風景のレシピ #1“眠たい海辺の町”| nakaban
序文
何もしたくない休日の昼下がり。僕はキッチンの小さな窓から外の風景を眺めていた。この数日、暗い灰色だった空にようやく青い色が生まれ、インクの染みのようにゆっくりと拡がりはじめていた。空の下は、息をひそめたようないつもの町。その稜線から突き出て、古い煙突が見える。来月解体されるその煉瓦の塔は、羽を休めに来た一羽の鳥に何かことづてをしているようにみえる。今、鳥のくちばしは水辺の方を向いている。海までそう遠くない汽水は、光をふくみながら美しくささめいていた。
食事を摂ることが身体の栄養を満たしてくれるように、風景を眺めることって心の栄養を満たしてくれるような気がする。風景もまたひとつの摂るべき食べ物なのかもしれない。いつしかそのような思いにとらわれるようになった僕はふと、こんなことを考えた。レシピ・ブックをめくるように風景を料理できたら、それは、どんなに愉快なことだろう。カゴいっぱいのフルーツのような陽の光、冷蔵庫の中でよく冷やされた水平線、採れたての新鮮なイトスギの香る野原。評判の店で買ってきて、まだ箱から取り出していないブラウニー・ケーキのような街角。ひとつひとつ、それらを手に持つ仕草をする。そこには、なんだか無条件に好きになってしまうような、それぞれの手触りと重さがあるような気がする。
ならば、そのようなよい素材を探し集めよう。それを使って風景を料理し、忘れてしまわないようにレシピとして書き留めるのだ。ノートをめくりながら風景と言葉を交互に愉しく眺めたい。そうして料理した風景をひとりで眺めるのもよし、大切な誰かにサーヴしてさしあげるのもよし。
あなたが今手にしているのは、世にも珍しい「風景のレシピ」。
風景のレシピ#1“眠たい海辺の町”
1.薄いクリーム色の茫洋とした空間をつくる。
2.水平線は遠くにひき、よくのばす。
3.家々を置き、年月でよく洗う。
人影はなく、鳥も飛んでいない。
4.広場をつくり、壁に響きながら届いてくる波の音に耳をすます。
5.家々の影を落とす。
6.コートを羽織って波打ち際を見に行く。