真剣勝負が繰り広げられます。
しかし、試合が終われば、『ノーサイド』
子供は子供。
言葉は通じないのに、互いに打ち解け、楽しそうに談笑しています。
ホームスティ後には一気に距離は縮まり、最後のお別れ会では、涙を流すホストファミリーがいたりします。
顔を見て、肌で感じることの大切さ
4年前の2019年の訪韓時は、連日のように韓国国内で行われている反日デモの様子が報道されるなど、日韓関係は過去にないくらい冷え込んでいました。
我々は水原市サッカー協会と、現地にいる知り合いと連絡を密に取りながら、訪韓を予定通り行う決定をしました。
しかし、日韓関係は収まる気配どころが日に日に悪化。
「こんな時に敢えていく意味があるのか?」
そんな不安の声もあり、事前説明会を開き、現地の安全性も含めて理解を求めての訪韓。
この決定に、韓国のメディアが日本にやってきて、我々は取材に応じました。
「こんな時になぜ、ではなく、こんな時だからこそ行くのです」
会長が力強く語った言葉。
会長は自信を持って韓国メディアのインタビューに答えていました。
私たちは、マスコミの情報ではなく、現実の『友人』からの生の情報を得ていました。
だから、例えマスコミで「日韓関係は悪化している」と騒がれていても、実際には大丈夫だろうという確信はありました。
とはいえ、実際のところは本当に大丈夫なのか。
私にも、多少の不安はあったのは事実。
しかし、いざ韓国にわたり、水原市ソウル市に滞在しても、マスコミ報道にあるような危険な状況や不快な思いになったことは一度もありませんでした。
顔の見える友人がいること。
肌感覚で現地の様子を知っていること。
マスコミが一部の出来事を取り上げて煽ることで、両国間の感情が悪くなっている時だからこそ、これからの未来を担う子供たちには、現地で顔を合わせ、膝と突き詰めた交流を通して、肌感覚で生の様子を捉えて欲しいと感じ、訪韓したのですが、行ってよかったと改めて感じています。
肌感覚の国際感覚がこれからのより良い世界を築いてく
現地では石をぶつけられるかもしれないよ
2019年の訪韓では、そんなことを言われてながら、内心ドキドキしながら韓国の地を踏んだ子供達も少なからずいました。
しかし、終わってみたら、全く何の問題もありませんでした。
水原市はもちろんのこと、ソウルでの観光の時も、怖い思いや不快な思いは一度もなく、子供たちは満面の笑みで帰国。
帰国時には、日本の取材クルーからインタビューも受けています。
「行ってよかっです!たくさん交流して良い思い出ができました!」
「報道と実際とは違うということがわかりました」
子供たちは、自分の目で見て、体験したことを咀嚼して理解するという貴重な体験をしたと思います。
作業は佳境を迎えているけど、子供たちの笑顔を思い浮かべて頑張ろう
今回の日韓親善少年サッカー交流事業の受け入れ作業は今佳境を迎えています。
教員である私は、学校が夏休みに入ったので、午後は年休をとっていますが、毎日なんらかの事務局の業務を行っており、なかなか気の休まらない毎日を過ごしています。
しかし、本事業を通じて、日韓両国の子供たちが笑顔で互いを理解し合うようになります。
つまり、この事業は日韓友好の架け橋にもなっているのです。
そう思うと、苦労のしがいのある事業であると言えますし、実際のところ、子供達の笑顔を見たら苦労なんて一瞬で吹き飛ぶのです。
終わりに
チェーンナーさん。
本記事は、「人生は人喜ばせ合戦」のお題をクリアできたでしょうか。
日韓両国の子供達を笑顔にし、友好の架け橋になる。
これも立派な人喜ばせ合戦と言えるのはないかと思うのです。
そして、次にバトンを渡す方は、私にとって『ハッピーマネー』の師匠でもあり、ともに「竹田和平さん」を師匠と仰ぐ同志でもある『ミイコさん』です。
https://note.com/arigatou_happy/n/n43d021368a04
ミイコさんの発信にはいつも心を動かされるので、是非とも「人生は人喜ばせ合戦」のお話を伺いたいと思い、指名させていただきました。
ただ、どうか無理をなさらずに。
・えっ、ちょっとかけないな。
・他の人の負担にしたくないな・
などと思われることもあろうかと思います。
以下の3つの選択肢がありますので。
①記事を書いて次の方へバトンを繋ぐ
②記事は書くが、バトンは繋がずゴールする。(アンカー宣言)
③記事は書かずに、バトンをチェーンナーさんに戻す
勝手にミイコさんを指名してしまいましたが。
ミイコさんいかがでしょうか?
☘️最後まで読んでいただきありがとうございました。
☘️素敵なご縁に感謝です。
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