星の味 ☆11 “大事の大事”|徳井いつこ
「社会内存在」と「宇宙内存在」という言葉に初めて触れたのは、谷川俊太郎さんの本だった。
『詩人なんて呼ばれて』という本のなかで、谷川さんは、詩の比較において、同世代の茨木のり子さんを「人間社会内存在」、自分自身を「宇宙内存在」と位置づけていたのだった。
この二つの呼称は、すんなり呑み込めた。
人間は「社会内存在」であると同時に「宇宙内存在」である。
二重の在り方をしているのが、人それぞれの資質、傾向で、どちらかが強くでるということだろう。
芸術家においても、例外ではない。
与謝野晶子さんといえば、明治・大正・昭和を代表する歌人である。処女詩集『みだれ髪』で「やは肌のあつき血汐に触れも見でさびしからずや道を説く君」と歌い、12人の子どもの母となり、日露戦争に出征した弟に「あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ……」と詠んだ詩で“国賊”と非難されもした人である。
寡聞な私には、遠目に、堂々たる「社会内存在」詩人に見えていたのだった。
おや、と驚き、まったくべつの目で見るようになったきっかけは、「宇宙と私」と題された詩だった。
宇宙から生れて
宇宙のなかにゐる私が、
どうしてか、
その宇宙から離れてゐる。
だから、私は寂しい、
あなたと居ても寂しい。
けれど、また、折折、
私は宇宙に還つて、
私が宇宙か、
宇宙が私か、解らなくなる。
その時、私の心臓が宇宙の心臓、
その時、私の目が宇宙の目、
その時、私が泣くと、
万事を忘れて泣くと、
屹度雨が降る。
でも、今日の私は寂しい、
その宇宙から離れてゐる。
あなたと居ても寂しい。
明治33年に与謝野鉄幹によって創刊された雑誌『明星』で活躍した人々の総称を「星菫派」という。
与謝野晶子はその中心的存在であり、彼らは「星や菫などに託して恋愛をうたい、自我の解放を求めて華麗で清新な歌風をつくりあげた浪漫派」と目された。
晶子の歌に多く星が詠まれているのは、『明星』の流れだろうと、どこか高を括っていたのだが、『定本 与謝野晶子全集』を取り寄せ、ひらいてみると、こんな歌があらわれる。
御空より半はつづく明きみち半はくらき流星のみち
星といふ小人の中に美くしき肱のみ見せて寝たる夕月
休みなく時が断つなりこし方のその外にあるこし方の夢
『流星の道』におさめられた三首だ。
べつの歌集『心の遠景』には、こんな歌が見える。
わが倚るはすべて人語の聞えこぬところに立てる白樺にして
あたらしき世に逢へるごと涙おつ虹と対する山上の客
忍び来て夢にも春の知らぬまに矢ぐるま草の空色に咲く
美しさと、不思議さと。
ひとつめの歌の「人語の聞こえぬところ」とは、なんと意味深長な言葉だろう。
人が見る、聞く、話す……。そこから離れたところに、私本来の場所がある。そう宣言しているかのようだ。
「宇宙と私」という詩がおさめられていたのは、『流星の道』と『心の遠景』の間、大正14年にだされた歌集『瑠璃光』である。歌集の冒頭に十篇の詩を配置するのは斬新な試みだったにちがいない。
「紅い夢」という詩にも、どこか似た薫りが漂っている。
茜と云ふ草の葉を搾れば
臙脂はいつでも採れるとばかり
わたしは今日まで思つてゐた。
鉱物からも、虫からも
立派な臙脂は採れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに真赤な臙脂の採れるのを。
「そんな事はどうでもよい」と言い切られ……。ふいに読み手の連想は、いちめんの赤に浸される。それは肉眼に映すことも手にとることもできない、夢の赤なのだ。
「大事の大事」とは、現象世界をはるかに超えた濃密さ、リアリティーを湛えている不可知の世界だった。
晶子は後半生において思想家、評論家としても活躍したが、『人間礼拝』の「一つの覚書」のなかで、こんなことを書いている。
「宇宙は造られたものでは無い。始も無く、終りも無く、みづから存在して、無限にみづから活動しつゝある絶対の生命であることを、私は直観します。
私と宇宙とが一体であると考へる時、私が宇宙の中心を成して居ることが実感されます。何となれば、私が思想する時、宇宙はすべて私の中に集つて来ます。宇宙は私を中心として、八方に奥深い遠近圏を示して居ます。他人はまた其人自身に同様の実感があるでせう。人間は一人々々が宇宙の主人公です。他を支配し圧制する所が無くて、万有と共存しながら、自律的に独立する主人公です。
宇宙には意識があります。どうして其れを知るかと云へば、人間に意識があるからです。人間の意識は宇宙の意識です。」
ひとりひとりが各々に宇宙の中心である、宇宙の独立する主人公である、と晶子は言う。この直観について、覚書の後半で、釈迦の「天上天下、唯我独尊」という言葉を重ねている。
『人間礼拝』の翌年にでた歌集『草の夢』の冒頭におかれた一首。
劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ
「やは肌に……」とはべつの意味で、引用されることの多い歌だ。そのほとんどで「文学の殿堂、短歌の殿堂に足跡を残すという決意、意気込みを高らかに詠ったもの」と解釈されているのは、不思議としか言いようがない。
「劫初」とは、この世の初め。「劫」とは、仏教で説かれる時間で最も長い単位である。どれだけ長いかというと、四十里四方の大石を天人の羽衣で百年に一度払い、その大石が摩滅して無くなってもなお「一劫」の時間は終わらないと喩えられている。
すなわち永遠の昔、悠久の時間の初めから存在している「殿堂」に、黄金の釘をひとつ打つ。
黄金の釘は、晶子だけではない、自覚のあるなしにかかわらず、私たちひとりひとりが持っているものではないだろうか。
それを打ち込む場所は?
宇宙の殿堂をおいてほかに、あるだろうか?