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「でも、夜がなければ私たちは地球の外に目を向けることもなかったでしょう」夜明けのすべて
この映画は
静かにそっと手渡された、叫びのようでした。
この悲しみや辛さをまだ持っていていいんだ。
不恰好な姿のままの自分を少し大切にできそうな気がしました
バスに乗れなかった藤沢さん、電車に乗れなくなった山添君。
あー、この人今、息するの苦しいんだろうな。今、ここにいてごめんなさいって思ってるんだろうな。自分が黙って否定しなければ、この場が丸く収まるからそれなら自分の意見なんて初めから無かったことにできる人なんだろうなって。
夜明けが1番暗いこと。
この映画を観て初めて知りました。
藤沢さんが、山添くんに
「そっか、病気にもランクがあるんだ…PMSはまだまだだね」
と笑いかけるシーンがあります。
多様性とか、寛容とか、
何様目線で扱いやすくされたものが沢山あるけど、それが当事者に届くことなんてほんの数パーセントに満たないんだろうなと感じる一幕でした。
原作には無い、映画の中だけに登場する
プラネタリウムの中、萌音ちゃんの優しい声で
藤沢さんのナレーションがはじまります。
夜についてのメモ
別に朝が来てほしくなくても、夜になってほしくなくても、地球が自転している以上はこっちに関係なく朝が来たり夜になったりする
これから起こることへの諦観ともとれる言葉たち。でも藤沢さんが読む"夜についてのメモ"は決して悲観ばかりの言葉には聞こえませんでした。
ネガティブすらも抱擁するような、静かな強さを感じました。ネガティブでいることが悪いわけじゃ無い。病気でいることが悪いわけじゃ無い。
藤沢さんと山添くんの生き方が、2人を取り巻く周りの人たちの優しさが、
現代を生きる私たちへ、フイルムを通り越してこちらに手を伸ばしてくれているように感じました。
休日出勤中の2人「PMSだからって何言っても言いわけじゃないですからね」という山添くんの言葉に穏やかに笑い合う2人
そんな日常がずっと続いていくんだとばかり思ったけど…
あーそうか、男女の友情とか、恋愛とか、
そういうのの外側にいた人たちの最後はココなんだと思わされるラストでした。
同性の友達のように、頻繁に連絡をとり、ごはんを食べにいくわけでも無い。特別だったけど、1番は望まずに、そのまま、今のままの関係を願ったら、それぞれに生きていく為の生活があって。だから同じ職場とか帰り道が途中まで一緒とかそういう些細なことが信じられないくらい大切で、そのピース一つでも違えば、この時間は無かったのかもしれないと思わされる、忘れがちな日々の尊さを思い出させてくれる映画でした。
山添くんの「コンビニ行くけどなんかいりますか?」の声を聞きながら
その場にいない藤沢さんの気配を感じて
エンドロールが終わったあとも、この日常が続いていくんだなと想像しながら…
同時に映画の中のほんの数秒足らずの台詞が、記憶の中に残り私のみる世界は少しだけ広がって、色味が増えていき、自分はだから映画を観るのが好きだったと思わせてくれる映画でした。