【科学者#009】4代にわたって観測を続けた一族の長【ジョヴァンニ・カッシーニ】
科学者の子どもが科学者というのは珍しくないのかもしれません。
しかし、4代先まで同じ分野の科学者っというのは珍しいのではないでしょうか。
今回は天体観測したり、一世紀にもわたってフランス全土の三角測量をした一族の初代である、ジョバンニ・カッシーニについてです。
ジョヴァンニ・カッシーニ
名前:ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini)
出身:イタリア
職業:天文学者
生誕:1625年6月8日
没年:1712年9月14日(87歳)
業績
土星の衛星の発見
カッシーニは天体に関する様々な業績を残しています。
その中でも有名なのが、土星の惑星の発見です。
土星には現在83個の衛星が発見されていますが、そのうちカッシーニが発見したのはイアペトゥスとレアとディオネとテティスの4つになります。
ちなみに、1600年代には5つの土星の衛星が発見されており、残りのひとつは1655年3月25日にクリスチャン・ホイヘンスによってタイタンが発見されています。
生涯について
誕生~天体観測を始めるまで
カッシーニは現在のイタリア出身なんですが、当時はジェノヴァ共和国という国でペリナルドの出身です。
カッシーニは1673年にフランスに帰化するのですが、帰化した後はジャン=ドミニク・カッシーニと名乗ります。
ちなみに帰化とは、国籍を持っていない外国人が国籍の取得を申請して、新たに国籍を認められることをいいます。
実はカッシーニは、両親ではなく母方の叔父によって育てられます。
そして、イタリアのジェノヴァ大学に入学します。
大学後は、1650年25歳でイタリアのボローニャ大学の数学と天文学の教授になります。
それに加え、1648年から1669年までイタリアのパンツァーノ天文台にも勤めます。
最初は占星術に興味があり知識も豊富だったので、占星術の仕事も得ていました。
しかし、占星術の予測には真実がないと徐々に確信していき批判するようになります。
パンツァーノ天文台時代
パンツァーノ天文台時代に、カッシーニは様々な業績を残しています。
1652年から3年間は彗星を観測します。
カッシーニは、当初地球中心で太陽が動くという地動説のことを信じていました。
しかし、天体観測していくとことで、地動説の中でもティコ・ブラーエのティコ体系を受け入れるようになります。
1664年7月には木星の自転周期を測定し、そして木星の帯と斑点を発見します。
1666年には木星と火星の自転周期を算出します。
1668年には木星の4衛星(ガリレオ衛星であるイオ・ガニメデ・エウロパ・カリスト)の運行表を作成します。
1669年にルイ14世は、カッシーニに対して地位や待遇などを用意して、フランス呼び寄せました。
パリ天文台時代
1671年9月14日にフランスのパリ天文台が完成すると、カッシーニは天文台内に移り住み観測をはじめます。
ちなみに、天文台の初代台長は、カッシーニの孫のセザール=フランソワ・カッシーニになります。
1671年には土星の衛星イアペトゥスを発見し、1672年には土星の衛星レアを発見します。
さらに、1675年には土星の輪は複数の輪で構成されているのを発見します。
1680年には月面図を作成します。
そして、1684年に土星の衛星ディオネとテティスを発見します。
天文学者一族カッシーニ
カッシーニの息子も、そのまた息子も、さらにその息子も天文学者になります。
ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニの息子が、
ジャック=カッシーニで、その息子が、
セザール=フランソワ・カッシーニで、そのまた息子が
ジャン=ドミニク・カッシーニになります。
カッシーニ一族は、4代にわたってパリ天文台で天体観測を続けます。
そして、カッシーニ一族はジョヴァンニ・カッシーニの代から、フランス全土の三角測量を開始し、地図の作製に多大な貢献を果たしました。
ちなみに、1世紀にわたって測量は行われ、完成したのはフランス革命中の1793年の4代目ジャン=ドミニクの頃でした。
天文一家のカッシーニ
1997年にアメリカの航空宇宙局は、土星探査機を打ち上げます。
その探査機の名前をカッシーニと言います。
この他にも月や火星のクレーターの中には、カッシーニにちなんでつけた名前があります。
このことからも、カッシーニは天文学に対して偉大な業績を残したことが分かります。
4代にわたって天文学に貢献した科学者一族。
その中でも特に多くの業績を残したのが、ジョヴァンニ・カッシーニです。
生涯のほとんどを天体観測に費やしたその根気強さと、そして技術を次の代へと繋いだことが、現在の天文学の発展につながっているのではないでしょうか。
今回は、そんな天体観測をして様々な発見をしたジョヴァンニ・カッシーニについてでした。