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【科学者#036】19世紀最高の早熟の天才で理論家【ジェームズ・クラーク・マクスウェル】

19世紀最高の実験主義者として、第33回ではマイケル・ファラデーを紹介しました。
そんな実験家のファラデーと同じ19世紀を生き、電磁気学において最も偉大な理論物理学者がいます。
今回は、19世紀最高の早熟の天才で理論家であるジェームズ・クラーク・マクスウェルを紹介します。


ジェームズ・クラーク・マクスウェル


マクスウェル

名前:ジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell)
出身:イギリス
職業:物理学者
生誕:1831年6月13日
没年:1879年11月5日(48歳)


業績について

マクスウェルの名前がついているものといえば、マクスウェルの方程式、マクスウェル分布、マクスウェルの関係式などがあるのですが、今回はマクスウェルの悪魔を紹介したいと思います。

マクスウェルの悪魔というのは、「熱力学第二法則」に疑問を持ったマクスウェルが提唱した思考実験のことになります。

ちなみに「熱力学第二法則」とは、熱は高温から低温に移動して、その逆は起こらないという法則になります。

マクスウェルは分子の動きを観察できて、分子への細かい操作ができる架空の悪魔を想定します。

これにより、悪魔は仕事をすることなく温度差を作り出せるようになり、熱力学第二法則で起こらないことが可能である考えました。

この問題は、1世紀以上科学者を悩ませることになります。



生涯について

マクスウェルの父親は弁護士で、母親は8歳のときに亡くなっています。

幼少期は田舎暮らしをしていて、マクスウェルの好奇心はこの頃に養われました。

13歳までは自宅で教育を受け、母親が生きていた時は母親から教えてもらえっていました。

その後は、エディンバラのアカデミーに通うのですが、学校では恥ずかしがり屋でどんくさいと思われていました。

そのため学校では友達が出来ず、数学が出来なかったクラスメイトはマクスウェルのことは理解できませんでした。

そして、ある日マクスウェルが突然優秀になり周りを驚かせました。

1846年はじめの14歳のときに、卵形曲線を描く作図法を考案して論文を書きます。

その後1846年4月6日には、エディンバラ王立協会でその論文が読まれます。

そして、翌年の1847年11月10日の16歳のときに、エディンバラ大学に入学します。

1850年10月には、ケンブリッジ大学に入学します。

はじめはセント・ピーターズ・カレッジに入学するのですが、翌期よりトリニティカレッジへ移り、1854年には数学の学位を取得します。

その後は、ケンブリッジ大学にとどまり、フェローとして研究や学生の指導をして仕事を続けます。

1865年はじめ、父親が病気になり、マクスウェルは父親と過ごしたいと考えスコットランドに帰ります。

そして父親と一緒に旅行をしたりするのですが、その後父親が亡くなってしまいます。

1865年10月15日には、スコットランドのアバディーン大学のマーシャル・カレッジで科学哲学の教授に就任します。

1859年6月には、マーシャル・カレッジの校長の娘であるキャサリンと結婚します。

1860年には、ロンドン大学のキングス・カレッジの自然哲学の教授に任命されるんですが、1865年にはスコットランドに戻り自宅で研究を続けます。

そこでは、第23回で紹介したヘンリー・キャヴェンディッシュにちなんで作られた、キャヴェンディッシュ研究所の立ち上げを手伝います。

1871年3月8日には、ケンブリッジ大学の実験物理学の初代教授になります。

そして、1847年6月16日には正式に開設したキャヴェンディッシュ研究所の初代所長になります。

1874年から1879年にはキャヴェンディッシュの論文を編集し、キャヴェンディッシュの論文が世の中に出ることになります。

ちなみにキャヴェンディッシュは膨大な数の論文を残したのですが、気が向いたときにだけ発表していたので、未発表のものが多数ありました。

そのため、キャヴェンディッシュの親類にあたる人から未発表の遺稿がマクスウェルに渡され、キャヴェンディッシュが先に発見した法則などが次々に分かります。

詳しいキャヴェンディッシュの話は第23回のキャヴェンディッシュ編をご覧ください。


1879年10月8日にはケンブリッジに戻ります。

この時には2年前から患った腹部の癌が悪化して、ほとんど歩くことができませんでした。


マクスウェルという科学者

第33回で紹介したマイケル・ファラデーは、科学史上で最高の実験主義者として紹介したのですが、そのファラデーと対照的な存在が19世紀で最高の理論主義者であるマクスウェルになります。

類まれなる実験の才能を開花させたファラデーは、生涯で数学を学ぶ機会には恵まれませんでした。

そんなファラデーは友人に、

「数学を学ばなかったことは何としても悔やまれる。人生をやり直すことができるなら、私は今度こそ数学を勉強したい」

と言います。

実はこのファラデーの研究を数学を使って発展させたのが、理論家のマクスウェルでした。

マクスウェルは、ファラデーの電磁誘導とハンス・クリスティアン・エルステッド(1777-1851)の電流の磁気作用と、それに関連する補足条件を使って、電磁場についての方程式を導き出します。

これが、マクスウェル方程式なります。

この方程式は、ファラデーだけでも、マクスウェルだけでも発見できなかったのもので、実験家と理論家の2人がいたからこそたどり着いたものだと思います。

今回は、19世紀最高の早熟の天才で理論家であるジェームズ・クラーク・マクスウェルを紹介しました。

この記事で、少しでもマクスウェルについて興味を持っていただけると嬉しく思います。

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