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自主的隷属は精神の自殺(防衛機制)

大人が決めて、黙って従った。小さな頃、そう育った人は多いだろう。

大人になると、仕事も居住地もパートナーも自分で決める。その結果、失敗しても「勉強になった」と思える技術も身に着ける。自分の選択を、他人のせいにしない。日々をイキイキ過ごす大人は、そうしている。

自分で物事を選べない大人がいる。イキイキしていない。

彼らはいつも、周囲の明示的な要請や、暗示的な期待にこたえて生きる。「言われたからやった」「決まってるからやらない」。自分の意志を後回しにする生き方を、自分の意志を持って選んでいるような言葉が出る。

意思を持って自分を殺す。
自主的に隷属れいぞく的になる。
まさに精神の自殺だ。

その事情は何だろう?

社会の秩序には一定の規範が必要だが、合わない環境に執着し「生存戦略」として自分を殺すのは遣り過ぎだ。合わない環境の規範に従属し続けると、納得してない「内なる子供」が、いつか反乱を起こす。俺の自由はどこいった!と、理性を無視して、「内なる子供」が暴れはじめる。

低次元の防衛機制だ。

不機嫌になる。落ち込む。ヤケ食いする。
性的衝動に襲われる。酒に溺れる。宗教に取り憑かれる。
ギャンブル、万引、盗撮、横領…
精神疾患、アディクション…
自害行為、他害行為…

自分を後回しにして、自分が壊れる。
「生存戦略」で選んだ行動が、自分の心身を脅かす。
なんて皮肉なことだ。

行き着く疑問はいつも同じ。

自分は何者なのか?
なんのために生きているのか?
死ぬまで解明されないのか?
いや、あいつなら何か知ってる。
あいつに訊いてみよう。

自分の内なる自分に訊いてみよう。人生を自分らしく踊れ。

他人のために踊るな。踊らされるな。


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