『不適切にもほどがある』は人生の本質を問う傑作
今期一推しのドラマがあります!
1980年台を生きる『ザ・昭和の教師』を演じる阿部サダヲがひょんなことから現代へタイムスリップし、1980年代を行ったりきたりしながら、令和の現代の『一見人に優しい配慮のある社会』へ本質的な違和感をぶつけ、『本音で生きる心地よさ』『本音で生きる勇気』を思う出させてくれるというドラマ。(と私はみている)
ララみぃたんさんが一足先に、記事にしています。
触発された私も、心に湧いてくる思いをドバーッと書き綴ることにします。
一人で抱えないで
第2話はのタイトルは『一人で抱えちゃダメですか?』
『一人で抱えないで』
とは一見すると正論だし、配慮のある気遣いの言葉。
『全部一人でやった方がかえって楽」という悩みもつ仲里依紗は社内カウンセラー相談。
しかし、肝心のカウンセラーからも
「そうやって抱え込まないで」
とやはり言われてしまう。
「私の話聞いてました?!」
とブチギレる仲。
いろんなハラスメントがあり、迂闊なことを言えば全てハラスメントに該当してしまう、ザ・昭和代表の教師を演じる阿部サダヲ。
しかし、彼の本音トークだけが、仲の心に響く。
令和って、人に優しい時代にシフトしてきていると個人的には感じています。
しかし、個人レベルで言えば、「優しさ」を履き違えていることも多々あるんじゃないかなと。
こんなことを言ったら、訴えられる。だったら、余計なことは言わずに当たらず触らずいこう。
こんな風に考えるようになっている人もいるのではないでしょうか。
でも、本質は、昭和であろうが、令和であろうが、普遍だと私は思うのです。
時代によって解釈が変わるようなことは、所詮偽物なんだと。
例えば、
「あなたのために言ってるんです!」
親や教師、上司がよく言ったりするこのセリフ。
これなんて、親切の押し売り。
こんなことを言う人は、昔から胡散臭いと感じていました。
同様のことが、令和のこの時代、社会全体で起こっているのではないかと。
「優しさ」を身に纏った偽善。
物事の本質を深掘りする。
心のあり方を深掘りする。
そういうベクトルではなく、
他人や、社会という『人様』にとやかく言われないために、「優しく」とか「コンプライアンス」とかが叫ばれてはいないだろうか。
この番組の脚本を手掛けてる『クドカン』こと宮藤官九郎がそこの違和感に深く切り込んでくれるところが、この番組に惹かれる一番の理由かもしれません。
まあ、簡単にいうと、私の魂が喜ぶということです。
1980年代は私の中高大と青春そのもの。
ノスタルジックを感じながら、人として『生きる』とはなんぞや!?
そんなことを魂レベルで訴えかける番組なのです。
私は私を生きることで社会の役にたつ
それにしても、第2話で、阿部サダヲ演じるザ・教師が生まれ年を聞かれて、
「昭和10年」
って答えたシーン。
私が学生時代の大人、つまり親世代は、戦前、終戦直後に生まれ、戦後の混乱期からガムシャラに日本の高度経済成長を支えてきた人々なんだと改めて実感。
令和の、80代は、80年代の現役世代だった!!
ドラマを見ながら、そんな当たり前のことに今更ながら驚きも。
そして、改めてのリスペクトも。
一方で、80年代の学生だった私たち世代は、今の時代をしっかりと支えてきたのだろうか?
次世代を担う若者たちの心の根っこは育む。
そう願って、ガムシャラに進んできた、教師生活34年もまもなく、終わりになります。
色々と難しい時代になり、子供も親も変わってきたと言われたりもします。
確かに、そういう面も否めません。
しかし、
「人として誠実に相手と向き合い、本音を相手の心に届ける」
つまり、腹を割って話をすれば、相手に伝わる。
これは、昭和、平成、令和を問わず伝わってきた実感があるのも事実。
さらに、自分の本音に正直に向き合うこと。
それが他人に対しての誠実さにもつながっているのではないか。
そんなことを感じる今日この頃でもあります。
自分を精一杯生きることが、知らず知らずのうちに、誰かの役にたつ。
そうやって、人は社会の役になっているのではないかとも感じる今日この頃。
『不適切にもほどがある』は人生の本質を問う傑作!!
2話しか見てないけど、絶賛しちゃう推しの番組なのです!!
☘️最後まで読んでいただきありがとうございました。
☘️素敵なご縁に感謝です。
☘️「スキ」「コメント」「フォロー」も頂けたらとっても励みになります。これからも「読んでよかった!」と思える記事を皆さんに届けられるよう努力していきます。今後もよろしくお願いします。