「できる」と「できない」の間?
大器晩成の人は諦めない、続ける。
しかし、そうもいかない人がいる。
このTweetに、こういう返信があった。
自分も同意見だ。疲れる疲れないは別な軸。
疲れなくて出来る、疲れるけど出来る、出来ない、この3つ。
疲れるのは免れない。痛みは免れない、苦しみは自分次第だ。
痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル。つまり自分次第。でも、その自制が出来ずに、苦しみに囚われる。他者が感じる痛みに鈍感だから、自分ばかりなんでこんなに苦しいんだ?と不遇を嘆いて苦しみが強まる。
これは他の特性、例えばHSP(ハイリー センシティブ パーソン)や化学物質過敏症には適応しないと考える。他者の気持ちを想像する力が弱いこと、想像の情報源が文脈や論理など言語情報に偏り、表情や声色など非言語情報を得ることが苦手で、コミュニケーションに障害を持つ人との関係は強い。
このようなコミュニケーション障害は、脳活動の影響もあるようだ。
東京大学医学部附属病院プレスリリース(2012 年 6 月 21 日)
自閉症スペクトラム障害に脳の特定領域の活動不全が関与
―対人コミュニケーションの障害に特徴的な認知パターンを実証
辛くても辛さを見せない人達に囲まれてしまうと「なんで自分ばかり苦しいんだ」と自分の苦しみが強まってしまう。仕事内容を変えても感情は変わらない。痛みの強弱より苦しみの存在にとらわれているから改善できない。
辛いのはみんな一緒と思えない人、そうしたくてしているわけではない。
だから、辛いのはみんな一緒と思えない人に相応しい環境の整備が肝要。
わかる。
わかるけど、それと顧客の信頼を保つことの両立が、大変だ。
福祉職員は行政や利用者の信頼
B型事業所は発注者や消費者の信頼
相応しい環境の整備、それ自体に囚われないように。
Set me free why don't you baby.