ヒーローになりたかった少年の唄2022⑤
歌謡曲
久しぶりに音楽の話を。
「歌謡曲」というと「昭和歌謡」を思い浮かべる人が多いと思うんだが、演奏する側の僕にとって「歌謡曲」というのは、演歌からムード歌謡、フォークソングやロック、ニューミュージックなどの音楽ジャンルまでを総合したものなのだ。
「クラッシック」「JAZZ」「民謡」などのジャンル分けとは違い、僕の思う「歌謡曲」というものの音楽的な多様性はめちゃくちゃ幅広い。
だからそれはもう、ジャンルというよりは「演奏する時の心もち」といった感じのもので、当然その曲の中にはクラッシック的なものも、JAZZ的なものも、民謡的なものもみんな含まれる。
「歌謡曲」はトラディショナル、スタンダードなものではないという意味において、敢えて音楽的に別の区分けにして捉えているということだ。
音楽の演奏というのは、ジャンルや演奏スタイルによって、リズムも全く違えば、使うコードやスケールといったものも全く違う。
特にトラディショナルな音楽については、かなり精密に規定があって、例えばインド音楽だったり雅楽だったり、そういうディープな曲の演奏は楽器がいくら上手でも、その専門家でないと踏み込めないような深い縛りの中で演奏されている。
身近なところではJAZZとロックの使用コードの違いなどがある。
フォークソングやロックの場合、基本的なコードは三和音で構成される。
KeyがCなら C-G-F といった具合だ。
ところがJAZZの場合は基本のコードが四和音になる。
CM7-G7-FM7という感じ。
ギタリストだろうがピアニストだろうが、JAZZマンに「C」を弾けと言って三和音の「ド・ミ・ソ」だけを弾く人はまずいない。
必ずメジャーセブンの「シ」の音や、その他のテンションノートを入れてくるはずだ。
それは「国によって言葉が違う」という感覚に近い。
もちろん、音的には三和音を弾いても音がズレるわけではないので厳密には間違いではないのだが、民謡にいきなり英語が出てきたら雰囲気がおかしくなるのと同様に、やはり雰囲気が少し違ったものになってしまう。
しかし実は50年代~80年代前半くらいまでの日本のメインシーンにあった大衆音楽というのは、そういう明確なジャンル的線引きのない、いわばごった煮状態の音楽がほとんどだった。
日本民謡的なものにもいきなりバイオリンが入ってきたり、演歌的な曲の中でハードなディストーションギターが泣き叫んだり、そういったことの許されるトラディショナルではない音楽が台頭していたというわけだ。
僕はその頃の日本の音楽がとても好きで、そういう曲を聴きながら育ったので、それを総称して勝手に「歌謡曲」と捉えている。
戦後外国から色々な音楽が入ってきて、当時の日本のミュージシャンはそれを自分なりに消化し、日本語の曲の中にもそのエッセンスを付け加えていった。
戦後流行した歌謡曲のバッキングにすごくJAZZっぽいものが多いのは、当時のJAZZマンたちがその業界で活躍していた名残だ。
坂本九にしても、美空ひばりにしても、歌なしで聴いたらモロJAZZって曲が多い。
時代が経つにつれ、フォークソングやロック、ロカビリーにカントリー、レゲエ、クロスオーバーやらラテン、テクノなど、色んなジャンルのものがドンドン融合していき、僕が物心ついた70年代80年代頃には、日本の歌謡曲の中に世界中の色々な音楽ジャンルのニオイがムンムンと立ち込める、非常に混沌とした、しかしとても魅力的な時代になっていた。
当時の日本の音楽家たちは、自分たちが外国から手に入れた色々な新しいジャンルの音楽の手法を、ただ日本語の曲の中に詰め込むだけではなく、それを日本人向けに優しく丁寧にわかりやすくアレンジしていった。
例えれば、スパイスが強すぎて辛すぎる本場のインドカレーを、日本のマイルドなカレーライスへと変化させ、しかもそれをいつしか日本人みんなのソウルフードにまで昇華させるというような、実に大きな仕事をやってのけたのだ。
それは、もちろんインド人が「これはカレーじゃない」というシロモノではあるのだが、インド人の中に「本物のカレーより美味い!」と言う人が現れるくらいの素晴らしい仕事ぶりだった。
それはアイドルのレコードの中にも、ロックバンドの音源の中にもいくらでも溢れていて、何を聴いてもなにがしかの音楽的な発見ができる非常にエキサイティングな時代だった。
しかし、80年代の途中頃から、なんというか商業的な部分だけをやたらと強調した売れ線音楽が日本音楽界の主流になってしまい、プロデューサーたちは「サビの15秒が良ければ売れるんだ」みたいな感じで、実に内容の薄っぺらい曲を大量生産し、リスナー側もそれが当たり前になってしまったような気がする。
もちろん、その後も素晴らしい曲を生み出してきた人たちもたくさんいるが、どんどん打ち込みが主流になってきて、曲そのものよりもプロモーションの上手さで売上を伸ばすようなスタイルが透けて見えるようになるにつれ、僕の邦楽熱は一気に冷めていってしまった。
だから僕はそのくらいの年代以降の曲を「歌謡曲」とは捉えていない。
もちろん例外はたくさんあるが。
僕は「歌謡曲」をずっと愛してきたが「J-POP」には用はないのだ。
一瞬で誰もが憶えてしまえるような、卓越したわかりやすいメロディや歌詞がかなり減ってきた。
新しい音楽的手法を取り込む時の音楽家の姿勢も、今は昔ほどリスナーに優しくない。
流行についてこれない奴は置いていくというスタイルにどうしても見えてしまう。
思えば、太平洋戦争に敗戦して疲弊しきった日本人をなんとか立ち上がらせ、前を、上を向かせるために、音楽家たちが愛をいっぱいこめてきたのが「歌謡曲」の根底だったのではないかと思う。
この新しい戦争の果てに、また愛のある「歌謡曲」が、人々を苦しみの中から立ち上がらせる時代が来ることを祈ってやまない。
僕もそんな音楽人として生きよう。