欲望が技術を高めて人間を弱くする
いろんな技術が進歩しましたが、一番強烈な動機は「欲」ですね。
オールドファッションな技術では、ドクター中松発明の「醤油チュルチュル」は、母親が醤油を小瓶に移す作業が大変で、それを楽にしてあげたい優しい気持ちがきっかけ。後に、灯油ポンプとして普及したとかしないとか。
では、醤油は誰が発明したのでしょう?灯油は誰が?
現代は大豆から肉が作れるほどまで技術が進歩しましたが、昔から大豆は枝豆、もやし、豆腐、納豆、味噌など多様に活かされていますね。同じ植物ですが、加工方法が異なるだけで全然異なる食材になる大豆は偉い!でも、その加工方法を発明したり、応用したのは人類の英知。醤油がいつ発明されたかわかりませんが、その探究心は、美味しいものを食べたい気持ちが動機でしょう(発酵食品が健康に良い、なんて知らずに発明したと思います)
灯油は原油を精製したものですが、ガソリンや軽油などのアルコール、プラスチック、ゴム製品、医薬品など、原油も大豆に負けないほど多様に活かされますね。大豆よりも歴史が浅いのにここまで発展するなんて、技術の進歩は凄い。それも物理学や化学を発展させた人類の英知ですね。
原油加工の技術を向上させた動機は様々でしょうが、比較的、大豆のほうが純粋さがあるように感じますし、直接的かつ普遍的な人間の幸せに近かったかも知れません。多分に偏見だと思いますが…
いや、なんでそんな偏見があるかと言うと「儲けるため」という動機は貨幣が流通して始まったもので、社会の知力を結集して、技術が進歩し便利になった反面、世界の幸せが不均衡になったように感じるからです。
欲が技術を進歩させたけど、我慢強さは失ったかもしれません。
世界の知力が、もっと「幸福感」のために使われたら良いのにと思う。
18世紀、数学は専門家の娯楽で役に立たないと言われてましたが、物理化学の発展を後押しし、工業を発展させて、民生品となって市民の前に現れ、数学に疎い人々の生活を豊かにしてきました。物質的に。
今後、精神的に人々の生活を豊かにするには、何をどのように発展させて民間に広めればいいでしょうか?それはきっとモノではないと思うのです。自分はマチだと考えます。モノづくりからマチづくりへのシフトが必要。
精神的に豊かになれる街を作るには、精神保健分野の発展が必要。それを後押しするのは心理学、哲学、幾何学だと思います。それが何かの形で人々の前に現れれば、自分たちの心のあり方とか道徳心とか隣近所の人との関わり方に美意識を「装備」させて、幸せになる街に変わると思うのです。
その何かの形は教育かもしれませんが、今の教育は型を刷り込むモノが多いからちょっと違う。本来の教育はEducationの語源のように養い育てるもの(引き出すではありません)であるべき。そしてマチづくりは果てしない生涯学習だから、教える人と教わる人の二分化はさせない学び合いが必要。
価値観が多様になったのはある意味良くって、ある意味良くありません。権威が概念を叩き込むのは軍事教育の名残。そこから脱却しつつある現代は価値観の多様化に良い変化をしたけれど、公共意識が失われたのはいただけない。年少者の模範として恥じない行動は、歴史を超える普遍的なもの。
その枠の中で自由に表現する、それが当たり前な街が今のニーズ。社会を構成する人々の意識を養い育てる学び合い、欲の呪縛から解放された自由で公徳な学び合いが、貨幣に毒された人と社会を強くします。
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